写真の出典は、http://wadaphoto.jp/japan/baigou.htm の中の「多摩川紀行」です。この写真は何年か前の3月末に撮影されたものです。吉野梅郷は青梅市の西で、JR青梅駅と御岳駅との間にあります。寒い所なので毎年3月中旬から下旬が満開になります。今日はまだまだ満開ではありませんでした。
俗悪な番組の多いテレビに時々アッと驚くほどの感銘深い番組があります。昨夜のスマップ・スマップという料理番組のゲストは冷戦を平和的に解消したゴルバチョフさんでした。番組内容はスマップの木村君と稲垣君が一つのチームを作り、草彅君と香取君がもう一つのチームに分かれて料理の腕を振るい、ゲストに食べて貰うという内容です。食べた後でゲストがどちらのチームの作った料理が美味しかったを判定するという趣向です。司会は中居君が務めます。
20世紀の最後に米ソ間の冷戦を止め、世界的な規模の戦争を完全に防止する枠組みを作った人です。1985年にソ連の共産党書記長になり情報公開と改革を進めました。その結果、ベルリンの壁が崩壊し、東ヨーロッパ諸国がソ連の衛星国を止め、独立したのです。1990年にはソ連の政治の一党独裁から西欧流の民主政治にするために大統領制度を導入し、自分がソ連の初代大統領になります。それが急進的過ぎたのか、保守的幹部にクーデターを起こされ軟禁されてしまいます。そこへエリツェンさんが現れクーデターを起こした保守勢力を戦車で鎮圧します。その後はソ連の解体と、共産主義一党独裁制度が放棄されるのです。こうしてソ連は1991年に欧米流の民主国家になるのです。その後、ゴルバチョフは政治の仕事から引退し、悠々自適です。遊び回っているのです。日本へ遊びに来ても政治家と会談したり、国会で偉そうに演説などしません。昨夜は10時からスマップ・スマップの番組へゴルバチョフが出るというので、酒の好きな私ですが、禁酒をして姿勢を正して見ました。
スマップというグループは結成されて20年にもなります。知らない人は居ないと思いますが、歌とダンスの上手なグループです。それだけではなくメンバーの一人一人の個性が魅力的で、それぞれテレビドラマの俳優としても大活躍をしています。私がスマップが好きな理由はそれだけではありません。全員がとても紳士的で礼儀正しいからです。誰かさんが酔い過ぎて公園で失敗しましたが、その失敗の内容は決してそれほど悪いものではありません。
昨夜は番組の初めに、池上彰さんが出て来てスマップへゴルバチョフさんのした変革の内容を簡潔、明快に説明してくれました。この話も良かったです。
さてゴルバチョフさんはどんな料理を注文したでしょうか?天麩羅とウナギでした。2つのチームが料理方法に工夫を加え、天麩羅と蒲焼を使った2組の料理をつくります。ゴルバチョフが試食をします。試食といっても、本当に楽しみながらゆっくり充分に食べます。本気で味を楽しみながら食べるのです。おざなりな試食ではありません。そしてどれも美味しいと本気で言います。美味しいものを食べる楽しさをテレビを見ている人々と分かち合ってるようです。その包容力の大きな態度に政敵も心を開いたのだと納得します。スマップ側の司会役が、「どちらも美味しいではこの番組が終わりません。どちらかへ手を上げて下さい」と2、3度迫ります。ゴルバチョフはどちらかに手を上げると負けたグループが傷つくと思うらしく、なかなか手を上げません。しかし終いには判定を下します。司会者が何故その判定を下したのですか?と聞きます。ゴルバチョフはまた言うべきかどうか迷います。司会者に促されて言います。「料理の味はどちらも美味かったが、勝った方のチームはウナギの食べ方を色々変えて私にウナギの美味しさを知って貰うとしたからです」。それを言う時はそれまでの社交的な微笑みが一瞬消えて自分の人間観を真面目に話したのです。遊びの番組が一気に真面目な人間観に関する教養番組に変わったような瞬間でした。
番組の合間に、司会の中居君がゴルバチョフさんへいろいろ質問します。一番重要なやりとりだけをご紹介します。「ゴルバチョフさんは始めからソ連を改革すべきと思って政治家になられたのですか?」「いやそうではありません。スターリンを尊敬していましたので政治家になったのです。しかし、なって見るとこの国がうまく行ってない事が次第に分かってきました。情報公開が無いので国民がうまく行ってないことを知らなかったのです。そこで情報公開をしながら改革をしたのです」。
あまりにも興味深い番組だったので長く書き過ぎました。恐縮です。
今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。藤山杜人
参考情報:Wikipediaの「ゴルバチョフ」の項目から、彼の写真と紹介文の一部を転載いたします。
ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフ(1931年3月2日 - )は、ソビエト連邦の政治家。ソビエト連邦最後の最高指導者。
1985年に共産党書記長に就任し、ソ連国内では東欧の社会主義諸国民主化の契機となったペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を進め、政治・経済・文化など多岐にわたる分野で合理化・民主化を行った。外交面ではそれまで40年以上続いていた冷戦を、マルタ会談にて就任して僅か5年目で終結させ軍縮を進めるなど、世界平和に多大に貢献した。1990年、ソ連で最初で最後となる大統領に就任し、同年にはノーベル平和賞を受賞。日本を含む西側諸国では絶大な人気を誇り、ゴルビーの愛称で親しまれたものの、特にロシアでは後述の通り甚だ不人気であった。また、ソ連国内の噴出する民族主義を抑えることができず、保守派と改革派に国内の政治勢力が分立するなか、1991年ソ連8月クーデターを招来し、結果的にはソ連共産党の一党独裁体制とソ連邦そのものを終結に導くこととなった。