後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

リオのカーニバル、灰の水曜日、四旬節、復活祭の順序で春が来る

2010年02月07日 | うんちく・小ネタ

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リオのカーニバルはカトリックの公式行事ではありません。しかしカトリックの習慣から始まりました。復活祭の前の40日間を肉料理を絶ち、歌舞音曲を止め、静かにキリストの処刑を悼む精進の期間です。カーニバルとは「肉よさらば!」という意味です。肉料理の食べ納めに宴会をする人々も居ました。歌舞音曲を大げさにして、その後の40日間を静かに節制する準備をします。しかし肉の食べ納めや過度な歌舞音曲はイエス様は喜びません。そのような肉慾や娯楽を過度に追求することは「むさぼりの罪」になります。

そんな簡単なことは欧米人も分かっています。それでも過度なことをする人々がいます。困った人々です。それでもイエス様はそんな人々をも愛しています。ドイツでは大げさに騒ぎません。四旬節の間はマタイ受難曲のような宗教音楽が街々に流れています。

今年の復活祭は4月4日です。その前の四旬節の前の水曜日、今年は2月17日の水曜日が「灰の水曜日」です。教会に行って神父様に額に灰を付けて貰います。人間は灰のようにはかない存在だという意味です。そんなはかない人間を救ってくれるのは神様だけです。神の右に座したまうイエス様だけです。灰の水曜日の意味はお釈迦様の教えた色即是空と同じです。昔からなんとなく仏教に親しんできた私には骨身にしみてよくわかります。「灰の水曜日」からは節制の期間に入ります。ですからリオのカーニバルは2月16日の火曜日には終了する筈です。そして2月18日から四旬節が始まります。

復活祭とはローマ総督の気乗りのしない裁判で死刑になったイエス様が3日目の日曜日に生き返って、復活して弟子たちに会いにきたことを祝う祭りです。

キリストは世界の最後の日にまた人々をすべて復活させ生き返らせるという教えです。ですからキリスト教では愛と、復活が重要な鍵になっています。

今年もカーニバルの季節になり、灰の水曜日が来ます。そして四旬節がはじまります。4月4日はイエス様の復活を祝うように桜が満開になる頃です。欧米の国々ではまだ厳寒の灰の水曜日が来るとクロッカスが芽を出します。人々が春の到来を想い、明るい表情になります。今日のミサでの山本量太郎神父様の説教もカーニバルの語源とその意味についてでした。

上のリオのカーニバルの写真の出典は、http://www.club-t.com/kaigai/grande/special/carnival/ です。詳しい観光案内はこのサイトをご覧下さい。


オートジャイロという不思議な飛行機をご存じでしょうか?

2010年02月07日 | 日記・エッセイ・コラム

第二次世界大戦中の1943年頃、私は小学生になったばかりでした。当時住んでいた仙台市の上空に不思議な飛行機がドロドロとエンジン音を響かせて飛んでいました。普通の小型飛行機の主翼の上に巨大な竹トンボのような羽が回っているのです。カヤバ(製作所)のオートジャイロは少年の人気者になり、毎日これが飛んでいるのを見ると興奮したものです。しかし終戦近くなり消えてなくなりました。それ以来67年間オートジャイロは一度も見たことは有りません。心に焼き付いたオートジャイロの映像を時々思いだします。

ところが昨日車を運転していましたら、前をコンクリート・ミキサー車が走っています。その後部に「カヤバ工業」という札が付いています。すっかり懐かしくなり、オートジャイロを検索しました。趣味の飛行機として現在でも生残っています。飛行原理も書いてあります。プロペラで前進し、竹トンボのような回転羽根に風を受け、その風で回転し揚力を作るのが飛び上がる原理です。竹トンボには動力が無く、主翼の揚力を助けるだけです。ですから主翼が小さめで良いのです。竹トンボの羽根を大きくすれば主翼が無くとも飛び上がれます。第二次大戦以後日本では絶えてしまいました。

高年齢の方々へは懐かしいのではないかと思いご紹介いたします。下の写真の出典は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』のオートジャイロの項目からです。

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小学生の少年と2人で山林の中の土地を買いに行く

2010年02月07日 | 日記・エッセイ・コラム

1973年の晩秋に山梨県の山林の中に小屋を作ろうと思って土地を買いに行った。まだ小学校の3年生だった息子と2人です。新聞広告に八ヶ岳の見える別荘地が格安であるという。広告にあった八ヶ岳の写真に誘われて電話をしたら、次の日曜日に車で案内してくれるという。不動産屋さんは横浜にあるという。

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私も車で行ったので、その横浜から来た営業マンとは中央高速道路の大月の出口で合流した。当時の中央高速はそこまでしか出来ていなかったのです。営業マンは35歳ぐらいの元気のよい男です。この人の売り方が絶妙で37年経過した現在も感心しています。兎に角、1坪1万以下で100坪欲しいと言う。彼は、「いくらでもあります。数か所ご案内しますから気に入ったら買って下さい」、と自信満々に答える。そして八ヶ岳の眺望も絶佳ですと付け加ええるのです。

最初に案内してくれたのが武田勝頼が最後に城を築いた韮崎市の西のススキ原。傾斜していて頭上には高圧線が走っています。殺風景な送電線が青空を無残に切り裂いていてとても小屋を建てる気にならない。電線のことを言うと、営業マンが「それでは電線が絶対に見えない素晴らしいところへご案内しましょう」と明るく請け合います。先に立って、車をドンドン走らせ数キロ行った山の麓へ行きました。眼前に稲刈りの終わった水田が広がり、里山の向こうには初雪をいただいた八ヶ岳連峰が見えます。何か変な感じがするが、眺望絶佳というのはウソではない。しかし暗い憂鬱な感じがします。その筈です。南側に山が迫っていて太陽が射さない土地なのです。注意深く見るとそこから500m位北には太陽が射していて、そこから水田が始まって広がっているのです。太陽の光が稲作にとってとても重要ですと教えています。農民の知恵に感心しながら、「いけませんね。太陽の射さない土地はいけません」と言う。すると彼はすかさず「今度は絶対に、息子さんが気に入る土地を案内しましょう!」と又自信ありげに言うのです。そしてまた20分ほど車で行った。そして雑木林の中の悪路を登り始める。車が一台やっと通れる土の道です。周りの雑木林が見事に紅葉していて、梢の向こうに八ヶ岳が光っています。悪路を2km位登ったところで、雑木林が突然平坦になっている。土建業者が数人しきりに働いている。ブルドーザーを使って別荘地を100坪位に区切って、道には側溝を埋め込んでいるのです。案内してくれた営業マンは働いている人々に目もくれず、別荘地の一番端へ直行します。そこには清流が流れています。彼がさりげなく、しかしここで決定的なことを息子へ言ったのです。「息子さん、この小川は一年中水が涸れないのです。だから岩魚も沢ガニもホタルも棲みついていますよ。その上、小川の向こう側の山の斜面にはアケビの実もなりますよ!」と。

息子の顔色がトタンに輝きます。もう決定的です。彼は私の方に顔を向けて言います、「ここは80坪の区画ですが、小川が境です。小川の向こうの斜面は木を勝手に切らない限り山菜やアケビを取って、子供の遊び場になりますよ。80坪の他に数百坪の遊び場付きですよ。80万円来週中に降り込んで下さい。そしたら法務省の白州支所へ土地所有の登記を即刻します」と。購入契約書を交わします。

その後で、側溝を埋めていた土建屋さんに鉄筋コンクリの小屋を建てることを依頼して帰って来ました。

横浜から来た営業マンは金城さんという名でした。悪い土地から次第に良い土地を見せて行って、最後に一番良い土地を見せる。そうすると客は最後の土地が素晴らしいと思い込み、即刻買う決心をするものです。小川つきですから決定的に楽しい小屋が出来るのです。この金城さんのプロとしての売り方に感心して、その後少しお付き合いをしていました。1990年のバブル経済の崩壊とともに横浜の不動産屋さんも倒産したらしく、その後は ようとして消息が知れません。

一緒に土地を買いに行った息子も成人し、賢い女性と結婚し、現在は3人の息子の親です。嫁は私の山林の中の小屋へ対する愛着を知っていて、孫や息子とともに時々行ってくれます。そんな思慮深い女性なのです。すみません嫁自慢になってしまいました。つまらない結論になりましたので終りにします。(終り)


無為の時の深い幸福感、その悠々とした境地

2010年02月07日 | 日記・エッセイ・コラム

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005_2 無為の時を過ごす至福ということをよく聞きます。何もしない無駄な時間を過ごすと幸福感が体中に溢れてきます。この感じは仕事を離れてしばらくしてから体験できる幸福感です。深い情感です。自然の風景を前にして静かに座っています。

上の写真には冬の青空が写っています。陽の差し込む2階でボンヤリ空を眺めて1時間も2時間も過ごします。目の前には趣味の木工の工作台があります。しかし何もしないで空の雲の流れる様子を見ながら時間を過ごすのです。贅沢なことをしている気分になります。何も考えませんが、時々家族とすごした楽しい思い出が浮かんで来て、すぐに消えて行きます。

若い時公園の隅で老人がボンヤリしているのを見て不思議に思っていました。それこそが人生で一番幸せな時間だったのです。仕事を離れて3年位たってから理解できました。自分もその幸福感を楽しんでいます。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人