後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

カトリック国のポーランド人がユダヤ人を迫害していたので私はガッカリしました

2010年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

悲劇の国、ポーランド(7)ポーランド人もユダヤ人を迫害していた、という記事を書いて私は落胆していました。私はカトリック信者なのでポーランドが善でドイツが悪という図式でこの連載を書いていたのです。落ち込んでいたら、趣味人倶楽部のyuchan nabeさんから次のようなコメントを頂き、大変勇気づけられました。感謝しつつ皆様へもご紹介いたします。次回はコルベ神父様とヨハネパウロ2世のことを書いて元気になろうろ思っています。yuchan nabe さん本当に有難う御座いました。

==========yuchan nabeさんのコメント=========
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年前に、ピラトが、キリストを過ぎ越しの祭りの特赦で救おうとした時に、群衆は殺人者のバラバをゆるせと叫び、無罪のキリストを十字架につけてしまったのですから。
でも、あなたのお話には続きがある様に書かれていますので、多分アウシュビッツで展開された、ポーランド人で、神に仕える者マキシミリアン・コルベ神父の実話で、お話をまとめられる事と信じています。
私は信者ではありませんが、カソリックの友人に勧められて、
この方のビデオを見る機会がありました。一人の人間の愛(Agape)を伴った死が、救われた本人だけでなく、多くの生き残った人達の心を変え、いまもさらに多くの人達の生き方に影響を与えている事を知りました。まことに「一粒の麦死なずば、ただの一粒にてありなん。」ですね。
神の愛を知った人間はその本性()から解放されて、善なる者に近ずく事が出来る事を身をもって示されたのですね。
2000
年前のキリストの「十字架の死」は、その3日後の「蘇り(復活)」により、悪の力に完全に打ち勝たれました。この生き方がコルベ神父の生き方となり、牢獄で身代わりとして餓死させられた彼が、救われた人、いや後世の人達の心に生き続け、さらに多くの魂が悪の力に対抗する勢力として成長しています。(終り)

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日本三大水仙群落地の写真をお楽しみ下さい

2010年02月21日 | 写真

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昨日もご紹介しました、「和田フォトギャラリー」http://wadaphoto.jp/index.htm の高画質写真集は45000枚以上の写真を収集し、公開しています。高画質ということは写真にとってやはり重要な要素です。今日も飽きずに眺めています。この季節の花として、南光 優氏撮影の日本三大水仙郷の写真を2枚だけお送りします。http://wadaphoto.jp/sakura/suisen1.htm にはもっと沢山の感銘深い水仙の写真が御座います。この水仙郷は南あわじ市にあり、灘黒岩水仙郷といいます。南光 優氏が撮影された高画質の写真をお楽しみ頂ければ嬉しくおもいます。

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読売新聞の書評欄を酷評します、お笑い下さい

2010年02月21日 | インポート

公正な見方では酷評出来ません。ですから以下は偏見です。今日の読売新聞の12ページと13ページにある書評の酷評です。当たっていたら批評家をお笑い下さい。はずれていたら私をお嗤い下さい。

(1)ポール・スタロビン著「アメリカ帝国の衰亡」

井上寿一先生の評はなにを言っているのか理解不能な文章です。著者の言いたい事が分かりません。そして井上先生の言いたい事も分かりません。こういう書評を言語不明瞭といいます。ついでに言えば本の題目の原題は、「After America」です。それが何故「アメリカ帝国の衰亡」と翻訳されるのでしょうか?このような売らんかなの態度濃厚な本は買って読む必要はありません。

(2)ジャック・デリダ著「留まれ、アテネ」

要するに哲学者のデリダが「趣味のアテネの遺跡」の写真を沢山撮って、写真集を出したのです。それに哲学者趣味の難解な説明文を付けたのです。それだけの事です。

写真を楽しむ人々がどのように見て楽しもうと勝手でしょ。何故、「遅延」とか「滞留」という哲学的概念を理解しないといけないのですか?今福龍太先生は写真の面白さがさっぱり分かっていません。

(3)末延芳晴 著「寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者」

いや懐かしいですね。寺田寅彦や中谷宇吉郎の話ですから。彼らの随筆は楽しかったですね。それに何故解説本を出す必要があるのですか?その事を説明するのが書評の役目です。片山杜秀先生は音楽評論家だけに文章は分かり易いです。しかし書評の題「知の巨人の怪物的構想」とは頂けません。寺田寅彦は平易な文章を書きこなす常識人でした。それが彼の素晴らしいところです。文章はやさしいが内容が深いので、ついつい引き込まれるのです。あの世から寺田さんや中谷さんが笑っていますよ。

その他、4編の書評がありますが、酷評するのがバカバカしくなりましたので止めます。最後に一言。日本の学者は「難解な文章を書ける人」を優れていると思い込んでいます。日本の学問の貧困と不毛はそこに由来しているのです。

読売新聞をとっている方々は今日の紙面の12ぺージと13ページをご覧下さい。難解な文章が並んでいます。理解できないほうが悪いのではなく、そんな文章を書く人を大切にして紙面を提供している読売新聞が悪いのです。困ったものです。淋しいですね。(終り)


普天間基地問題がトヨタ欠陥車問題を大きくし、捕鯨妨害を引き起こす

2010年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

世界中の人間の共通点は感情的に怒る、復讐しようとするという性向です。しかしそれは恥ずかしいこととは分かっています。従ってそれを正当化したり隠したりします。ところが正当化の方法や隠し方が宗教や文化の違いによって大変違ってきます。

普天間基地移転の約束を鳩山さんに無視されてアメリカ人の誇りが傷つけられ怒っています。隠そうとしていますが,怒りの大きさをあからさまに言うアーミテージさんのような親日家もいます。当然アメリカ人は日本人へ復讐をしようと考えています。しかしイエス様は復讐をするな、それは神がすることなので人間はしてはいけない、と命じています。そこでアメリカ人はあからさまな復讐はしません。イエス様へ申し訳のつくような理由が起きるのを待っていました。丁度良い時にトヨタが欠陥車のリコール問題を起こしました。そして豊田社長が逃げ回って記者会見を遅らせます。問題が大きくなっているアメリカへも、乗り込んで解決しようとしません。卑怯です。そこでアメリカ議会は公聴会へ豊田社長を召喚する決定をしました。豊田社長を議会で叩き、トヨタ工場の操業を14日停止させ、トヨタの車を買わないようにします。一民間企業の失敗へ対してのアメリカ政府や運輸省の反応は少し異常のようです。この原因は普天間基地移転問題で鳩山さんがアメリカ人を怒らせたからです。このような復讐の取り方は神様も許してくれそうです。米軍基地と自働車会社のビジネスはあまりにも関係がありません。しかしこれでアメリカ人はいささか溜飲を下げることが出来ました。

一方、南氷洋でアメリカの暴力的な環境団体のシーシェパードが日本の捕鯨船に薬品壜を投げ込んだり、船で体当たりをしています。その上その妨害船の船長が日本の捕鯨船に乗ってきて壊れた自分達の船の賠償金として4億円を要求する文書を手渡しました。

このテロ活動をする団体はアメリカ人が作り、本部もアメリカにあります。全くの憶測ですが、私はどうも陰にアメリカ政府の周辺に巣くっている情報機関と連携して日本の捕鯨船の妨害をしていると想像しています。普天間基地問題が起きてから妨害活動が一気に乱暴になりました。薬壜の投げ込みだけだったのが船の体当たりに変化し、さらに船長が堂々と日本の船に乗り込んで来るようになったのです。その上、その船長の安全を確かめるためにニュージーランド政府が日本の外務省へ交渉し、船内で逮捕され日本の捕鯨船に収監さている船長と電話で話をしているのです。この事実を岡田外務大臣が昨日の記者会見で公表しました。

アメリカの情報機関というと日本人はすぐCIEだけだと思いがちです。しかしアメリカは自由主義と自由競争の国です。CIEとは別個の民間組織が情報収集能力と破壊活動能力でCIEと競争しています。成果次第でアメリカ政府や国防省から予算が貰えます。こうしてアメリカは自由競争によってCIEの能力を高めているのです。そのような民間の情報機関がアメリカ政府の周りで数多く活動しているのです。ですからシーシェパードの日本の捕鯨船妨害の費用の一部がアメリカ政府から出て居ても不思議ではありません。私はこのような情報機関の一つを知っています。

シーシェパードの妨害活動はアメリカ政府は直接は関知しないことです。3流の情報機関が支援しているだけかも知れません。しかし、そんな事情とは関係なくアメリカ人は日本へ復讐出来たようで少しだけ溜飲を下げています。

日本の外務省がすぐにニュージーランド政府の交渉を受け入れたのは普天間基地問題と関連した案件と判断したからです。そうでなければそんな申し入れは無視出来たのです。岡田外務大臣が記者会見で話すほど重要なことではなかった筈です。

アメリカ人を正々堂々とした正義の人と思い込むのは徹底的に間違いです。彼らは我々日本人と同じくらい卑怯で悪辣なのです。ただ文化の違いがあるのでその隠し方が違うのです。この文化宗教の相違が時々日米間の大きな問題になります。しかし同じ人間と思って許し合いましょう。(終り)

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。藤山杜人