後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

悲劇の国、ポーランド(1)カティンの森の闇に消えた4443人のポーランド軍の将校たち

2010年02月03日 | 日記・エッセイ・コラム

暗い話で申し合わけありませんが、戦争中の東ヨーロッパで何が起きたのか、その事実を知る事が大切と考えるようになりました。それは1989年の冷戦の終了にしたがってロシア側が情報を次第に公開していることに触発されたためです。そして最近、ハンガリーに在住している盛田常夫さんからハンガリーの実情をいろいろお聞きし、東ヨーロッパを身近に感じるようになったからです。

ポーランドは1939年9月にドイツとソ連に占領され西半分はドイツ、東半分はソ連の領土に併合されてしまいました。ポーランドという国家が1939年9月に この地上から消滅したのです。

この時、ソ連側へ投降したポーランド軍の将校がソ連領内のスモレンスク市郊外のカティン村の森で殺されたのです。4443人です。4443体の遺体は1943年、ソ連領に攻め込んだドイツ軍によって発見されました。死体は手を縛られた上、後方から射殺されていたのです。ドイツ政府はソ連の蛮行として新聞やラジオで大々的に宣伝します。即刻、ソ連側が「ドイツ軍がスモレンスク市を占領した時に同地で捕虜にしたポーランド軍の将校を殺害した」と大きく反論しました。当時はソ連に降伏したポーランド軍がソ連軍に協力してドイツ軍と戦っていたと考えられていましたので、このソ連側の反論にも説得力があったのです。

1989年の冷戦の終結まで、カティンの森の殺戮の犯人は謎として闇の中に消えていたのです。ロシア政府が公式に犯行を認めたか否かは私は知りません。しかし当時のポーランドをめぐる種々の状況を知ると、ソ連軍による殺戮と考えられます。

1939年9月1日に始まったポーランドとドイツとの戦いに乗じてソ連も9月17日にはポーランドへ攻めこんだのです。ドイツ軍によって首都ワルシャワが陥落し、ポーランドが降伏したのは9月27日でした。当時、ソ連とドイツは相互不可侵条約を結んで同盟関係にあったので、ポーランドを2分割して自国の領土として併合してしまうのです。

1939年の開戦前のポーランド軍は120万人も居たのです。その運命は3つの道に分かれました。ソ連へ投降して、その後ソ連と協力してドイツ軍と戦う道。軍服を脱ぎ、ポーランド国内で地下に潜り、占領軍のドイツと戦う道。そしてハンガリーやルーマニアを経由してフランスへ逃れ、英仏連合軍と協力してドイツ軍と戦う道。

この3つの道を選択せざるを得なかったポーランド軍の運命は決して平坦な道では無かったのです。

ソ連へ投降したポーランド軍はソ連軍にとってはあくまでも憎むべき敵です。戦友を多数殺した敵兵なのです。ポーランド兵をソ連の友として、ドイツへと一緒に戦うなどということは想像も出来ません。戦死した友人の復讐の為には殺すしかありません。モスクワのスターリンからの命令が来るや否や即刻銃殺したのです。戦争の現場とはそいうものです。この事実はゴルバチョフも認めたようです。

カティンの森の闇とは戦争現場の闇です。戦争の現場ではロシア正教も無力です。

ですからこそ平和を求め、戦争を避けなければならないのです。

ポーランド人は日本人を尊敬し、親切にしてくれるとよく聞きます。これから数回にわたってポーランドのことを書き進めて行きたいと思っています。(続く)

尚、この稿を書くにあたって、(株)学研パブリッシング発行、「歴史群像」2010年2月号pp64-78 を参考にしました。記して感謝の意を表します。


また今朝の新聞を見て暗然たる気持ちになりました

2010年02月03日 | 日記・エッセイ・コラム

新聞を見て暗然たる気持ちになることは毎回で珍しいことではありません。特に国際ニュース欄を見て暗い気持ちになります。報道のしかたが偏狭で、片手落ちで、公平さに欠け、鎖国思想にいろどられていることが多いのです。今朝の国際欄、読売新聞の5ページ目に「ミャンマー難民、法務省が面接」-日本が90人受け入りーという4段抜きの大きな記事が出ています。タイで難民生活をしているミャンマー人を毎年30人ずつ3年間で合計90人、日本へ受け入れというニュースです。この記事の偏狭さは他の国々が何人の難民を受け入れるのか?という客観的な記述が一切無いのです。

世界中には現在1000万人の難民が居るそうです。このうち第三国に住んでいる難民を先進国がそれぞれ可能な限り受け入れようと言う政策に日本が合意したのです。アメリカは17000人、オーストリア、カナダ、ヨーロッパの先進国と続き、小国のフィンランドが一番少なくて700人です。日本はそれにも届かない90人です。

勿論、他の国々も既に多数の難民を受け入れて来ました。日本も少しは既に受け入れてきました。この既に受け入れてきた数に加えて新たにもっと受け入れようという世界的な運動のことです。

第三国に住んでいる難民とは、自分の国に既に住んでいる難民ではありません。例えばアメリカには既に35万人の難民が住んでいます。これに加えて、外国に住んでいる難民をアメリカは17000人受け入れるということなのです。

経済大国の日本がわずかに90人です。皆様、恥ずかしいとは思いませんか?

私は恥ずかしいと思います。その上、日本の大新聞の読売新聞が他国の難民受け入れ数を一切報道しない、その偏狭ぶりに暗然とします。何時もこうです。

話はいきなり飛びますが、オリンピックやいろいろなスポーツの国際競技会での報道ぶりも毎回このような調子なのです。日本選手が銅メダルをとったら、それだけを大きく報道します。金メダルや銀メダルを誰が取ったか一切報道しないのです。最近もフィギヤースケートの浅田真央さんが優勝し、鈴木明子さんが三位だったのですが、2位が誰なのか一切報道しません。真央ちゃんのライバルの韓国のキム・ヨナさんが何故出場しないないのか?などは一切報道しません。

もっと酷いのは日本が弱いオリンピックのスポーツ種目については一切無視です。

ヨットは国際的に注目を集める種目ですが、誰が金メダルを取ったか毎回報道されません。

言いたいことは、日本の新聞は我田引水的な発想や、江戸時代の鎖国主義的な立場を捨てて、もっともっと客観的に公正な報道をして貰いたいということです。

さて皆様、そして、あなたは、上のような私の激しい個人的な意見へ対してどのようなご感想をお持ちになられたでえしょうか?コメントを頂ければ大変嬉しく思います。(終り)


花々と人生(5)瀬野尾 澈夫さんの花の写真集

2010年02月03日 | 写真

瀬野尾 澈夫さんという方のホームページを見つけました。Musasino Rest Gallery(http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/)です。

その中に、「季節の花と風景の写真集」という項目があります。花々の素晴らしい写真が多数掲載してあります。見て行くと瀬野尾さんの花々へ寄せる想い、そして美しい写真を撮ろうという情熱が写真から溢れてくるようです。

すぐにこのブログへ転載したくなりメールを送りました。折り返しご承諾のメールを頂きました。「花々の写真を撮っていると楽しいのです」と書いてありました。楽しい気持ちで撮影するから見る我々も楽しくなるのです。暗いニュースが毎日マスコミに絶えません。しかし花々の写真を見ているとなにか人生が明るくなります。花々は我々の人生を楽観的にしてくれます。

多数の花の写真から、今日は神代植物公園の冬ボタンの写真3点をご紹介いたします。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。藤山杜人

Huyubotan8501Huyubotan7931 Huyubotan8511