生まれ育った町ではない。しかし強い郷愁を感じる町。そこには故郷の人々が居る筈がない。その上、道路にも公園にも人影が無い。皆死んでしまったような寂寥感が襲ってくる。明治維新も大きな戦争も無かったように、江戸時代の面影が漂って静かに広がっている。しかし祖父や祖母が生きていた時代のような雰囲気なので何故か安堵感が身を包む。そのような町を一つだけ知っている。私が心の中で大切にしている郷愁の町。
東北自動車道を加須ICで降り、17km西へ走れば行田市に着く。道の左右は茫々たる水田と麦秋の広がり。人家が遥か遠方に散在する。やっとの思いで行田へ辿り着くと、そこは現在という時空から断絶された江戸時代の町。
忍城(おしじょう)という小さな城がある。水城公園には行田名物「ゼリーフライ」の看板の店がある。奇妙な食べ物で、心が淋しくなるような味。昔風の「十万石饅頭」の店がある。
行田は利根川と荒川の間の広い空間の真ん中に浮いている。周りは水を満々と湛えた水田が果てしなく広がっている。江戸時代にはこの水田はほとんど沼や湖で、文政6年(1823年)、岩崎長谷の描いた「忍名所圖絵」を見ると沼に長い橋がかかり、その袂で農民が鵜飼をしている。現在の風景も同じようだ。鵜飼だけが消えてしまった。
そんな湖沼を外堀代わりに忍城を作ったのが、熊谷を本拠にしていた戦国武将の成田顕泰(あきやす)で、1479年に完成した。外堀のような湖沼が周りに広がり、敵が近づけない難攻不落の名城。その後111年間、1590年の秀吉による関東平定まで成田氏の城として存続した。1590年の秀吉の小田原城攻略の時には、城主の成田氏長が北条氏につく。そして小田原城が落ちた後、忍城も開城する。江戸時代には徳川の城として、親藩、譜代16人の城主が在城する。そんな歴史がそのまま凍結しているのが町々の佇まい。道路をアチラコチラと郷愁に包まれて歩く。安堵感にもつつまれる。ウナギ蒲焼の店で昼食。江戸時代の味を想像させる甘味の無い醤油味。ウナギも少し泥臭い。
ハッと気が付くと夕日が傾いている。泊る程の距離ではないので車をゆっくり動かして帰ってきた。2008年の6月の旅。それまで、もう三回も行った。そうだ今週、もう一度度行って見よう。郷愁とあの寂寥感を楽しむために。そんな町を貴方はご存じでしょうか?下に行田の風景写真を何枚か示しておきます。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人