文明の起源は中国、インド、中近東とエジプトと言います。
ハムラビ法典や楔形文字やヒエログリフ文字が生まれたのも中近東とエジプトです。
三鷹市にある中近東文化センター付属博物館を何度も見ていると中近東とエジプトの絢爛たる文化に圧倒されます。特に文化が栄えたのは750年から1258年まで、508年も続いたアッバース朝という王国の時代でした。その頃のヨーロッパ大陸は暗黒の中世と言われるように貧しい農村が未開拓の深い森の間に散在して居ただけでした。宗教改革前のキリスト教はイエス様の時代の生彩さを失い、堕落したものになっていたのです。
そのヨーロッパがルネッサンスを経て、宗教改革を起こすと、途端にガレリオやコペルニクスなどに代表される科学が発展しました。それがやがて量子力学や相対性理論jへと繋がり、中近東やエジプトのイスラム文化圏を圧倒するのです。
科学の進歩は産業革命をもたらします。近代工業から生まれる武器はヨーロッパ以外の国々の武器より格段に大きな殺傷能力を持っています。ヨーロッパ諸国が世界中に植民地を持つようになりました。
中近東もエジプトのイギリスやフランスの植民地や委任統治領になってしまったのです。現在のイラン(ペルシャ)だけはかろうじて独立を守りましたが、欧米の強い影響はまぬかったのです。
現在のアメリカとイスラム勢力との争いの根源はこの植民地時代の怨念にあると言っても過言ではないと思います。下に中近東文化センターの展示物の写真と、Wikipedeaの「イラン」という項目に出ているアッバース朝時代のらせん形のミナレットの写真を示します。出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3 です。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人
===上の出典と同じところからアッバース朝の説明文を抜粋します。===
アッバース朝(?????? ???????? al-Dawla al-‘Abbāsīya)は、中東地域を支配したイスラム帝国第2の世襲王朝(750年 - 1258年)。
イスラム教の開祖ムハンマドの叔父アッバースの子孫をカリフとし、最盛期にはその支配は西はモロッコから東は中央アジアまで及んだ。アッバース朝ではアラブ人の特権は否定され、すべてのムスリムに平等な権利が認められた。
東西交易、農業灌漑の発展によってアッバース朝は繁栄し、首都バグダードは産業革命以前における世界最大の都市となった[1]。また、バグダードと各地の都市を結ぶ道路、水路は交易路としての機能を強め、それまで世界史上に見られなかったネットワーク上の大商業帝国となった。
アッバース朝では、エジプト、バビロニアの伝統文化を基礎にして、ペルシア、ギリシア、インド、アラビア、中国などの諸文明の融合がなされたことで、学問が著しい発展を遂げ、近代科学に多大な影響を与えた。イスラム文明は後のヨーロッパ文明の母胎になったといえる。
アッバース朝は1258年にモンゴル帝国によって滅ぼされたが、カリフ位はマムルーク朝に保護され、1518年にオスマン帝国スルタンのセリム1世によって廃位されるまで存続した。