Amadeusさんという陶芸家であり、ピアニストでもある方が居ます。ネット上での私のMFです。陶芸作品は、HP:http://www.machiko-porcelain.net/ に紹介してあります。
その方が今回、本気でブログを始めることになりました。ご主人の働いているカトマンズの風景を掲載しています。間もなく、何時も住んでいるアメリカへ帰り、アメリカの風景も掲載予定との連絡がありました。転載許可を頂きましたのでカトマンズの傍の陶器を専門に焼いている村を訪問したときの写実的な写真を転載いたします。 http://machiyume.exblog.jp をご覧になるともっと沢山のネパールの風景があります。ネパールは独裁政権が王様を追い出してから大変過酷な政治をしています。水不足や停電が続き、人々の生活が困難を極めています。もう亡くなってしまいましたHikarunoさんもカトマンズに定住していました。Amadeusさんもご主人とご一緒にひかるのさんとカトマンズでお会いになっています。不思議なネットの上でのご縁に、感謝しつつ彼女のブログをご紹介いたします。どうぞよろしくお願い致します。
上の雲の写真を見ると、自然の風景は江戸時代も明治、昭和も変わらないと想像できます。しかし人間社会は激動の時代でした。この殺伐とした時代のことを忘れ、人々は現在の不平不満ばかりを言いがちです。しかし現在ほど豊かで平和な時代は日本の長い歴史のなかで初めてのことなのです。
そのことを是非、書いておきたいと思いつつ数日が過ぎました。今日は決心して書くことにしました。戦前の日本の暗い話です。あまり暗い話題なのでブログに書くのを躊躇していました。
それは日露戦争の後、1910年に起きた幸徳秋水の大逆事件です。天皇陛下や皇族を殺そうとする人を逮捕して死刑にするという法律があったのです。幸徳秋水と付き合いのあった26人が逮捕され12名が死刑にされたのです。
明治天皇を中心にした国粋主義的な国作りをしていた当時の政府が、天皇制廃止を主張する共産主義者、社会主義者の勢力を壊滅するために26名を死刑や無期懲役にしてしまったのです。
国家の方針に異議を唱える者は犯罪者だという考えが、その後の日本の社会に浸透し始めた歴史的な事件でした。
この考え方に従って、その後も「大逆罪」で死刑になった事件が3件ありました。
日本人が昭和天皇が皇太子のときに仕込杖で狙撃した1923年の虎ノ門事件、朝鮮独立を叫んで死刑になった1925年の朴烈事件、そして昭和天皇へ手製爆弾を投げた1932年の李奉昌事件の3件です。虎ノ門事件と李奉昌事件は現行犯逮捕ですから疑問が残りませんでした。しかし幸徳秋水事件と朴烈事件は計画しただけで死刑ですから、実行可能な計画をしていたという証拠が無い限り何処までも疑問が残ります。
大逆事件としての起訴や死刑が1932年以後無くなったのは、その後の特高警察の活躍で予測逮捕、処刑が大々的に行われるようになったので、その必要が無くなった為です。
政府の権力者や軍部の決めた国家方針へ少しでも反対すると逮捕される時代だったのです。
もっと悲惨な現象は1923年の日本人の狙撃犯の親族は勿論、出身地も全国から非難され酷い差別をされたのです。その地の県知事、警察署長、町長など皆連座して処分されたのです。
このような殺伐とした時代が明治維新の1967年から1945年の終戦まで78年間続いたのです。
しかし世の中の雰囲気は急には変わりません。終戦後も殺伐とした暗い雰囲気は尾を引いて暫く続きました。
本当に世の中が豊かに、そして平和になったと実感が持てたのが1964年の東京オリンピックの時だったのです。
あれから46年になります。経済の高度成長もありました。人々も真の意味で自由になり、心も豊かになったのです。不況で働き口が無いとマスコミが騒いでいますが、戦前戦後の暗い時代を知っている我々年代の者にとっては天国のような時代です。
いきなり縄文時代で恐縮ですが、狩猟採集は常に飢えとの戦いです。同士の殺し合いもあります。奈良時代、平安時代と文化は栄えましたが、それはほんの一握りの上流階級だけのものでした。大衆は塗炭の苦しみを耐えて来ました。
そのような歴史を思い出すと現在の日本の幸せなことがしみじみと実感できます。
皆様もこの現在の時を楽しんでいらっしゃることと信じています。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人