後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

甲斐駒の麓の山小屋へ行ってきました

2010年09月03日 | インポート

今日は朝早く家を出て、甲斐駒の麓の小屋へ行ってきました。空は高く晴れ上がり、秋の雲が流れていました。

甲斐駒と八ヶ岳と甲斐駒の前山の写真をお送りします。毎度同じような写真で済みません。

011 031 060


青い惑星の雲の輝き

2010年09月03日 | 写真

10_007

10_001 10_002 10_013

宇宙船から地球を撮った写真を何度か見ました。海の面積が多いので地球は暗い宇宙に浮いた青い惑星に見えます。太陽の光に輝く美しい惑星です。

ヨットで広大な水の上を風まかせに漂っているとこの惑星の上に偶然、生まれて生活をしていることがとても不思議に思えます。今日の空には白い雲が行き交い、不思議な思いを一層深く感じさせていました。あまり上手な写真ではありませんが、雲の写真を送りします。(終わり)

撮影日時:2008年10月15日午後1時頃、撮影場所:茨城県土浦市霞ヶ浦、湖上にて、


関東地方、多摩川流域の土豪達と北条氏照の支配

2010年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム

017

江戸時代になると各地方には大名がいて、藩閥体制が確立し、農民の支配のあり様がキチンと文献にもあり、年貢の納め方も良く分かります。ところが江戸幕府になる前の時代の農民の支配は非常に複雑で、明確に分かっていません。各地に土豪がいて小規模な武力集団を保有し、農民から年貢を取っていたようです。それがもっと大きな勢力、例えば小田原城の北条氏に従い、年貢を小田原城へ送っていた土豪もいたし、それが免除されていた土豪もいたのです。そして小田原城へ直接年貢を納めていた農民も居たのです。

学校で習う日本の歴史は奈良、京都、鎌倉の政権の変化だけであります。その中央政権が全国津々浦々から検地に従って年貢を集めていたと言うのは建前であり、そんな建前どうりの時代は一度も存在しなかったようです。

例えば1333年に鎌倉幕府が新田義貞によって滅ぼされて、室町幕府が出来、応仁の乱が起き、戦国時代があったと習います。そして農民は鎌倉幕府や室町幕府に年貢を取られていたと習います。

しかしそれは全く正確ではありません。地方地方には武力を持った土豪がいて年貢の取り立ては平等では無く、年貢がその土豪だけが使っているケースもあり、鎌倉幕府や室町幕府へ直接収めていた農民もいたのです。

一例として、豊臣秀吉によって1590年に小田原城の北条氏が滅ぼされるまでの約100年間の関東地方の支配権を見てみます。この北条氏は鎌倉幕府の執権になっていた北条氏とは全く関係がありません。執権の北条氏一族は1333年に滅んでしまったのです。

それとは関係の無い、北条早雲が1493年に兵を挙げ、堀越公方を殺し、伊豆に侵入してから、5代、約100年続きました。そして関東平野の大部分を領有していたのです。

その5代とは、宗瑞(早雲)、氏綱、氏康、氏政、氏直の5人です。宗瑞は一生、伊豆の韮山城に居ましたが、その後の4人は小田原城を本拠にしました。このように書くと、関東平野の農民は皆小田原城へ年貢米を送っていたと誤解します。

特に、現在の八王子、日野、立川、府中、小金井などの地方は氏康の3男の氏照が八王子城を本拠にして、かなり独立した領地支配をしていたのです。

ところがその氏照の領地には大石や、小野田や、三沢十騎衆と呼ばれていた土豪集団があちこちに居て、直接年貢を取ることが出来なかったのです。と書くとこれも不正確です。直接年貢を氏照がとれる領地もモザイク状に広く分散していたのです。さらに複雑にしたののはそのモザイク地図が年々歳々変化するのです。

現在の日本は国税も地方税もある計算方法によって平等に取られています。国民から集められた税金の使い道も、政府や地方自治体の年度予算へ使われています。そこには、住んでいる地方による格差や差別はありません。国民は平等の原理に従って分相応の税金を収めているのです。ここまでになったのは明治維新以来の欧米流の税法の導入のお陰です。

その慣れ親しんだ税法の感覚で、戦国時代以前の日本人の年貢を理解すると大きな間違いを起こします。それだけで無く、年貢の実態を記録した文献があまり残っていません。ですから現在私の住んでいる小金井市に居た農民は誰が直接支配して来たのかは不明です。分からないのです。江戸時代になってからは幕府直轄領になったので明快です。しかしそれ以前については全く分かりません。

たぶん戦国時代の始め頃は土豪の三沢十騎衆へ収めて居たのでしょう。それが北条氏照の勢力が拡大するに従って、氏照へ直接収めるようになったのでしょう。

それも1590年の秀吉の関東地方平定によって終ります。徳川幕府が江戸に落ち着く1600年までの10年間は混乱の期間です。あるいは年貢米は納めなくても良かった期間かも知れません。そうあって欲しいものです。皆様の住んでいらっしゃる地方の戦国時代の直接の支配者がどの様に変わったかご存知でしょか?

世の中には、分かっているようで分からない事が多いですね。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人