1986年、千原青年はフィリピンでマザーテレサとお会いしました。叔父の西本神父が連れて行ったのです。その時、マザーテレサは、全然その気の無かった千原青年へ、「貴方は司祭になります」と言いました。その一言で千原青年は結局、司祭になってしまったのです。そのいきさつはとても感動的なエピソードです。是非、http://www6.ocn.ne.jp/~micah/essay1/s200312.htm を開いてご覧下さい。下に1986年に撮った写真を示します。真ん中が千原青年で、その右が叔父の西本神父様です。なお西本神父様はいろいろ本を出されていますので、詳しくは検索すると出てきます。
「みちあき神父のふぉと日記」と題した、写真の美しいブログが御座います。その、http://blog.goo.ne.jp/andrew-john/m/200709 から花の写真を4枚転載いたします。
茨城県笠間市にあるイエズス・マリア聖心会友部修道院の千原通明神父が撮影した写真です。
先月の8月21日に千原神父の叔父上の西本至(とうる)神父が帰天しました。37年住んでいたフィリピンでの土になったのです。この「みちあき神父のふぉと日記」を開いて、「西本神父帰天」という題目の記事を是非お読み下さい。続いて次の記事、「サラマッポー・ありがとう」もご覧下さい。深い感銘を受けることと存じます。
私は時々この「みちあき神父のふぉと日記」を開いていろいろなページを読んでいます。何故か修道院に所属している神父さんは教会の主任司祭と違う雰囲気を持っています。そんな雰囲気を、綺麗な写真を楽しみながら考えています。
皆様も写真だけでなく文章もお楽しみ頂けるようにお祈りいたします。(終り)
2001年の9月11日にワシントンにある国防省の本部のペンタゴンという巨大な建物へイスラム殉教者が飛行機で突っ込んで多数の職員を殺したのです。日本のマスコミはニューヨークの貿易センタービルへの攻撃とそして2752人の犠牲者の事だけが何時も大々的に報じられています。しかしアメリカの政府関係者にとってはペンタゴンへ敵機が突っ込んだことへより大きな危機感を持っています。それが証拠には昨日の追悼式はペンタゴンでも開催され、オバマ大統領はそちらへ出席し演説をしています。ニューヨークでの追悼式へは出席していません。この事実を我々は注意深く考えるべきと思います。アメリカ政府関係者には軍事優先の考えが深層心理にあると理解出来るからです。
ペンタゴンでの国防省では職員が189人死亡し、突っ込んだアメリカ航空77便の乗務員と乗客合わせて64人が死にました。日本が行った真珠湾奇襲攻撃はワシントンからはるか遠方の太平洋の島への攻撃でした。それでもアメリカ人は現在も忘れて居ません。
それ以上の大衝撃を2001年に受けたのです。その結果、アフガニスタン戦争が起き、イラク掃討戦争が起き、イランへの経済制裁が続いています。
1990年にソ連側との冷戦が終了して世界に平和が来たと思っていたら、今度はイスラム教圏のテロ組織との終りの無い戦争が始まったのです。その戦いは2001年に始まりました。
無宗教や仏教徒が大多数の日本人にとっては客観的に眺める立場にあります。そしてキリスト教やイスラム教が間違っている。そんな宗教があるから戦争が起き、殉教者が出て、その上多数の戦死者が出るのです。ですから宗教なんか無い方が良いと思っています。これが大多数の日本人の意見です。
私はカトリック教徒です。仏教国に生まれ育ったので佛教的カトリック教徒になる宿命を背負っています。その立場から見ると「殉教」は無い方が良いと思っています。争いごとが発生すると殉教が起きます。すると争いに火がついて大きな戦争になるのです。殉教には良い影響と悪い影響があります。悪い影響で何十万人の戦死者が出るのなら、「殉教」は止めたほうが良いのです。これは人間の目から見た結論です。神の目から見たらまた違うことになるのです。
そんな事を考えながら今日の読売新聞の書評欄を読んでいました。村木嵐著、「マルガリータ」(文芸春秋社出版、1500円)を橋本五郎さんが紹介しています。流石に五郎さんは明快に分かり易い言葉だけで、この本の複雑な内容を描いています。
五郎さんの文章をさらに簡単に言えば、天正の4人のローマへの少年使節のうちのミゲルだけが帰国後棄教します。清左衛門と名前を変え、珠という女性と結婚するのです。その目的は、棄教し、殉教を避け、そして日本人からそれ以上の殉教者が出ないようにするためです。
・・・天主を裏切り、悪名に耐えたミゲルこと清左衛門こそ、多くの人の苦悩を一身に背負った、真の意味の「殉教者」ではないかとの思いを禁じ得ない。・・・これが五郎さんの書評の結びの文章です。
私は、この本の内容こそ、現在のアメリカのペンタゴンや貿易センタービルへの殉教精神による攻撃へ深く関係していると思います。
殉教は宗教の狂信が原因と断言は出来ません。しかしそれを完全に否定もできません。ああ、佛教国の日本に生まれて、育って、それからカトリックの洗礼を受けたことの幸に感謝します。「殉教」の危険さ、その弊害の大きさが分かるのです。しかし私は日本人であることを自慢出来ません。日本でも神風特攻隊として国に殉じた数千人の若い人々が居たのです。
そんな色々なことを、あれこれ考えさせる9月11日も過ぎました。皆様は何を考えて昨日を過ごしましたでしょうか?
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人