後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

あなたは新撰組の土方歳三のお墓をご存知でしょうか?

2010年09月04日 | うんちく・小ネタ

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土方歳三は1836年に生まれ、1869年、33歳で箱館で戦死した。

東京都、旧南多摩郡、日野村の石田で育ち、墓も石田寺(せきでんじ)にある。

石の多い田圃に囲まれた貧しい農村地帯であったという。現在も田舎の風景が彼方此方に残り、静かな田園風景が広がっている。

上の列の中心の写真には彼の墓石がある。(右側の小さな墓石で、その下に写真が飾ってある)。

 中段の右端の写真には歳三の生涯がかなり詳しく紹介してある。

最下段の左3枚は石田寺の風景、最後の2枚は近所にある生家跡にある資料館に関する写真である。(資料館は毎月、日曜日に2回しか公開されていない)

幕末から明治の間の戦乱に人生を翻弄された一人の男の短い生涯を偲びつつしばし黙祷する。

新撰組の組長、近藤勇は箱館へ行く前に捕まり、流山で処刑された。近藤勇の墓は調布飛行場の北側の生家のそばの寺にある。

副組長の土方歳三は仙台付近の港で榎本武揚の江戸幕府艦隊に乗り込み、箱舘政府設立に参加した。

1869年、馬上で腹部に銃弾を受け、華々しく死んでいったという。そのせいか土方歳三は現在でも箱舘の人々に大切されている。日野市石田にいる歳三の子孫が函館へ時々招かれるという。(個人的に、日野の人と親しいので歳三のことをいろいろ聞いている)

 撮影日時:2008年9月25日御前10時頃、石田寺への交通:JR中央線立川駅で多摩モノレールへ乗り換え。高幡不動、多摩センター方面行きに乗り、「万願寺駅」で下車。モノレールに沿って下り方向へ歩き、左へ曲がる。萬願寺駅より徒歩14分位。尚、大変分かり難いので、途中2回くらい土地の人へ聞くことが肝要。(終わり)


落馬したのでこんな幸せな人生になりました・・・運命の不思議

2010年09月04日 | 日記・エッセイ・コラム

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甲州街道の韮崎の先にある北杜市の牧が原交差点を左に折れ、横手方面に向かうと柳沢の手前に、上にあるようなレストランがあります。オブリガードというのが名前です。十数年、その前を車で通り過ぎています。しかし何時みても森閑としお客の出入りする姿が見えません。不思議なお店です。看板だけ出して、直ぐに廃業するレストランも多いので、そんなつもりで眺めては通り過ぎていました。

しかし、どうも気になって、昨日、訪問しました。いきなりの訪問でしたが、気さくで親切そうな女性が一人で綺麗な松花堂弁当を12個作っています。少し手を休めて色々な話をしてくれました。結論を言えば、仕出しの料理や弁当の注文が絶えず、繁盛しているのです。地方には無尽(講)という婦人達の親睦会が多くあり、そのための料理一式を届けるのです。それが評判になり男性の宴会料理も時々届けます。東京生まれの、お嬢さん育ちなのに気取っていなく、地元の人々の評判も良いようです。写真をブログへ出しますよと言うと、喜んで笑ってくれます。ああ、このような性格だから注文が多いのだなと納得します。

いきなり運命の不思議さへ話が飛びます。彼女は大学の時に乗馬が趣味でした。一般に、乗馬は裕福な家庭でないとなかなか出来ない趣味です。それはそれとして、ある時期に八ヶ岳の麓の小渕沢の乗馬クラブで練習をしていました。高度で難しい練習です。その時、突然落馬していまいます。首の骨を折る大怪我です。現在も首の骨が無く、頭を直接背骨で支えてるそうです。その時、親切に看病してくれたのが地元の青年でした。恋が実って結婚し、山梨に棲みつく運命になります。

その最愛の御主人は、2、3年前に脳卒中で、若くして急死します。ご主人は電気関係の仕事をしていましたが、自分は予約、注文専門のレストランを17年前から始めていたそうです。淋しくなりましたねと言うと、寂しくありませんと笑っています。亡くなったご主人の友人達が食事に集まって来てくれたり、夜は宴会もします。酔って帰れなくなった友人達も泊まっていきます。その宴会場や泊まる離れを案内しましょうと言います。折角なので2、3分だけ見て回ります。掃除の行きとどいた宴会場や離れ部屋があります。

私自身は、先程から彼女が作っている松花弁当が気が気で無く早々に帰ってきました。お邪魔した時間は15分位でした。その間に、これだけの話を聞いたのですから、彼女の会話能力の大きさに、後で驚嘆しました。15分間で自分の幸せな一生を喋る、楽しげに喋る。なかなか出来ないことです。

もし彼女は落馬して大怪我をしなければ山梨には住まなかったと思います。きっと大会社の役員さんの裕福な奥様として都会で一生を過ごす運命だったのかも知れません。しかし馬が好きなのです。一番下の写真の本人の顔の左に馬の姿の写真が見えます。現在でもお医者さんの禁止命令にもかかわらず乗馬を少し楽しんでいるそうです。レストランの名前のオビリガードはポルトガル語で「ありがとう」という意味ですが、自分の好きだった馬の名前だったのかも知れません。馬が彼女の運命を変えたのです。

オブリガードの住所、電話番号は、山梨県北杜市武川町山高570-4、電話:0551-26-2283 です。営業時間は、11時から夜の10時までです。予約が必要です。宴会場もあり広い駐車場もあります。(終わり)


理想的な田舎暮らしの実例をご紹介します!・・・その2年後の話

2010年09月04日 | 日記・エッセイ・コラム

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上の写真は丁度2年前の秋に田舎暮らしを始めたK氏を北杜市の白州に訪問した時の写真です。

そのK氏を昨日再訪しました。玄関に出てきたK氏は日に焼けた精悍な顔で歓迎してくれました。2年も会っていなのに当時の会話をよく憶えています。早速、その後の米作りの順調さを、いろいろ説明してくれました。奥様もお元気そうでした。庭も一層素晴らしくなっていてご夫婦の健康ぶりを語っているようです。

これから町まで久しぶりに買い物に行くところと言うので、長居をせずに帰ってきました。K氏の家とその前に広がる稲穂の写真を撮らせて頂きました。毎年、お米を500kgから600kgも収穫しています。自分が食べ、子供や孫へ食べてもらいます。知人、友人へも送ります。昨年の収穫米はもう無くなったといささか自慢げに説明してくれました。米作りが板についています。下に2枚の写真を掲載します。

上がK氏の作った稲田で、奥の方にK氏の家が見えます。下の写真はその反対側の眺望です。甲斐駒、アサヨ峯、地蔵岳などの山並みに囲まれた白州の水田です。

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下にある文章は2008年の10月29日に掲載した記事です。2年経過しましたが、一言も訂正する必要のない記事であることを昨日確認できました。

===K氏と奥さんの田舎暮らしに関する2年前の記事======

夕焼けの八ヶ岳や甲斐駒の写真を撮ろうとブラブラしていました。大根を一輪車に満載した男性に出会いました。田舎暮らしをしたくて、定年後、都会生活を引き払いご夫婦で引っ越してきて、10年くらいになるそうです。そうです。

まあ、お茶でもどうぞ、と招じられます。上の写真のように都会風の家です。下の方は広々とした水田になっています。南には地蔵、甲斐駒、北には八ヶ岳、東には金峰山が見えます。下の左の写真は、声楽がご趣味の奥様の作ったカボチャです。奥様はもっぱらガーデニングが趣味で、ロマンチックな洋風の庭を作り上げています。

下の右の写真はご主人のK氏が使っている300坪の水田です。これで毎年7俵(420Kg)のお米が取れるそうです。他に畑も借りて野菜も作っています。米も野菜も完全有機栽培で農薬は使っていません。

 k氏は有名なあるベアリング製造会社の研究所で一生働いて居たそうです。研究所長をしていたような悠揚迫らない雰囲気です。筆者も技術研究をして居ましたので話が合いました。

家の1階の大きな部屋には高級なステレオ装置とピアノがあります。一角には食卓用のテーブルがあり、そこに座れば地蔵岳や金峰山が見えます。手前に目をやると芝生と草花の庭があり、その先には水田が広がっています。陽射しが明るい場所で、昔からのの端にあります。

ピアノが置いてあっても狭く感じません。奥様は毎月、何度か都会の声楽の先生の所へ通い、ソロの演奏もしています。田舎でレッスンの合宿もするそうです。近くの瀟洒なペンションに泊まりながら。

さて、「理想的な田舎暮らし」とは何でしょう? 人それぞれ理想の田舎暮らしの内容は異なります。しかし筆者は以下のように考えています。

(1)夫婦揃って田舎暮らしが好き、

(2)夫は稲作が好きで、自給自足以上の米や野菜を作っている。

(3)奥さんもガーデニングが好きで、独自の趣味をしっかり持っている。

(4)自宅の中は完全に都会風で、日常の生活が清潔で便利に出来ている。

(5)日当たりが良くて、近くにスーパーや病院があるような立地条件になっている。

先日、偶然にお会いしたK氏の暮らしは上の条件を完璧に満たしています。

多くの人々は農作業が好きではありません。

しかし、農作業が好きでも野菜作りまでです。稲栽培が出来る都会人は少ないものです。

一般的には奥さんが都会に残り、ご主人だけで田舎に住んでいる人が多いです。

山林の中は日当たりが悪くて、ジメジメしています。土地が高価でも日当たりの良い農地を購入し宅地へ変更申請をしたK氏の慧眼に恐れ入りました。

各種のベアリングは現代技術の根幹技術です。この地味な分野の研究をこつこつ努力してきたK氏だからこそ実行出来た、「理想的な田舎暮らし」ではないでしょうか?

筆者には真似の出来ない「理想的な田舎暮らし」を発見しましたので、ご報告いたします。

(終わり)

撮影日時:2008年10月28日夕方、撮影場所:山梨県北杜市、甲斐駒や八ヶ岳山麓にあるK氏宅にて

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人