後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

老人のヨットの独り帆走趣味とはこういうものです

2010年12月08日 | 日記・エッセイ・コラム

年をとると体が動きません。力も無くなります。しかし私は毎週のように、独りで帆走を楽しんでいます。

下の写真のようにヨットの前甲板の上に上げる三角形の帆だけで帆走します。手前には青いカバーの中に畳んであるメインの帆があります。しかしそれはめったに上げません。

006 前の三角形の帆の右の前端の縦のワイヤーの周りに細い堅い筒がついていて、その下の方にロープが巻いてあります。そのロープを引っ張ると縦の筒が回って三角形の帆を巻き取ってしまいます。その後はエンジンで帰港します。帆を出す時は左下の帆の後の裾に付いているロープを引っ張れば帆がスルスルと開きます。この仕掛けをジブファーラーと言います。これのお陰で少しの力で前の帆を出したり、巻き取ったり出来るのです。老人が独り帆走するときの大切な仕掛けです。

天気が温かく、適度の風のときは青いカバーを取って、メインセールをマストのてっぺんまで上げます。それを独りでやり遂げるのも楽しさの一つです。温かい季節にはメインセールもよく上げて独り帆走を楽しみます。今日は前の帆だけで悠々と帆走を楽しんで来ました。ヨットはゆっくり走らせても楽しいので、老人にも楽しめる趣味です。

もっとも時々は若いヨットマンと一緒に冒険的な快走も楽しみます。

今日は上の写真のように前の帆だけで楽しんで来ました。これでも風に向かって48度まで登れるのです。年を取るとヨットの走らせ方も変わってくるというお話です。失礼しました。


青く輝く水の惑星を撮ったつもりの写真をお送りします

2010年12月08日 | 写真

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湖水の水面がキラキラと輝いて、豊富な水が漲っていました。ここに来るたびに地球は青い水の惑星ということが実感しています。蒼穹が何処までも高く透明になっていて、ヨットに乗ったまま成層圏へ吸い込まれそうです。その感じをなんとかして写真に撮りたいと思いますが、肉眼で見えるような透明感が写っていません。ご想像しながらお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

今日はキャビンの中の椅子のカバーを新品と取り換えに行きました。布専門店の店の中で見た時はかなり派手な色でしたが、ヨットにはもっと大柄で派手な色合いの方が良かったのではないかと思いました。それでも椅子のカバーが清潔な新品になったので寝転がりながらヨーロパッパの民族誌を読んできました。詰まらない写真でご免なさい。草々。

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戦没画学生の絵画(8)芳賀準録さんの「風景}

2010年12月08日 | インポート

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大正10年、山形県に生まれる。昭和15年、東京美術学校入学。昭和18年出征。昭和20年2月2日、フィリッピン、ルソン島にて戦死。享年23歳。

兄弟姉妹は準録の幼い頃からの画才に期待しやさしく見守っていたのです。

絵と文章の内容の出典は以下の通りですNHKきんきメディアプラン発行、「無言館 遺された絵画」2005年版、28ぺージです。


ヨーロッパの花々の民族誌・・・スミレ、ワスレナグサ、ユリ、バラ

2010年12月08日 | 日記・エッセイ・コラム

花々にまつわる伝承や物語はその民族の固有の文化の一部です。日本人にとって桜や梅の花、そしてアヤメやボタン、蓮の花などにまつわる想いは日本の固有の文化の一部です。

ヨーロッパがキリスト教になる遥か以前からスミレ、ワスレナグサ、ユリ、バラなどにまつわる伝承や物語があったのです。

Viola_mandshurica_111 スミレ

例えばスミレは古代ギリシャやローマの時代から春の使者として愛されて来ました。春の女神が大地を歩むと、その足跡から春の最初のスミレが芽生えると信じられていたのです。ウイーンの宮廷では13世紀の頃、3月になるとドナウ河の川岸に春の最初のスミレを探しに出かけ、それに挨拶する習慣があったそうです。ヨーロッパ各地の春の祭りにはスミレの花が主役のように出てくるのはこの古くからの伝承によるのです。ボチチェリの名作「春」の野原にも描かれています。

スミレは元来、紫色の一色ですが、三色のものを栽培し、花屋さんでパンジーとして売っています。パンジーは日本人も大好きです。野生のスミレでもたまには三色スミレがあります。ヨーロッパでは野生の三色スミレは肺病にきく薬という俗信がありました。特に聖ヨハネの日の6月24日の午前11時から12時に摘まれた三色スミレは肺病に大きな効き目があると信じられていたそうです。全くの迷信ですね。

Myosotis_palustris_a11 ワスレナグサ

湿地や川辺に咲いているこの可憐な花は、昔から愛と誠のシンボルとしてヨーロッパ人に大切にされて来ました。この青い小さな花を手にとって、「恋人よ、私を忘れないで!」と祈ると効き目があり2人は結ばれるのです。ワスレナグサの英語名は、文字通り、forget-me-not と言います。ドイツ語ではVergissmeinnicht です。どちらも「私を忘れないで!」という意味です。ひと茎のこの花を恋人に取ってあげるために川に落ち、命を失った若者の話は今も伝えられています。元来日本には無かったので日本名はヨーロッパ語の直訳です。

ワスレナグサは魔力を持っています。愛の妙薬として男性がポケットに入れて置くと娘に気に入られるのです。ある牧師が1588年にそれは全くの迷信で、効き目が無いと声高く否定していたと言います。その事は逆に、多くの若者が愛の妙薬としてワスレナグサの魔力を信じていたということを示しています。ヨーロッパにも日本と同じように迷信が沢山あるのです。

Lilium_candidum_11 ユリ

ユリはギリシャ、ローマ時代から神聖な花として大切にされて来ました。白い楚々とした花、そして清らかな芳香は純潔と処女性のシンボルとして尊重されて来たのです。キリスト教でもこの伝統を受け継いできました。聖母マリアの絵にはユリの花が描かれています。その伝統にもとづいてカトリックの国々では祭りの日にはマリア像をユリで飾るのです。

ヨーロッパの文学ではユリと純潔な娘に関連する物語が多いのも上のような伝承に依るのです。宗教画でよく目にすることとお思います。

またユリの球根は婦人病に効き目があるとして民間療法で使われていたそうです。それも勿論迷信です。

Mrs_herbert_stevens_may_20081 バラ

ヨーロッパではバラは花の女王と考えられています。青春と美と愛と喜びのシンボルなのです。ギリシャの女流詩人サフォーが「バラは花の女王」と書いています。その美しい形、色、香りから当然のことでありましょう。

バラは美の女神ヴィーナスに捧げられました。ゲルマン神話では生垣のバラは女神フリッガに捧げられています。さらに古い俗信では、バラは神聖な森や供犠の為の祭壇があった所や埋葬地に好んで咲いていると言います。

さてヨーロッパにキリスト教が普及するとともに薔薇はマリア様へ捧げられるようになったのです。マリア様の絵の周りにバラの花が盛んに描かれてきました。

キリスト教以前からヨーロッパ各地にはバラ祭りがありました。さまざまな踊りや歌の趣向が凝らされていますが、祭りの中心をなすものは「バラの女王」を選ぶことにあるのです。

花々を愛する民族の歴史はキリスト教よりも古い

私がこの文章で言いたい事は2つです。

(1)人類が花を愛し始めた時代は、火を使い、埋葬をするようになった頃から始まると推察出来るという事です。ツタンカーメン王の胸の上に王妃が置いたと言う一束のムギワラギクは私達の心を強く打ちました。仏教やキリスト教のような高等宗教が現れるずっと前から人類は花々を大切にし、愛して来たのです。どうして人類は花が好きなのでしょうか? 

(2)迷信を好きなのは人類共通の性向です。日本にだけ迷信があって、ヨーロッパには無いという理解は大変間違っています。人類には民族の違いがありますが、迷信が好きだという共通の性向があるのです。迷信こそは文化の発達の出発点と言えるような気がします。私は迷信を信じませんが大切にしています。迷信を信じられる人は案外幸福なのではないかと思っています。

今日は皆様の人生が花々のお陰で一層豊かに、そして幸多くなりますようにお祈り申し上げます。藤山杜人

この記事の内容の出典は、谷口幸男、福嶋正純、福居和彦 共著、「ヨーロッパの森から」ードイツ民族誌 (NHKブック397、日本放送昭和56年8月20日第一版発行)という本です。 又、花々の写真の出典はWikipedea です。 記して、感謝の意を表します。  (終り)