後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「秘境駅へ行こう」というHPは実に面白い、興味津々!

2010年12月13日 | インポート

「秘境駅へ行こう」(http://hp1.cyberstation.ne.jp/hikyoueki/index.html )というHPは実に興味深いものです。広島県の牛山隆信(42歳)さんが全国の秘境駅を実際に歩き回って、その写真を多数掲載したHPです。何故、そんな所に鉄道の駅があるのか不思議な所ばかりです。駅の名前をクリックするとその駅と周辺の写真が出てきます。兎に角、鉄道以外にその駅へ行く道がないのです。しかし存在する理由があって存在しています。その理由が実に面白いのです。

先日、このブログでご紹介した「社会実情データ図録」を作った本川裕さんが、牛山さんのHPを引用して「秘境駅ランキング図表」を作っています。

以下に、本川さんの解説文を抜粋して示します。(本川さんからメールを頂いて転載の許しを頂いています)

========本川さんの解説(抜粋)=========
 牛山さんが秘境駅にひかれはじめたのは1997年。その後、99年にホームページを開設し、著書や写真集も出したため、秘境駅ブームの火つけ人となった。

 「開国後の日本をつくったのは鉄道。先人が培った土木技術で線路は山を貫き、繁栄を広めた。秘境駅はその遺産。「なぜここに駅があるのか」と想像し、たくましく残った駅舎を見ていると元気になれるんです」と牛山さんはいう(東京新聞2009.4.19)。

 秘境駅ブームで乗降客が増えているところもあるそうだ。例えば、牛山さんがかつてここを訊ねた時、近づく野犬の遠吠えに棒を握ったことを覚えている「尾盛駅」。駅への車道はおろか歩道もないという。その大井川鉄道「尾盛駅」(静岡県川根本町)は毎年乗降客が増えています。
       
 ========終り===========

ここで牛山さんが飯田線の「小和田駅」を訪問し、一泊した時の文章と写真をご紹介します。

電車はゆっくりと闇の中を進み、やがて素彫りのトンネルを抜け、22:53を少し廻った所でようやく目的の小和田駅へ到着した。車掌氏に礼を言をいうと、彼の吹く笛の音と
 ともに発車して行き、私一人が暗闇のホームにポツン取り残された。そう、この界隈は今夜、私だけのテリトリーとなった。さて駅の様子は…と 懐中電灯を付けて辺りを
 散策する。本当に凄い!なんという静寂感だ!さらに古い駅舎が人里離れた秘境の魅力を倍加させている。これぞ「真の秘境駅」と言わしめたる所以である。

 深夜の散策を終えて気が付くと空腹になった。そこでインスタントのヤキソバを食べていると、23:35頃に突然一切の電気が落ちた!「ヒェェェェェー」 もう真っ暗!
 光るものは公衆電話の使用可を表示する赤いランプと、外で赤く灯る鉄道の信号機だけなった。さすがに少々ビビッたが、慌てずオイルランタンに点火する。改札口の方
 は扉が無く、おびただしい数の虫たちが小さな光に集まる。そしてラジオをつけながら、長椅子の上に寝床をセットししばし佇む。外は満天の星空で虫の声だけが辺りに
 響いていた。そのうち睡魔が襲ってきたので、目覚まし時計をセットして深い眠りに着いてしまった。
 翌朝、自らセットした時計のアラーム音で起こされ、明るくなった外へ探検に出発。以下省略。下に駅近辺の写真を示します。

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私は特に鉄道マニアでもないし、秘境マニアでもありません。しかし牛山さんのHPから全国の秘境駅の写真を見ていると日本の広さや不可思議さんがしみじみと分かります。

豊かな想像力さえあればこんな面白いHPは無いと思います。皆様もお楽しみ頂ければ、嬉しく思います。(終わり)


暗い冷たい雨の日なので晴天のときの写真をお送り致します

2010年12月13日 | 写真

今日は朝から冷たい冬の雨が降り続いています。暗いです。このような時は晴天のとき自分が撮った写真をあれこれ眺めて気を晴らしています。

先日、東京都の清瀬市にある金山緑地公園で撮った写真を2枚お送り致します。明日は晴れますように祈っています。

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恩讐の彼方に

2010年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム

明治維新以来、日本人はフランスの文化へ憧れ、ドイツの科学を尊敬して来ました。しかしこの両国は犬猿の仲だったのです。

それが最近、ドイツとフランスが恩讐の彼方の境地に至ったのです。

ドイツとフランスが共同で一旅団の軍隊を作り、335人のドイツ兵がフランス領のストラスブルグに駐留し始めたのです。かつての敵同士が共同で一旅団の軍隊組織を作り、お互いに国境を越えて駐留しはじめたのです。

日独伊三国軍事同盟を組んでドイツと共に第二次世界大戦に参加した日本人の一人として感無量です。感動しています。

ヒットラー軍がフランスを席巻し、パリーを占領していたのは70年前です。

私がドイツに住んでいた40年位前にはドイツはフランス文化のいい加減さを見下していて、フランスはドイツの野蛮さを見下していました。通貨もマルクとフランと別れていて国境を越えてフランスへ入るとマルクでは買い物も出来ず、緊張したことを覚えています。

当時はシュツットガルト市に住んでいたので、その西にあるストラスブルグへはライン河を越えて時々遊びに行きました。フランス人の冷たい表情に会い、早々にまたライン河を渡って帰って来た事を思い出しました。

そのような地にドイツ兵がフランス兵とともに駐屯し始めたのです。

ドイツとフランスの共同の旅団規模の軍隊組織は1993年に創設され、これまではフランス兵がドイツ国内に駐留してきたのです。これは第二次大戦で米軍とともにドイツを占領したフランス軍が駐留を延長したようなもので驚く事ではないのです。

その反対にドイツ軍がフランスに駐屯することは出来ませんでした。ところが最近、ドイツ軍がフランスに駐屯し始めたのです。

ドイツとフランスが恩讐の彼方の境地に至ったのです。

下の写真はWikipedeaの「ストラスブール」の項目から転載させて頂きました。

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またいきなり話は飛びますが、尖閣諸島問題や延坪島砲撃事件に続いて、米韓共同演習や日米共同演習のニュースが報道されています。その結果、軍事力が平和維持にとって非常に重要な一要因であることを多くの人々が認めるようになったと思います。

そこで私は韓国と日本が共同の一旅団を編成することを提案したいと思います。その後で、陸上自衛隊の隊員が釜山市郊外の基地に駐留するのです。このような共同部隊の存在は北朝鮮や中国へ対する強い戦争抑止力になると信じています。極東地区の平和維持へ大きな貢献をするものと信じています。

今日は韓国と日本が恩讐の彼方に至る日がいつか来る事を心からお祈り致します。藤山杜人