後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

暖かい温室の中の冬の睡蓮の花の写真をお楽しみ下さい

2010年12月25日 | 写真

一昨日、神代植物公園の温室の中を暖まりながら、熱帯植物の緑豊かな葉を楽しんでいました。ゆっくり歩いて行くと、いろいろな睡蓮が咲いている部屋へ行きました。暖かい温室の中の熱帯植物の匂いをご想像しながら写真をお楽しみ下さい。

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今日は一番の寒い日・・・夏山の花々の写真で温まって下さい!

2010年12月25日 | 写真

もう来週は年末です。大晦日が近づき今年も暮れようとしています。寒い日々が続いています。寒さしのぎに夏山の花々のことを思い出しています。山梨県北杜市の武川町の山林の中の小屋の付近で一昨年の7月に撮ったものです。下の写真はネムノキの花です。大木ですが回りの電柱や電線が邪魔して、満開の大きなネムノキの全体が撮りにくく、カメラアングルに苦労しました。

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下の写真は小屋の付近の雑木林の中に咲いていたウワズミサクラです。花の咲いていないときは地味な葉だけなので雑木林に溶け込んで目立ちません。雑木林にはそのような木も幾つかあります。美しい白い花房を沢山つけるエゴノキもそうです。

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下の写真は野生の藤の花です。野生の藤は他の木に絡まり梢まで登って行きます。それでも足りず、隣の木の梢へ渡り、幹にからまり、枯らしてしまいます。翌年は少し横に這って新しい木の幹を登ります。下の写真は2、3年した野生の藤のように見えます。

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下の写真は山林の中に住み着いている鬼家雅雄さんから鉢ごと頂いたクリンソウです。頂いたときはまだ小さな苗でしたが東京へ持ち帰り庭の樹蔭に置き、水をやり、育てましたところ7月に下の写真のように咲きました。控え目の静かに咲いている様子が日本サクラソウに似ていて可憐です。

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このような夏の花々の写真をもう一度見ていると季節の移ろいの早さに驚きます。

皆様どうぞ楽しい大晦日をお迎え下さい。(終わり)


キリスト教をもっともっと日本化しないと普及しない!

2010年12月25日 | 日記・エッセイ・コラム

(1)キリスト教には厳然とした違和感がある!

キリスト教に対して日本人は違和感を感じています。その理由はキリスト教が日本人にまだ消化されていないからです。

明治維新以前までの佛教、儒教そして神道を背景にした日本の伝統文化と、キリスト教は混然一体となり日本文化の一部として融合していません。

感覚的に分かりやすく言えばキリスト教は水と油のように日本文化と溶け合っていないのです。

私はカトリックなので、ついキリスト教の話をしてしまいます。すると親しい日本人の多くは、「私はヤソは嫌いだ!アジヤやアフリカを植民地にしたような欧米人は嫌いだ!それに西洋文化は物質的で日本の伝統文化の美しい精神性に融合する筈がない!」 と言います。

この感じ方は当然です。キリスト教は欧米の固有の宗教であり我々には関係ないと感じているのです。

私は最近、3つのプロテスタント教会と日本正教会のニコライ堂を訪問しました。それで明確に理解した事があります。それはキリスト教がある国を経由して日本に入ってくると、その国の文化を背負って入ってくるという事実です。一番明確なのはロシア正教として聖ニコライが持ち込んだ正教会は、共産革命以前のロシア文化そのものを背負って来たのです。アメリカ経由のプロテスタントはアメリカの自由主義と平等の文化を背負っています。カトリックは産業革命に遅れたスペインやイタリアのラテン文化を背負いっています。

私の目から鱗が落ちました。このような国々の固有の文化をそぎ落としてそれぞれのキリスト教のみを比較してみたのです。そうすると全ての宗派は全く同じです。イエスの教えを記録した福音書を一番大切にしているのです。ある牧師さんが言いました、「人間が福音書に書いてないことまでイエスの名を使ってするからいけないのです。福音書に書いてないことはしてはいけないのです!」と。

日本人がキリスト教を嫌うのは、ロシア文化や、ラテン文化や、アメリカ文化に違和感を感じているからなのです。それが、「私はヤソが嫌いだ!」という発言になるのです。それならキリスト教に日本固有の文化を融合させて、日本化したキリスト教を作れば日本でも、もっと自然に普及するのです。

(2)ヨーロッパの古い迷信や習俗へ融合したキリスト教

ヨーロッパへキリスト教が普及する前は多神教の原始宗教や迷信が信じられていました。キリスト教はそれらを否定しなで儀式や「まじない」をそのまま踏襲して、その儀式や「まじない」に意味だけをキリスト教の教義に合わせてのです。ヨーロッパには現在でも迷信や俗信がキリスト教と併存して生きているのです。その様子は、「ドイツにある迷信や俗信」という記事でご紹介しました。

明治維新以来、江戸時代まで信じられていた迷信や俗信は徹底的に排斥され合理的な考え方だけを尊重したのです。それが間違いのもとです。

明治政府名は欧米には迷信や俗信が存在しないような教育をして来ました。その結果、多くの日本人は欧米には迷信や俗信が存在しないと思っています。特にキリスト教はそれ以外の信心を禁じていますので迷信は存在しないと思っています。

彼等は日本人と同じように迷信を信じ、俗信を大切にしているのです。俗信を馬鹿にしないでそれを研究するとその国の文化の奥の方が分かるのです。像して下さい。

ヨーロッパのある地方では、(1)死んだ人がヒキガエルになる、(2)樫の木は病を治す、(3)モミの木は神の住居、などの迷信があります。その迷信と併存し、キリスト教が存在しているのです。

(3)福音書だけを守って、日本の伝統文化へ融合した儀式や「おまじない」を大胆に取り入れる。

南米にあるカトリックは原住民の習俗を取り入れています。アメリカの黒人の信ずるキリスト教は黒人霊歌などに代表されるように黒人固有の礼拝式をしています。

日本人だけが欧米の習俗を背負ったキリスト教をそのまま真似をして取り入れています。物真似をしすぎています。これでは「ヤソは嫌いだ!」という人があとを絶ちません。

早急に、革命的にキリスト教は変わる筈はありません。しかし日本人のキリスト教にたいする考え方が少し変わるように祈っています。もっと主体的に取り入れるようになれば良いと思っています。皆様はどのようにお考えでしょうか?

今日も皆さまのご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人