自宅の本棚の前で立ち読みをするのが癖になっています。
10年位前に娯楽作品や装丁の粗末な本を多数処分してしまいました。残った装丁の良い本の前で背表紙を眺めるのも楽しいものです。辻邦生、「国境の白い山」、浦松佐美太郎、「たった一人の山」、遠藤周作、「沈黙」、北杜夫、「輝ける碧き空の下で」、武田百合子、「富士日記」などなどを脈絡も無く手にとって拾い読みをしました。
拾い読みをしながら、フッと文学作品の共通のテーマの事を考えていました。思いきって簡略に言えば、「人間の不幸を書くこと」が共通のテーマです。
その描き方が低劣に近ければ娯楽作品になり、格調高ければ文学作品になります。今日から始めるシリーズ記事、「人間の不幸を描く」ではその描き方についてルース・ベネディクト流の比較文化論的な分析をしてみたいと思っています。成功するか失敗するか自信がありませんが。同じ日本人でも格調の高い描き方とそうでない描き方をする作家がいます。その格調とは何を意味するのでしょうか?比較して見ると解り易いと思います。
それは次回以降にして、今日は武田百合子の富士日記(上、下)のついてその印象を述べたいと思います。夫である武田泰淳と共に、1960年から1976年の泰淳の死に至るまでの16年間住んだ富士山麓の別荘での日記です。
武田百合子は天真爛漫な女性です。実生活の達人です。その上卓越した人間へ対する透察力を持っています。毎日、朝昼晩と何を食べたか克明に書いてあります。体の弱い夫を車で送り迎えする様子が書いてあります。峠道を越えて、甲府盆地の「小松観光農園」へ夫と一人娘の花子と3人で遊びに行ったときの事が書いてあります。行間に意識しないユーモアが溢れています。決して自分の境遇が幸せであるとか、不幸であるとかなど一言半句も書いていません。しかし病気がちな夫といずれ別れる予感が読者に感じさせるのです。
この本が出版されたのは1976年に夫が死んだ翌年の事です。とても良く読まれた本となりました。読む人は武田泰淳の作品を読んだ人々が多かったようです。武田泰淳のオマージュになっているのです。武田百合子は出版に際して感傷的な書き換えなど一切していないようです。だからこそ残された妻の深い悲しみが読者に感じさせます。
本の読み方は人それぞれ勝手で良いのです。私は泰淳のオマージュとして読みましたが、一個の独立した作品として読んだ人も多いと思います。日常茶飯事の事だけを書いていますが、人間が書いあるのです。富士山麓の地元の建設業者が、「旦那さんは甘いが、奥さんはキツイ」と言ったと書いてあります。夫が褒められて嬉しかったのでしょう。こんな一行に夫婦愛が描かれています。武田百合子さんは1993年に旅立ちました。(続く)
今日は、皆様の平穏な年の暮れをお祈り申し上げます。藤山杜人