青木保氏を検索すると彼の二番目に出版した本として、「タイの僧院にて」があげてあります。1976年に中央公論社から発行されています。私は1977年頃、読んで感銘を受けました。
最近、私は昔読んだ本を棚から取り出して、ゆっくり読み直しています。老境になって昔とは違う視点で読んでいます。
この本は、青木さんが人類学者として研究を始めた頃、1972年3月から1973年12月までの1年8ケ月間、小乗仏教のタイの僧院に修業僧として戒律を守りながら生活した時の記録です。日本の仏教は大乗仏教です。戒律はあまり厳しくありません。しかし小乗仏教は生活の中に戒律があり、それを守ると、お釈迦様の教えが理解出来ると信じられています。
この本の面白さはその戒律の内容が解り易く説明してあります。殺すな。盗むな。性的な事は禁止。黄色の衣を着て、托鉢をする事。などなどの戒律が227もあります。そしてそのの戒律が生活の中に自然に溶け込んでいる僧院の中の日常が書いてあります。
もう一つ興味深い事は一般人と僧との関係です。成人すると男性は必ず数か月から1、2年、髪を剃って僧院で修業僧の生活をします。それが修了して環俗して職業生活を続行するのです。ある一定の期間僧になるのです。
一般の女性は托鉢に来る修業僧へ食べ物や供物を捧げ、僧を尊敬します。
タイでは仏教が身近の日常生活の部分になっているのです。
昔この本を読んだ時は、小乗仏教の戒律の内容に興味がありました。そして現在、老境になってみると成人した男性が一度、僧院に入る事実に感動します。
宗教は訓練です。一度でも訓練を受けると一生忘れないのです。その訓練を現在も重要視している国が存在している事に感銘を受けます。
タイでの政争やクーデターはよく新聞に出ます。マスコミも興味本位に報道します。しかし一方ではタイの成人男性は僧院で修業しているのです。その事実を報道し、タイの人々を尊敬するような新聞記事を読みたいと思っています。
他国に関する報道が興味本意であるとしたら、それは自分達の心の貧しさの証です。そんな事を考えさせる本です。この青木 保 著、「タイの僧院にて」は一読をお薦めしたい本です。
(終り)下にこの記事へコメントをくれたGakuさんのブログからお借りした写真を示します。