私はお寺を見るとよく散歩のつもりで入って行きます。時間がある時は必ずのように入って境内や墓地を散策します。今日も吉祥寺のアーケード街に正門がある月窓寺を散歩してきました。お寺の散歩で見るべきところが幾つかあります。今日はお寺を散歩して楽しむ方法を書いて見ます。私が何時も実行して楽しんでいることです。
境内に入ったらまず本堂のそばへ行きます。ご本尊様へ、「こんな静かな境内を散歩させて頂き、有難う御座います」と少しだけ頭を下げます。それで全てが許されるのです。
賽銭箱があれば小銭を入れます。それは全く自由です。小銭が無ければ入れません。
それから境内を掃いている作務衣の人が居たら会釈をします。
それから勝手に歩き回って良いのです。この時、愛犬やペットを連れて行くのは遠慮します。
本堂の左に玄奘三蔵法師さまが立っています。別に拝む必要はありません。この像の面白い所を探します。
インドから持って来たお経がビッチリ入った縦長の大箱を担いでいます。その大箱の上に固定した大きな傘が面白いのです。お経が雨に濡れないようにして、その上自分も濡れないように大きな直径の傘ですね。その上、傘の前部から燈明を灯す入れ物がぶら下がっています。夜になっても歩いた日もあったのでしょうね。左の額から汗が垂れていますが、これは単なる汚れです。
墓地のほうへ歩いて行くと遺族が行方不明になった無縁墓が積み上げた供養塔があります。江戸時代から明治の年号が刻み込んだ無数の墓石が積み上げてあります。自分の墓もいずれこのようになると思うと何故か安心します。
どこの寺にも遺族が来なくなってしまった墓石が沢山あります。それを纏めて住職が供養しているのです。
無縁墓の供養の様子はその寺の住職の考え方でいろいろです。それを見るのが面白いのです。いろいろなスタイルがあります。この月窓寺では無縁墓の塔の上に慈母観音さまの石像が坐って居ました。
その後は墓地を静かに散歩します。お花を供えに来ている人には軽く会釈をします。この時、間違ってもニコニコしてはいけません。悲しい気持ちで遺族は来ていることが多いからです。
墓地に供えられた花々を見て楽しみます。枯れた花があったら取り上げて、決まった枯れ花の捨て場へ持って行きます。
墓石を見ます。この写真は日露戦争で戦死した茂木伊八上等兵の墓です。立派な墓石ですね。若くして戦死した息子を悼む両親の悲しみ、嘆きが100年以上たって墓前に居る私に伝わってきます。反戦の重要さが私の心を打ちます。打ち鳴らします。
このようにお寺の境内を勝手に散策するのが私の楽しみです。最後に一つ重要な条件を書きます。そのお寺に眠る全ての死者に対して敬意を持ち、冥福を祈るのが散歩を楽しくする条件です。その気持ちのあるかぎり、全てのお寺は貴方の散歩を大歓迎しています。
この事はキリスト教の教会や墓地でもまったく同じです。その事は次回書きます。
是非、近所のお寺の境内の散歩をお楽しみ下さるように祈っています。(終り)