後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

よく行く広い温室と花々の写真です

2011年08月07日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログの写真が、続けて暗い内容のものばかりにならないように注意しています。大津波や瓦礫の広がる風景写真を見ると誰でも悲しい気分になると思います。

そんな時は花々の写真を撮りに行きます。神代植物公園には広大な温室があって、春夏秋冬、どんな季節に行っても花々が咲いています。入口の前に、動きながら音楽をかなでる巨大なカリオンがあり、1時間毎に美しい鐘の音で四季の歌のメロディーが流れます。

温室は左から入って、右から出ますが、入口から熱帯の植物、小笠原の植物、オニハスや睡蓮の部屋、ベコニア室、そして世界中のランがある部屋へと続いています。南米の植物もあります。途中に洒落た休憩室がありテーブルと椅子が置いてあります。

最近、津波の写真や瓦礫の広がる写真や教会を爆破している写真が続きましたので、温室の外側と花々の写真をお送り致します。先週、撮った写真です。

お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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日本カトリック教会、「平和のための祈り」2011・・・ヨハネ・パウロ2世の日本訪問を記念して

2011年08月07日 | インポート

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前のローマ法王のヨハネ・パウロ2世は1981年に広島と長崎を訪問し原爆の犠牲者への祈りを捧げました。東京、広島、長崎のミサでは日本語で司祭されました。それ以来、日本のカトリック教会では毎年8月6日から15日までを平和旬間と定め平和の為の祈りを捧げます。平和のためのいろいろなイベントも開催します。

今年のカトリック大司教区の平和のための祈りは以下の通りです。

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平和のためのいのり  2011

いのちの源である神よ、

あなたは30年前、力強い平和のメッセージを告げ知らせるために福者ヨハネ・パウロ2世教皇を被爆国・日本に遣わしてくださいました。

いまだに世界には数多くの核兵器が存在しています。また日本は今、地震・津波・原発事故という苦難の中にあります。人間の限界を忘れて、核エネrギーに頼ろうとしてきた態度が根本から問い直される時を迎えています。今こそ、前教皇と心を合わせ、真の意味での平和と安全を求めて祈ります。

ー 戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。

ー 過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです。

ー 主がすべての人間の心の中に、

  平和の知恵と正義の力と兄弟愛の喜びを注いでくださいますように。

ー 神よ、この世にあなたの終りなき平和をお与えください。 アーメン。

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ヨーロッパにおける共産主義とキリスト教の戦い(2) 共産党によるキリスト教の抹殺

2011年08月07日 | 日記・エッセイ・コラム

1917年のロシア革命により出来た共産党独裁政権のお陰でその後の世界は大規模な戦乱と破壊が1990年まで続いたのです。

朝鮮動乱。ベトナム戦争。北朝鮮による日本人の拉致。すべて共産主義政権が起こしたものです。

1917年以来、ヨーロッパ世界は東と西に二分され、東は共産党政権が、西は民主主義政権と別れ、お互いの争いが20世紀の人類の歴史を作ったのです。日本は西側、とくにアメリカ合衆国の同盟国としてソ連、北朝鮮、中国、北ベトナムと長い年月、対峙し、争い、緊張した国際状況に置かれていたのです。

東側の共産党国家の全てではキリスト教を抹殺しようと、教会の爆破、聖職者、修道者、信者の殺戮が広がっていました。犠牲者の数は誰も知りません。ただロシアの学校では日曜日に教会の礼拝へ出席していた者が逮捕され、二度と帰って来なかったといいます。兎に角、下の写真をご覧下さい。立派なロシア正教の教会が赤軍によって爆破されている様子です。写真の出典はWikipedeaの「キリスト教」です。

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東ヨーロッパの数多くの教会がこのように爆破されたと言います。

私は1981年に文化大革命の戦火がさめやらぬ北京でイエズス会の建設した大聖堂のそばを通った事があります。車に同乗していた周栄章教授に中をチョット見せて下さいと頼みました。彼は渋い顔になって、倉庫になって、荒れ果てていりから見ない方が良いと言って取り合ってくれませんでした。

瀋陽のカトリック教会(天主堂)のミサでも内部は破壊され、数百名の会衆は冷たい荒れた床に座ってお祈りをしていました。

ソ連は1990年に解体し、キリスト教の弾圧は止まりましたが、中国は相変わらずのようです。

ローマ法王は1958年以来、中国のカトリック信者(天主教信者)350万人と聖職者4000人を昔のようにバチカンに連れ返そうとしています。しかし中国共産党はそれを拒絶し、勝手に司教や司祭の人事権を行使しています。その理由は実に嘆かわしいのです。バチカンと台湾が絶縁するなら中国の天主教をローマ法王へ返すと言うのです。ローマ法王は台湾の信者を絶対に見捨てません。

しかし私は信じています。政経分離の時代が必ず来ることを。宗教と政治は別れて存在するべきです。日本には260年の隠れキリシタンの歴史の後、宗教の自由が保証されるようになったのです。

最後に、上の写真のように爆破された教会堂が、ソ連崩壊後に再建された姿の写真を示します。出典は上の写真と同じです。

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それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

藤山杜人