日本に住んでいる人々は誰でもこの国が好きです。愛しています。今回の大震災後の多くの若者のボランティア活動を見て、彼等の愛の心に感動しています。
愛国心は育った時代と環境によってその現れ方が様々に違います。
人生の終わりが近い年齢になり、自分の一生を振り返っています。
すると若い頃に受けた愛国的な教育が心の底にあって自分の職業や趣味へ深い影響が与えて来たことに気がつきます。今日はその一つの実例を記します。
それは昭和20年4月の体験です。沖縄の壮絶な戦いが始まった頃の事です。
国民学校の3年生だった私が「海洋少年団」へ入ったのです。
入団してすぐに、仙台中の「海洋少年団」の会員の全員、50名ほどがある学校の校庭に集められました。
壇上に立った老人の元海軍兵が演説をします。「お前たちは大きくなったら海軍へ入れ!そして御国のために一身を捧げるのだ!」と。
そして、「今日は海軍で一番重要な、舫い結び(もやいむすび)の仕方を教えてやる!」と言って、全員へ一本づつロープを渡しました。
30人程の元海軍兵士が白い戦闘服を着て海洋少年団の少年に付き添い、「舫い結び」の仕方を丁寧に教えてくれます。ヨボヨボに老いた元海軍兵ですが白い戦闘服が似合い、格好良く見えました。
「舫い結び」は船を岸壁に係留するとき、船からのロープを岸壁の杭に結ぶ方法です。一旦、結ぶと絶対にほどけないのです。しかし、結び目をほどこうと手をかけると簡単に解けてしまいます。不思議な結び方です。そしてかなり複雑な結び方です。文章では絶対に説明出来ません。
仙台の「海洋少年団」の訓練はこれが最初で、最後でした。アメリカ軍の本土上陸がせまり、退役兵士も再召集され海岸線の塹壕堀りへ行ってしまったのです。
しかし私は一生、「もやいむすび」を覚えていました。時々紐を見ると独りで練習していました。
50歳になり、気持ちの上に余裕が出た時、いよいよこの「舫い結び」を使ってみる決心をしました。そこで中古のクルーザーを買って、25年間の間、「舫い結び」を使って来ました。
船員はいろいろな結び方を知っています。しかし、「舫い結び」が一番重要で、残りの結び方は自然に覚えられるのです。
私の心の中に巣くっている愛国心、あるいは国粋的な考え方は戦中、戦後の教育の結果、自然に育ったものです。大人になってアメリカへもドイツへも留学しましたが私の愛国心はますます強くなる一方でした。
老人になった現在、一生を振り返り、若い時の教育が非常に重要な事をしみじみと考えています。そんな事を考えながら今日も。「流れ行く日々」の一日になりました。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申しあげます。藤山杜人
==上の記事へ対して趣味人倶楽部のdexさんから頂いたコメント===
私も小学生の頃、海洋少年団(佐世保管区)に入団、
海軍に憧れましたね。
「神代ながらの日本の~・・・」を歌いながら。
手旗信号・モールス信号の練習に勤しみました。
敷設艦「八重山」で訓練しましたよ。
そして終戦前、海の学校へ。
短剣なし、3ヶ月で終戦。