後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

去りゆく夏を惜しみつつセイリングをする

2011年08月27日 | 写真

今年の夏、8月18日は東京が38度になる最高に暑い日でした。その日に家族4人でセイリングをして来ました。あまりの暑さに辟易し、2時間ほどで帰港してしまいました。

その次の日から急に秋の気配がし始め、涼しい日々が続き出しました。今日は家内と2人で爽快な秋風の中を湖岸から8km位沖までセイリングして来ました。空には暗い雲が一面に覆っていましたが雨は降らないという確信がありましたので悠々たる気分で久しぶりの快適なセイリングを楽しんできました。家内も舵をずっと握り楽しそうでした。

下の2枚の写真は8月18日の猛暑の日の写真です。2枚目は沖宿港へ寄港した時の写真です。近所の蓮の田を少し散歩しました。

3枚目から5枚目までは今日のセイリングの様子です。ジブセール(前の帆)だけで5ノットで快走しました。

涼しくて、心地良い秋風をご想像しながらお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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関東地方の戦国時代は1590年に終った・・・悲劇の八王子城

2011年08月27日 | 日記・エッセイ・コラム

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戦国時代の終焉は地方によって違います。私は関東地方では1590年と信じています。関東地方は秀吉の勢力に一挙に降伏した年です。

 小田原城に北条早雲が拠点を置いてから4代目当主は北条氏政。関東を支配ししていたのがその弟の氏照。武田信玄に攻められ苦戦した滝山城から山中の八王子城へ移ったのが1586年。しかしその4年後の天正18年、1590年6月23日に落城したのです。この年に関東地方の北条の拠点が一挙に崩壊したのです。

八王子城を攻めたのは信濃から進撃してきた前田利家、上杉景勝、真田正幸の連合軍です。上州の幾つかの支城を北から席巻し、6月23日には15000人の勢力で4000人が守る八王子城を速攻し夕方には落城させたのです。生き残った家臣、婦女子は主殿裏の滝の上で自害し滝壺へ飛び込んだといいます。滝壺から続く谷川は血で三日三晩赤く染まったと言い伝えられています。

八王子城が落ちた6月23日は城主の氏照は小田原城に居て留守であったことも敗北を早めた一因でした。

生き残った捕虜は小田原の秀吉のもとへ送られ、7月7日の小田原城の開城後、7月11日の氏政と氏照の切腹と前後して極刑を科せられました。

天正18年、1590年には関東、東北地方に散在していた多くの戦国大名が秀吉一派に敗北した年です。八王子城のような悲劇が各地で起きました。

この八王子城は氏照が昨日ご紹介した滝の城から滝山城へ移り、そして最後に住みついた城だったのです。

八王子城の落城の後に関東地方では大規模な戦いは無くなりました。

そうして戦国時代は終焉を迎えたのです。

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撮影日時;2008年2月19日午前11時ー12時、

撮影場所、八王子市城山東斜面の八王子城主殿跡付近(尚、本丸は主殿うしろの城山山頂にあり、徒歩40分かかる)

東京都内から車で行く場合;中央高速道、八王子ICを出て16号線を甲州街道20号線まで行き右折し20号線をJR高尾駅手前の町田街道を右折。間もなく八王子霊園方面へ左折し中央高速道の下をくぐればすぐ左折。案内板にしたがって800メートル上ると八王子城跡専用無料駐車場がある。JR中央線で行く場合は終点の高尾駅下車、北口からバスがあるが、よく調べてから行く必要がある。(以上)


山林の中に小屋を作る方法です

2011年08月27日 | 日記・エッセイ・コラム

@小屋の位置と庭の造り方の関係を考え楽しく作る!

いわゆる別荘は高価なので、公道に面したある山林を100坪から1000坪の広さで購入したとすます。その後どのように小屋を作るかは各人各様で良いのです。

今回は理想的な小屋の作り方と庭の造り方の一つの例を示そうと思います。

鬼家雅雄さんの小屋の作りかたは多くの人々が羨むような進め方と思います。

鬼家雅雄さん自身のことはご本人のブログ:

http://park23.wakwak.com./~satoyama66/ に詳しく出ています。

鬼家さんとは平成4年以来のお付き合いです。心優しく、すなおで、そしてかなりのロマンチストです。このご性格が小屋の構造、配置と庭の小川と池の様子に反映し訪れる人の心を和ませます。

東側に谷川、そしてなだらかな日当たりの良い斜面、それに続く1000坪ほどの雑木林の平地。まずプレハブの生活用の母屋を作ったそうです。それからが実に面白いのです。まず母屋のそばに3階立ての見晴らしの良い小部屋を作り無線交信の趣味の場所にしました。その下に暖炉のある部屋も作りました。

その次が母屋から数メートル離して木工の趣味の広い部屋を鉄筋コンクリートで自作しました。この部屋の2階は広い夏用の寝室と鉢植え用の屋上にしました。

母屋の2階と趣味の部屋の2階をつなぐアーチ形の天空にかかる橋を作りました。

Photo_3 ここに示した写真がこの天空の橋です。この橋を渡るときの爽快感が素晴らしいのですが、渡り切ったところにはガラス張りの小部屋があり陽が明るく射し込んでいます。夕日を見ながらビールを飲む部屋だそうです。

Photo_4 この写真が天空の橋の向こうの小部屋を示しています。

小部屋の右手奥には種々の草花を育てる鉢植え用の広い屋上が広がっています。

Photo_7 この写真では冬なので鉢植えは無くただ広い空間があります。その向こうに夏用の寝室の窓が見えます。

Photo_5 谷川へ続く斜面には水芭蕉を植えた池と谷川の向こう側にはこの写真のような大きな池を作り魚を放してあります。青サギやカワセミが魚を取りによく来るそうです。

母屋には冬用の居間と風呂部屋があります。白い玉石を敷き詰めた水洗トイレの部屋もあります。

鬼家雅雄さんは始めのプレハブの母屋以外は全てご自分で少しずつ作ってきたそうです。

Photo_8 この最後の写真の示すように人里はなれた山林の中に植物栽培や木工の趣味を楽しむ部屋をゆっくり作りあげました。天空の橋を行き来しながら春夏秋冬の季節の移り変わりを悠々と見下ろしています。55歳くらいで早めに引退し、山林の中に引っ越してきました。

山林の中に小屋を作る場合の理想的な作り方でないかと長年考えていましたのでご紹介しました。(終わり)

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人