今回、独りで山の小屋に2晩泊ってきました。小屋にはテレビも新聞も無いので読書をしてきました。2007年に文藝春秋社から出た佐藤優の「私のマルクス」というぶ厚い本です。以前に同じ著者の「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」という本と「自壊する帝国」という本を読んで感動したので、もう一冊読んで見ようと2008年に購入して山小屋に置いていた本です。読み始めてつまらなくなり放り出していた本です。
ご存知のように佐藤優さんは鈴木宗雄代議士の逮捕に関連して逮捕され1年半もの長期拘留を経て懲役2年6月執行猶予4年の判決が最高裁で確定された人です。
「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」という本は外務省の官僚主義の悪を赤裸々にあばきだした驚くべき内容でした。そこまで書けば外務省は、将来の長い年月にわたって国民の誰もが信用しなくなるような事まで書いてしまいました。
同じように国家官僚組織の一部である検察官も裁判官も佐藤さんを有罪にしたくなる気持ちが分かります。起訴内容が普通なら犯罪にならないような会計操作の不注意だけなのです。
佐藤さんの本の内容は国民にとって興味深いものです。しかし官僚組織にとっては回復困難な打撃になっていると思います。外務省にとっても佐藤さんにとっても不幸な事件でした。
「自壊する帝国」の方はソ連の1991年の崩壊の時に、モスクワの日本大使館に勤務していた間の見聞録です。
ソ連崩壊過程の時々刻々の情報収集と分析を大使館で佐藤さんが担当していた時の見聞を、かなりどぎつく描いた本です。
どぎついだけでなく佐藤さんはソ連中央政府のゴルバチョフやエリチィンの側近と実に親しく付き合っていたのです。彼の共産主義とキリスト教神学の学識がソ連の政治家へ感銘を与えていたのです。佐藤さんは当時のソ連政府の要人に尊敬されていたのです。ですからこそソ連の国家機密情報すら入手出来たのです。彼はモスクワ大学の神学部で講義もしていたのです。
この2つの本は大宅ノンフィクション賞と毎日出版文化賞をとっています。読みやすく、内容がドラマチックなのです。活きた歴史の一章を見事に描き出しています。
しかし「私のマルクス」という本は自分の出生や浦和高校時代や同志社大学神学部での時代の事が長々と書きこんでいます。高校でも大学でも学生政治運動のある派閥のリーダー的活動家でした。学生の政治運動には民青、中核、革マル、などなどといろいろな派閥があり、相互に血を血で洗うゲバを繰り返していたのです。本人にとっては重大な問題で、長々しい記述が続きます。私はつまらいので途中で投げ出していました。
今回、山の小屋でもう一度この本をとりあげました。二つの明快な目的を持って読み始めました。「一体、佐藤優さんはキリスト教信者なのか?それともマルクス主義信奉者者なのか?」。そうして、「何故彼はキリスト教とマルクス主義の両方へ近づいて行ったのか」
この二つの疑問はどのようにでも答えられます。しかし安易な答えは解答の一部であったり、一側面に過ぎないことが多いのです。そのことはいずれ稿を改めて書いて見たいと思います。
今回は長くなり過ぎたので、結論だけを記します。佐藤さんは自分で書いています。自分はキリスト教信者です。マルクス主義者になったことは一度もありません。本人がそう書いているのですから反対する必要はありません。
キリスト教とマルクス主義に近づいたのは母親がクリスチャンで日本社会党の熱心な支持者だったからです。そして母の14歳も年上の兄が社会党の政治家であり、彼からの影響が大きかったのです。
それでは母親がクリスチャンで日本社会党の熱心な支持者だったのは何故でしょうか?いずれその回答を私なりに考えてみたいと思います。
いずれにしても、佐藤優さんの一生はキリストとマルクスの間を揺れ動く不運なものでは無ないでしょうか?抜群の知性を持ちながら、なぜかリスキーな一生になりそうです。それはバランス感覚が無いというような軽い問題ではなく根源的な「さが」のようにも思います。
「私のマルクス」という本は彼の青春の回想録のような部分が多いのです。親友のこと、自分を愛してくれた先生のことなどが温かい筆致で書いてあります。その部分は読んでいて心が和みます。ホッとします。「私のマルクス」は山小屋に置いておき、時々静かに読み返したい本になりまました。
佐藤優さんはその後多数の本を出しています。しかし私は上に紹介した3冊だけで十分な気が致します。あなた様のご意見を頂ければ嬉しく思います。(終わり)