よく涙を流す。よく泣く。そして些細な可笑しさでクスクス笑う。とても面白いことでは声をあげて大笑いする。これこそ老人の健康法と私は信じています。精神が毎日、毎日いきいきとして健康的な感じがします。
昨日見た新聞やテレビの番組について書くのは軽率とは思います。しかし昨日見たソルジェニーチンの一生は涙なしには見られませんでした。NHKのEテレの夜10時から11時までの番組でした。
もう忘れた方々も多いと思いますが、ソ連時代に「収容所列島」という本を書いて、国外追放された人です。ブレジネフ首相によってアメリカに追いやられ、悲しい亡命生活をしていました。それがソ連の崩壊後、1994年にエリツエン大統領に招かれて帰国します。その後、プーチン大統領とも何度も会い、新制ロシアの国内政策の方向性に大きな影響を与え、2004年ころ亡くなりました。奥さんはまだ元気で夫の考え方を分かり易く説明していました。
日本のマスコミではブレジネフ時代にアメリカへ追放された事。そして「収容所列島」はソ連国内では出版禁止な事。この2つの報道だけで、その後の事は出て来ません。
ゴルバチョフ以前のロシア、そしてエリツエン以後のロシアの実態を知るにはソルジェニーチンが帰国後なにをなしたかを報道すれば明快に分かります。
1994年にエイリツエン大統領に招かれた彼は奥さんとともに、ウラジオストックに帰ってきます。そして2ケ月かけて、かつて彼が収容されていた貧しいシベリアの農村を丁寧に歩きまわるのです。スターリン時代に2000万人の人々が、反体制的という理由だけで逮捕され、シベリアへ送られたのです。
収容所のあった農村地帯は1994年でも食糧難で、栄養失調の子供達が沢山遊んでいるのです。急ぎ過ぎた改革で貧富の差が極端に進み、農村が犠牲になったのです。その場面をみて涙が流れます。農村だけではありません。都会には物乞いする人々が溢れて居たのです。ソルジジェニーチンはモスクワに到着し、エリツエン大統領に会い、急ぎ過ぎた資本主義の導入で起きた悲惨な状態を赤裸々に訴えるのです。
プーチンがその意見に賛同してロシアの経済を建てなおしたのです。
20世紀のロシアは国民にとって煉獄でした。2000万人もの人々が逮捕され、シベリア送りになったのです。スターリンの政敵は情容赦なく即刻、死刑です。
この20世紀のロシアの実態を知れば知るほど言葉を失います。
そして決して良い事だけではなかった日本とつい較べてしまいます。あなたは日本に生まれ育った事を幸運だったと思いますか? それとも不幸だったと思いますか?そして日本の将来をどのようにお考えでしょうか?
下の静かな風景を見て、しばし20世紀という時代を思い返すのも良いと思います。よりよい将来を作るためには過去へ目をそむけてはいけないと信じています。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人