私は宗教の自由が行き渡っている日本が大好きです。宗教上の激しい争いや対立の無い日本が好きです。私はカトリック信者ですが仏教が大好きです。日本が仏教の影響を受けた高い文化を有していることに敬意さえ感じています。日本人の大部分は仏教に好意的です。しかし大部分の人々は自分は無宗教と思っています。寺院のあり方や、佛教宗派の組織はあまり好きではありません。
そんな日本の宗教風景が大好きです。
そこで日本の宗教風景の美しい所をスケッチ風に描いて見ようと思い、いろいろ調べていました。すると志村建世さんという方の簡潔な水彩画のような随筆を見つけました。流れるような名文です。そして誰もが納得するような纏め方です。以下にご紹介いたします。志村建世さんは随筆の本を幾つか出版していらっしゃいます。それらも素晴らしい作品に違いないと想像しています。
転載をお許し下さいました志村建世さんへ感謝の意を表します。敬具、藤山杜人
志村 建世さんのProfile
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1933年東京生れ
履歴・学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在・窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト
(http://pub.ne.jp/shimura/?entry_id=67361)
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日本は宗教の自由天国 (2006年2月15日掲載記事)
これは、おそらく皆さんの大多数が同意する、平均的日本人の宗教的行動です。子供や孫の七五三のお祝いには、近所の神社にお参りして無事な成長を願い、記念写真をとります。年ごろになり結婚するときは、教会で賛美歌を聞き、神父さんの言葉に感動して神への従順を誓います。そして葬式では僧侶の読経を聞きながら故人を偲び、その後も七回忌、十三回忌などと世話になります。これらの行動をイスラムの宗教指導者に見せたら、驚き呆れ、やがて軽蔑の表情を浮かべることでしょう。私もそれを、何か恥ずかしいことのように感じていました。しかし宗教的確信が世界の平和を妨げている実情を知るにつれて、日本人のような各種宗教からの自由自在な「いいとこ取り」も、なかなかいい智恵ではないかと思うようになりました。ただ、この感覚をイスラム教の指導者にわかって貰うのは大変でしょう。
曽野綾子さんのエッセイを読んで感心したことがあります。曽野さんは、イスラム圏の若い女性たちを日本に招いたとき、女性の地位向上などということは一切言わずに、ただ、案内のコースの中で、日本の女性が生き生きと活躍している現場を、多く見せたのだそうです。そして、好奇心の強い彼女たちの質問に、正確な事実だけを答えました。帰国した彼女たちがどうなったかというと、全員がしっかりした意識を持ち、自国の改革に取り組む活動家になったということです。つまり、人間は、自分で確かめて自分の頭で考えたときに、変ることができるのです。イスラムの若い聖職者たちも、日本に招かれて日本人の実際の生活に触れたら、何か考えることがあるかもしれません。
私を含む平均的日本人が、無宗教者であるとは、私は思いません。見方によれば、すべての宗教を受容できる豊かな心の持ち主とも言えるのです。だとすると、多民族、多宗教が共存しなければならない世界の将来にとって、先導者の役割さえも果たせるかもしれません。(終り)
