後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

連日、猛暑なので冬山の写真をお送りします・・・涼んで下さい

2011年08月14日 | 写真

連日の猛暑ですね。冷房装置も節電で高めの温度設定なので汗が流れます。

そこで昨年の冬の写真をブログで見て、涼しい気分になっています。

昨年の12月に撮った写真をお送りいたします。

南アルプスの甲斐駒岳や北岳、間の岳、農鳥岳などの南アルプスの主峰の連山が雪で白く輝いているのが見えました。その前に立っている薬師、観音、地蔵、の鳳凰三山も雪で覆われています。その北西にある甲斐駒岳も雪雲が包んでいました。家内が走り回って構図を考えながら写真を撮りました。

風は寒かったですが、澄んだ新鮮な空気が、都会の汚れた空気の中で生活している者にとっては何よりの贈り物でした。写真をお楽しみ頂き、涼しい気分になって頂ければ嬉しく思います。

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明治維新以後の日本はアジアの植民地解放に貢献したーそれに感謝している国と感謝していない国―

2011年08月14日 | インポート

戦争は悪魔の所業です。戦争は絶対にしてはいけません。しかし明治維新以後の日本は数々の戦争をしました。大きな悲劇の傷跡は今でも残っています。

しかし結果的にアジアにあった欧米の植民地の解放と独立へ大きく貢献したことは歴史的事実であり、否定のしようがありません。しかし、この日本の貢献へ感謝している国と、反対に日本を憎んでいる国があるのです。結論を出す前に以下のエピソードをお読み下さい。

      ◎ ベトナムと日本の関係の歴史

1990年代に入り、日本企業は中国やベトナムへ工場を移転・拡大しはじめました。ところが、工場建設の許認可から、生産管理、利潤の送金などでトラブルが生じたのです。日本企業はアメリカやヨーロッパで工場を建設し、順調に生産を続けてきましたが、その経験が役に立たないのです。 そういった現実を踏まえて、あるビジネス学校が「ベトナム・中国ビジネス講座」という夜間講習会を実施したことがあります。私はその講座を企画し、講師を探す仕事を担当したことがありました。

ベトナムの企業活動に関する法律や規則を教える。ベトナム語を教える。そしてその他にベトナムと日本の関係の歴史を教える。この3分野をカバーしました。

日本との関係、特に第二次大戦中の関係については、日本の敗戦後ベトナムに残留してホーチーミンの部下としてフランスと戦った二人の日本兵と一人の銀行家を講師として依頼したのです。そして自らの見聞や体験を語ってもらいました。

     @温顔の将校ホーチーミン

フランスと戦った二人の日本兵が言います。「作戦の最中、川を渡ることがしばしばあった。川岸に来ると兵隊は下半身裸になり、服を着た将校を背負って渡る。軍隊では当たり前の習慣である。残留日本人は皆将校になったので、服を着たまま兵の肩に載って渡る。ふと前を見ると、将校服の老人がズボンをたくし上げて歩いて渡って行く。向こう岸にたどり着き、渡河した老将校の顔を見ると、それは温顔のホーチーミンだった。兵隊へ「ご苦労さん」と言っているようにニコニコ顔で振り返っていた。こんな場合、日本軍出の将校は兵から飛び降りる。一方ベトナム人将校は自分の行動を続ける。ホーチーミンも将校に歩いて渡れと命令しなし、そんなことを期待もしない。しかし、このエピソードは数日でベトナム全軍に広がる」

ベトナム兵の士気が上がるのは当然であろう。元日本兵はホーチーミンの部下として戦った6年間を人生の中で一番輝かしい期間だったと言う。

   @日本兵帰還の特別列車

1951年になり、朝鮮戦争が始まる。ホーチーミンは中国の毛沢東と相談してベトナムに居る日本兵を北京経由で帰国させることにしました。郷愁の念にかられる残留日本兵に深い感謝を伝え、北京までの特別列車を仕立て送り返したのです。

講師を引き受けたF氏とY氏になぜ残留したのですかと聞いた。「ホーチーミン軍に加われば、食料に困らないと聞いたからですよ。共産主義が正しいとか大東亜共栄圏がよいとか考えませんでした。食べ物の誘惑でしょうね」

     @ベトナムの銀行制度を作った横浜正金銀行の人

もう一人の講師H氏は元横浜正金銀行の幹部であった。ホーチーミン軍の財務担当幹部としてベトナムの銀行制度の骨子を作った。H氏は「ホーチーミンは官僚主義を憎んでいた。ベトナム共産党もすぐに官僚的文化に染まり、その結果、一般人民が被害を受けることを憎んでいた。彼は一般民衆の幸福を第一に考え、アメリカ、ソ連、中国からの完全な独立を確信していた」と語った。

この元横浜正金銀行の幹部であったH氏は帰国後も東京にベトナム大使館開設の為に働き、東京の代々木八幡に開設されたベトナム大使館に協力を続けていたのです。

  @日本へ感謝している国とそうでない国

さて、上に書いたエピソードはベトナムに関するエピソードです。しかし似たようなことはビルマやインドネシアなど幾つかの国々にもあり、日本はアジアの植民地解放に大きな貢献をしたのです。このことで日本へ今でも感謝している国々は、西から言うと、インド、ミャンマー、タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、インドネシア、等です。

反対に日本軍が占領して圧政を敷いた国々では日本を憎んでいます。中国、朝鮮、シンガポール、フィリッピン、マレーシア、などです。

植民地解放へ貢献しても占領して暴虐ぶりを見せつければ感謝されないのは当然ではないでしょうか?皆様は如何お考えでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。  藤山杜人