国分寺駅から府中へ行く国分寺街道が、大国霊神社の参道へ向かって行きます。そして参道のケヤキ並木が始まる交差点を右折し30mほど行くと左手に三角形の小さな公園があります。その公園に1996年から、不思議なブロンズ彫刻群が展示されています。何故かほのぼのとした気分になる作品群なので時々行って眺めています。
籔内佐斗司さんの経歴を下に示します。出典はWikipedea「籔内佐斗司」です。1953年、大阪府大阪市にて生まれる。大阪府立三国丘高等学校を経て、1978年、東京芸術大学美術学部彫刻科卒業。1980年、東京芸術大学大学院美術研究科澄川喜一研究室で彫刻を専攻し、修了する。1982年から1987年まで、東京芸術大学大学院美術研究科保存修復技術研究室の非常勤講師を勤める。仏像などの古美術の古典技法とその修復技術を研究、新薬師寺地蔵菩薩立像(奈良市)、平林寺十六羅漢像(新座市)などで東京芸術大学が中心となって行った、保存修復に参加する。1987年、彫刻家として活動を開始する。作品には、横浜ビジネスパークの「犬も歩けば」(1990年)など、パブリック・アートも多い。2004年、東京芸術大学大学院美術研究科文化財保存学専攻保存修復彫刻研究室教授に就任する。
老齢になると社会との縁も切れ、家族も離れ離れになり淋しくなります。その上、病気の2つや3つとお付き合いが出来てしまって毎日が憂鬱です。死ぬのも厭です。
人生の中のそのような期間は結構長く続きます。そこでその老齢期を明るく、楽しく暮らす方法を具体的に書いてみます。どれも私が毎日、実行して、成程、老後は楽しいと納得しているのです。ですから必ずや皆様のご同感が得られるという確信があります。それはそれとして、まず重要な事から順次箇条書きにして行きます。
(1)厭な事や不愉快な事が起きたら、絶対に何故起きたかと、その原因を考えない事です。原因を考えると自分を傷つけます。関係者を傷つけます。その事にこだわらないで、忘れることです。それは流れ行く日々の、つまらない一つのエピソードに過ぎないと思い込みます。これは自分で訓練すると意外に簡単に身に付きます。
(2)老齢になると病気の2つや3つが起きます。自然の摂理として病気とは気楽に付き合い、仲良くしましょう。
ここで重要な事は治療をしても良いし、しなくても良いと自由に考える事です。一番いけない事は病気を神経質に考えて毎日心配する事です。直るものはなおる、直らないものはなおらないと大らかな態度で病気と付き合います。私も3つほどかなり立派な病気を持っています。はじめはガタガタしましたが、すぐに気楽になり、毎日楽しい気分で過ごしています。私は病院の検査だけは受ける方針です。しかし検査は一切受けないでいる友人もいます。どうせ死ぬ時は死ぬとカラカラ笑っているのです。それも良いと感心して見ています。
(3)老齢になったら体力、気力が少なくなります。趣味も変えて行きましょう。無理は一番の禁物です。
最近、私はクルーザーの趣味をやめる決心をしました。この秋までに段階的に止めて行きます。
下に、めいこさんの趣味の絵画を示します。
そのめいこさんの最近の随筆に「限界」という題のついた文章がありました。友人と展覧会へ行き、広い上野公園を歩きまわる体力に限界を感じたという文章です。悲しい事ですが、何故か楽しそうな文章です。
それにしても、しめいこさんの絵は何時も明るく楽しい絵です。下の絵も明るい色彩で楽しそうな風景がいきいきと描いてあります。
(4)子供や孫の生活に干渉しないで、自分の世界をしっかり作って行きます。
老齢になると、孫がかわいいと思うのが自然です。訪ねてきたら可愛がってあげます。しかし自分からしょっちゅう訪ねるのは止めます。自分だけで旅をして楽しみましょう。私の場合はブログの為の取材活動が自分の独自の世界を作る上で大変重要になっています。特に夫婦が共に健康な間は2人で数多くの国内旅行をしましょう。いずれそれも出来なくなります。しかし楽しかった思い出が大きな心の財産として残ります。
(5)病気が怖い、死ぬのはもっと厭だといって宗教に過度にすがってはいけません。特に新興宗教や怪しげな祈祷師へは近づかないようにしましょう。
宗教を信じても死ぬ時は間違いなく死にます。宗教は楽しく日々を過ごすために役に立ちますが病気は直りません。しかし私はイエス様とお付き合いをしています。毎日が楽しくなるからです。それ以上のことは期待していません。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人