老人の私どもが買いものに出掛けるのは平日の日中です。
すると道や店で見かける人は同じような老人か、幼い子供をバギーに乗せた若い女性です。その他の年齢層の人々は学校や会社へ行っていて町にはいません。そこで、ついバギーの中の幼児を見て、その可愛い様子に見とれてしまいます。家内も同様です。その上、家内は、「可愛いお子様ですね」などと声をかけます。
するとその若い母親はとても嬉しそうにして、子供がよく見えるようにしてくれます。子供は、言葉も理解出来ないのに我々が可愛い子だと見つめているのを感じて、良い笑顔になって見上げます。特に大きなデパートのエレベーターの中ではゆっくり見ることが出来ます。幼児も目を大きく開けてこちらを見てくれます。母親も得意そうです。
幼児を乗せたバギーを見たら、あわてて道を開けます。殿さまのお通りなのです。すると母親がニコニコしながら、意気揚々と歩いて行きます。
その姿を見る度に子供を育てている女性ほど幸せなものは無い!と深い感慨を覚えます。女が世界の中心なのだと思ってしまいます。若い母親には怖いものがありません。子供を一心に育て、その合間、合間には夫の面倒を見ます。人生で一番幸福な時期です。忙しいはずですが、その忙しさが楽しいのです。
先日も山梨、勝沼の「ぶどうの丘」の店から外を見ましたら下のような4人家族の姿が見えました。一番幸福そうに見えたのは左端に歩いている若い母親です。夫と2人の男の子を引き連れて左の方向へ歩いています。一番下の男の子は池の中の魚に心を奪われて見詰めています。そのうち母親から声がかかる筈です。
「ああ楽しい光景を見た」と、こちらも幸せになりました。
と同時にこの一家のように幸多い人々だけでないことを考えていました。結婚しない人。結婚しても子供の出来ない人。貧しくて家庭が立ち行かなくなった人。そして今回の大津波で子供を失った人々。何故、世の中にはこんなにも悲しい事があるのでしょうか?
日本中の人々は大津波の悲劇をいつまでも忘れないと信じています。そして皆が祈っているのです。大津波に襲われた人々、原発事故の犠牲になった人々のために祈りながら「ぶどうの丘」を降りてきました。