人生の終り頃に、長い間心の底に澱んでいた想いを書くことにしました。誤解を恐れずに書いてしまいたいと考えるようになったのです。
澱んでいる問題は大小さまざまありますが、共産主義のことを連載で書きたいと思います。
若い頃、マルクスとエンゲルの書いた「共産党宣言」を読みました。岩波文庫の薄い本でした。衝撃を受けました。人間の歴史は階級闘争の歴史。資本家階級が労働者階級を搾取する。革命は銃口から生まれる。そして人間は私有財産を持たず皆が平等な平和な暮らしをする。共産主義による政治が究極の進歩した形。
そして共産主義は当然のことながら宗教を否定します。ヨーロッパに存在する貧富の差はキリスト教がその状態を放置していたせいです。
キリスト教が圧倒的に支配して来た2000年の歴史を持つヨーロッパ諸国にとっては驚天動地の考え方です。
私は自分の仕事に忙しく、共産主義運動には一切加わりませんでした。しかし、共産主義のことは心の底に澱んでいます。現在でも澱んでいます。一体、共産主義は何だったのだろうかという疑問を現在でも持っています。
中年になってカトリックの洗礼を受けてから明快に問題の性質がより深く分かるようになりました。キリスト教に入ってからは共産主義の功と罪を確信を持って言えるようになりました。
ソ連とアメリカの冷戦が1989年にアメリカの勝利で終わった後に、共産主義国家の国民の生活が赤裸々になったのです。それは人権抑圧の悲惨な生活でした。ソ連では食料不足で多数の人々が餓死した時代もあったのです。
しかし共産主義は20世紀の人類の歴史にとって非常に大きな良い影響と悪い影響を与えたことは否定の出来ない事実です。
共産主義がキリスト教圏のヨーロッパで生まれたのは、キリスト教の害毒を払拭しようという動機があったのです。共産主義は仏教圏では生まれません。
しかし人間は愚かなものです。キリスト教の害毒を除くために共産主義の害毒を持って来たのです。ソ連圏の諸国の国民は、革命が成功したはじめの頃は夢心地だったと思います。万民が平等な理想の社会が出来ると確信しました。しかしその夢心地は永くは続きませんでした。共産党独裁による人民の搾取と圧政へと次第に変わって行ったのです。
共産主義国家の種々の功と罪の問題はゆっくり書き続けたいと思います。
私は中国のある共産党員と親しく交流したことがあります。
共産党革命は中国人民を西欧の植民地的支配から解放しました。中華人民共和国の1949年の独立以来、1959年のソ連との決別までの10年間は夢心地でした。しかし共産党独裁は1966年からの10年間の「文化革命」という内戦を生みました。全ての国民に塗炭の苦しみを与えたのです。共産党政治は「人間崩壊」を生みます。何億という人民が人間崩壊したのです。魯迅も死に追いやられました。少なくとも30万人の人が殺されたのです。
この連載では共産党革命の功罪の功の部分も公平に書いて行きたいと思います。
それはそれとして、
今日も皆様の平和とご健康をお祈り申し上げます。藤山杜人