佐藤優氏の「私のマルクス」という本の内容は昨日ご紹介しました。
そこで今日はソ連が自分から崩壊する様子を赤裸々に書いた「自壊する帝国」という本の内容をご紹介します。そして続けて何故彼は懲役2年6月執行猶予4年の有罪判決が確定したかをご説明いたします。
(1)「自壊する帝国」の内容:
モスクワの政権をとっていたエリチィン大統領や政府高官がソ連帝国崩壊の前後にどのような運命をたどったか?著者の個人的体験を主軸にし、ロシア人の人間性をリアルに描きだした迫力あるノンフィクション力作です。人間が描いてあります。下手な小説より面白いのです。
同志社大学神学部で学んだ著者が、共産党政権下のモスクワ大学神学部で講義をしています。そうして共産国家の大学の神学部の実態を分かりやすく書いているのです。それはとても興味深い内容です。
共産主義国家では全ての私有財産は国有財産です。国家が崩壊すればこの国有財産の所有主が居なくなるのです。その財産を自分の権限の範囲で略奪して、自分の私有財産にします。
宗教弾圧担当のある高官は、弾圧するために国民から没収した歴史的価値の高いロシア時代のイコン(聖画)を何百枚も私有してしまいます。一枚一枚高額で売り飛ばし一財産を作ろうとしています。
国営企業の経営担当者達は仲間うちだけで、その企業の設備や生産物を勝手に売り飛ばし、一夜にして億万長者になります。共産主義体制は人間性を崩壊し、その結果、自壊するのです。
国家という所有主が居なくなるのですから勝手に分捕り合戦をしても訴える法律が存在しないのです。それは非道い話です。
1917年の革命以来、共産主義国家として世界に輝いていたソ連帝国が音をたてて崩れるのです。それは凄まじい光景です。歴史の大転換です。その様子をドラマチックに描いたのです。
2006年に出版後、広く読まれ、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しました。
その著者が、鈴木宗男衆議院代議士とともに2002年に逮捕され、514日も拘置所に留置された上に、最高裁で2年6月の懲役という判決を受けました。
訴えられた罪は外務省の予算の使用上の規則違反という罪です。
なんとしても不可解な事件ですね。
(2)何故、彼は懲役2年6月執行猶予4年の有罪判決を受けたか?
その答えは、2005年に出版された佐藤優著「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」という本の中にあります。読んでみると、なるほど、有罪は仕方ないという気分になります。
佐藤優氏は外務省の官吏でした。その官吏が外務省という「国家公務員組織」を破壊するような行動をとった様子がこの本に具体的に書いてあります。
国家公務員は年功序列や役職に対応して職務内容と権限の範囲が厳然と決まっています。それは明文化されてはいない場合が多いのですが鉄の掟なのです。厳しい掟なのです。それを佐藤氏は一顧だにしません。
小渕総理に重用された鈴木宗男氏と組んでエリチィン大統領と北方領土2島返還の実現を推進したのです。ロシア大使館所属の一介の外交官が大使以上の権限を発揮し、外務大臣さえ無視して2島返還交渉をしたのです。
何故2島返還はいけないのでしょうか?それは従来国家の威信をかけて4島返還と叫んで来た国策に反するからです。そしてアメリカ政府も2島返還には反対していたと言う伝聞もあったのです。それを鈴木宗男氏と佐藤優氏の個人プレイで2島返還の外交交渉をしたのです。
個人プレイは幾らしても民間では良いと思います。しかし官僚文化では、その全ての手柄は上司のものにしなければならないのです。そうしなければ出世もできないし、組織から放逐されます。これが国家公務員の厳然たる掟なのです。
佐藤氏はこの官僚文化の破壊をあまりにも何度もしてしまったのです。
検事も裁判官も国家公務員です。彼らの心の中で佐藤氏へ対する憎しみがあったに違いありません。その憎しみは、官僚文化の破壊をした者を憎む気持ちなのです。
鈴木宗男氏も外務省へ直接干渉し過ぎたのです。霞が関の官僚達はこの2人を有罪にしたくなるのは当然です。それが官僚の心理です。この2人は「国家の罠」ではなく、「官僚文化の罠」にはまったのです。
佐藤氏は不可能な4島返還よりも実現しやすい2島返還をすべきと個人的に主張しました。それも越権行為のように感じます。4島か2島かは国民の代表である衆議院や参議院で決め、その推進を総理大臣から外務大臣へ依頼し、外務官僚が先方と交渉するのが自然な流れです。
外交官が公やけに主張してはいけない事項です。それは上司へ対しての意見具申に限定すべきでした。勿論、外交にはトップ交渉や裏工作が欠かせません。しかし裏工作の仕掛け人があまり表に出て大声で国民を説得するのは望ましいことではありません。
佐藤氏は抜群に優秀な頭脳の持ち主だけではなく、まれに見る独創的能力の持ち主です。それが彼の悲劇でした。
独創的であれば官僚世界では必ず行き詰まるのです。佐藤氏や鈴木氏の逮捕、裁判劇は「官僚文化の死守」という視点から見ると理解しやすい社会現象と思いますが、如何でしょうか?
陪審員裁判制度導入後の裁判であったなら佐藤優氏は無罪になったとも考えれれます。皆様のご意見を頂ければ嬉しく思います。(終わり)