後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

老化すると社会現象や政治に関心が無くなる・・・自宅の中の事だけが関心事になる

2011年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム

私の友人や知り合いには老人が多いです。自分が老人なのでそれが自然です。

そんな友人に久しぶりに会って話をしていると、「ああ、彼も老化したなあ」と悲しくなることがしばしばあります。以前は社会の動向や政治を話題にし、談論風発だった彼がそのような話をしないのです。

こちらから議論を始めても興味が無い様子です。

わが身の事、特に病気や怪我の話だけをするようになります。自分の家の中で具合の悪い、「段差」の事だけを何度も話すようになるのです。こうして人間は次第に階段を下りて行くのです。

この記事の前の記事の、佐藤優氏が何故有罪になったかという文章へ興味が無かったら、それは「老化の証拠」です。もっとも佐藤氏が必ずしも上品ではないので読まないと言うなら、それは「老化の証拠」ではありません。

しかし以前から政治や社会現象へ一切興味が無い場合には上に書いた事は無効です。ご心配に及びません。

しかし以前から花々の写真が好きだった人がそのような写真に興味が無くなったらそれこそ「老化の証拠」なのです。

私はこのようにブログに駄文を書くのに興味が無くなったらそれは「老化の証拠」です。いずれそうなるに違いありません。しかしそれも自然の摂理として静かに受け入れる決心はしています。

あなたが他人のブログを読むことに興味を失ったら、それも「老化の証拠」です。以前から他人のブログに興味がなければそれは老化ではありません。

そんな詰まらない事を考えながら今日も「流れ行く日々」の一日になりました。

おやすみなさい。

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「自壊する帝国」の著者、佐藤優氏は何故有罪になったのでしょうか?・・・その簡単明瞭な説明

2011年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム

佐藤優氏の「私のマルクス」という本の内容は昨日ご紹介しました。

そこで今日はソ連が自分から崩壊する様子を赤裸々に書いた「自壊する帝国」という本の内容をご紹介します。そして続けて何故彼は懲役2年6月執行猶予4年の有罪判決が確定したかをご説明いたします。

(1)「自壊する帝国」の内容:

モスクワの政権をとっていたエリチィン大統領や政府高官がソ連帝国崩壊の前後にどのような運命をたどったか?著者の個人的体験を主軸にし、ロシア人の人間性をリアルに描きだした迫力あるノンフィクション力作です。人間が描いてあります。下手な小説より面白いのです。

同志社大学神学部で学んだ著者が、共産党政権下のモスクワ大学神学部で講義をしています。そうして共産国家の大学の神学部の実態を分かりやすく書いているのです。それはとても興味深い内容です。

共産主義国家では全ての私有財産は国有財産です。国家が崩壊すればこの国有財産の所有主が居なくなるのです。その財産を自分の権限の範囲で略奪して、自分の私有財産にします。

宗教弾圧担当のある高官は、弾圧するために国民から没収した歴史的価値の高いロシア時代のイコン(聖画)を何百枚も私有してしまいます。一枚一枚高額で売り飛ばし一財産を作ろうとしています。

国営企業の経営担当者達は仲間うちだけで、その企業の設備や生産物を勝手に売り飛ばし、一夜にして億万長者になります。共産主義体制は人間性を崩壊し、その結果、自壊するのです。

国家という所有主が居なくなるのですから勝手に分捕り合戦をしても訴える法律が存在しないのです。それは非道い話です。

1917年の革命以来、共産主義国家として世界に輝いていたソ連帝国が音をたてて崩れるのです。それは凄まじい光景です。歴史の大転換です。その様子をドラマチックに描いたのです。

2006年に出版後、広く読まれ、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しました。

その著者が、鈴木宗男衆議院代議士とともに2002年に逮捕され、514日も拘置所に留置された上に、最高裁で2年6月の懲役という判決を受けました。

訴えられた罪は外務省の予算の使用上の規則違反という罪です。

なんとしても不可解な事件ですね。

(2)何故、彼は懲役2年6月執行猶予4年の有罪判決を受けたか?

その答えは、2005年に出版された佐藤優著「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」という本の中にあります。読んでみると、なるほど、有罪は仕方ないという気分になります。

佐藤優氏は外務省の官吏でした。その官吏が外務省という「国家公務員組織」を破壊するような行動をとった様子がこの本に具体的に書いてあります。

国家公務員は年功序列や役職に対応して職務内容と権限の範囲が厳然と決まっています。それは明文化されてはいない場合が多いのですが鉄の掟なのです。厳しい掟なのです。それを佐藤氏は一顧だにしません。

小渕総理に重用された鈴木宗男氏と組んでエリチィン大統領と北方領土2島返還の実現を推進したのです。ロシア大使館所属の一介の外交官が大使以上の権限を発揮し、外務大臣さえ無視して2島返還交渉をしたのです。

何故2島返還はいけないのでしょうか?それは従来国家の威信をかけて4島返還と叫んで来た国策に反するからです。そしてアメリカ政府も2島返還には反対していたと言う伝聞もあったのです。それを鈴木宗男氏と佐藤優氏の個人プレイで2島返還の外交交渉をしたのです。

個人プレイは幾らしても民間では良いと思います。しかし官僚文化では、その全ての手柄は上司のものにしなければならないのです。そうしなければ出世もできないし、組織から放逐されます。これが国家公務員の厳然たる掟なのです。

佐藤氏はこの官僚文化の破壊をあまりにも何度もしてしまったのです。

検事も裁判官も国家公務員です。彼らの心の中で佐藤氏へ対する憎しみがあったに違いありません。その憎しみは、官僚文化の破壊をした者を憎む気持ちなのです。

鈴木宗男氏も外務省へ直接干渉し過ぎたのです。霞が関の官僚達はこの2人を有罪にしたくなるのは当然です。それが官僚の心理です。この2人は「国家の罠」ではなく、「官僚文化の罠」にはまったのです。

佐藤氏は不可能な4島返還よりも実現しやすい2島返還をすべきと個人的に主張しました。それも越権行為のように感じます。4島か2島かは国民の代表である衆議院や参議院で決め、その推進を総理大臣から外務大臣へ依頼し、外務官僚が先方と交渉するのが自然な流れです。

外交官が公やけに主張してはいけない事項です。それは上司へ対しての意見具申に限定すべきでした。勿論、外交にはトップ交渉や裏工作が欠かせません。しかし裏工作の仕掛け人があまり表に出て大声で国民を説得するのは望ましいことではありません。

佐藤氏は抜群に優秀な頭脳の持ち主だけではなく、まれに見る独創的能力の持ち主です。それが彼の悲劇でした。

独創的であれば官僚世界では必ず行き詰まるのです。佐藤氏や鈴木氏の逮捕、裁判劇は「官僚文化の死守」という視点から見ると理解しやすい社会現象と思いますが、如何でしょうか?

陪審員裁判制度導入後の裁判であったなら佐藤優氏は無罪になったとも考えれれます。皆様のご意見を頂ければ嬉しく思います。(終わり)


秋風の吹く富士、山中湖の写真をお楽しみ下さい

2011年08月16日 | インポート

いつまでもお暑いですね。まだまだ、この暑さが続くという天気予報にガッカリしています。

そこで富士山麓の冷気が吹いている山中湖の写真をお送りします。東京では35度のとき湖畔は26度の風が吹いていました。秋風です。その涼しさをご想像しながら写真をお楽しみ下さい。昨年の8月に撮った写真です。

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ガンの治療を断り美しく旅立って行った人の思い出

2011年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム
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この文章は2010年9月26日に掲載したものです。久しぶりに自分で読んで、しみじみとした気分になりましたので、再度、ここに掲載する次第です。

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私のマイフレに英国に住んでいる65歳位の男性がいます。Zonサノバビッチさんという名前で文章を趣味人倶楽部で発表しています。

その方が12年前に亡くなった英国人の友人を思い返して、書いた文章を見つけました。メールのやり取りをして、その文章をここに転載する許可を頂きました。しみじみとした文章です。そして美しく旅立った人のためにお墓を作るのです。最後の数行をお読み下さい。この数行の故に、私はZonサノバビッチさんと知り合ったことを誇りに思っています。

ガンの治療を断って静かに人生を終えた人は無宗教でした。私はいい加減なカトリック信者で、このブログでもキリスト教の宣伝まがいの文章を沢山書いています。しかし何時も無宗教の人々へ対する敬意を滲ませた文章を書いてきました。それが本当に良かったとも感じました。是非ご一読下さい。

=====Zon・サノバビッチさん著、「バイバイ」==========

私は、自分の人生において、あれほど感動した経験を持たない。

深い深い寝息を立てられること数時間。それがあるとき止ったと思うと、何か「上品な退席」をされるかのごとく、すっと逝かれた。

ホスピスでのことであったが、前日「気分が悪い」と言われたとき、その翌朝に亡くなるということが、私には分った。 時間まで、、。朝4時。

ジャックさんは、その2週間ほど前、医者から直接自分が癌の末期症状にあることを宣告され、何ら取り乱すことなく、私にこう言われた。

「わしは、もう永く生きてはいない。今度はあの世で会おう。」

(因みに、そのほぼ2年前、膀胱に癌細胞が発見されたとき、「もう年寄りだから」という理由で、手術を受けることを拒否されている。)

このことを思い出すたび、私はいつも目頭が熱くなる。

ジャックさんは、宗教的な人ではさらさらなかったが、その逝き方は実に綺麗であった。事実あれほど美しい死を見たことがない。人間、あんなに綺麗に死ねるものであろうか。 自分の死に対して、何ら「見返り」を期待せず、潔く「バイバイ」と手を振って逝かれた。私はそこにいたく感動したのである。

身寄りと言って大しておられなかったジャックさんの没後の処理は、結局私がすることになったが、彼の遺灰は全身、私の今のグリニッヂの家の庭に埋めた。そして、その上に、灯篭を置いた。

ただ遺憾なことに、私、この極めて上質な人間でおられたジャックさんに必ずしもいつも親切であったとは言いがたい。

今にしてすまないことをしたと思っているが、そんなことを言っても始まらない。私に出来る最高の恩返しは、これからの人生、いかに全うに生きるかということだけであろう。
ジャックさんが逝かれたのは、12年前の5月1日、未明のことである。  享年88歳。

=========終り=============

皆様のご健康を心からお祈り申し上げます。 藤山杜人