私の若い頃はとても貧乏でした。しかし皆の助けで何とか結婚式をあげました。新婚旅行は貧乏で行けませんでした。その結婚式の事を思い出しながら書いてみました。
========= ◎アメリカでの結婚 =======
1961年、オハイオ州コロンバス市で婚約者を日本から呼んで結婚式を挙げた。結婚式と披露宴の準備は、留学先のオハイオ州立大の教授と大学院生の奥さんたちが手づくりでしてくれた。招待状はきれいな花模様のカードに手書きする。式は大学内の教会を同級生が予約してくれ、年上の同級生が代父・代母になり、牧師の司式で行う。
披露宴はその地域で一番大きなヒルトンホテルでシャンペンとカナッペで祝う。大きなウエデイングケーキを全員で分けて食べながら、一時間ぐらいで終わる。日本の披露宴のように、仲人の挨拶や来賓の長い「演説」は一切ない。一般にアメリカのパーテーにはヤボな乾杯も迷惑なスピーチもない。三々五々お喋りしながら、飲んだり食べたりして散会する。それと同じである。
指導教授の奥さんが地元紙へ連絡してくれたおかげで、式前の準備やわれわれの様子が大きな写真三枚とともに新聞に掲載された。結婚祝いは、式の前に「結婚祝いのシャワー」と称して女性だけが家内をコーヒーと手作りのケーキの会へ呼んで、結婚したらすぐに使う鍋、食器、日用品を祝いのカードとともに手渡す。次の年に子供が生まれた時も、「出産祝いのシャワー」をしてくれ、かわいい服やタオル、毛布などをプレゼントされた。
子供用のベッドやバギーも貸してくれる。使用後は子供の生まれた他の夫婦へ回す。お返しのお礼などをしてはいけない。夫婦共働きで忙しいのに惜しみなく労力を提供してくれるアメリカでは、開拓時代からお金のない移住者が結婚・出産する時は皆で助け合うのが伝統なのだと言う。われわれをアメリカへの移住者と思ってくれていた。
@手づくりの伝統
このようにすべてを手づくりでやるのがアメリカ流の理想的な生き方である。結婚や出産も例外ではない。結婚後、古い車で少し遠方の鍾乳洞を見に行った。人家の見えない草原で車が動かなくなる。長時間途方に暮れていた時、子供連れの夫婦が通りかかった。何も言わないでニッコリし、目顔で「分かった。修理屋のある町まで引っ張って行く」と合図して遠方の町までけん引してくれた。家内がお礼にと少しの現金を紙に包み渡そうとするが受け取らない。あとで子供向きのお菓子を郵送したらサンキューカードが来た。
日本でも結婚は楽しいことであり、家族、友人も心から祝福してくれる。しかしそのやり方は違う。式は親族だけで行うので神式、仏式どちらでもアメリカの教会での結婚式と同じ雰囲気である。しかし、日本では現金を包んで披露宴に持って行く。仲人が長々と新郎新婦を紹介し、多数の来賓がスピーチする。お色直しと称して一緒に居てもらいたい新郎新婦が出たり入ったりして落ち着かない。帰りには引出物を渡される。
クオリティー・オブ・ライフ(人生の豊かさの質)の考え方は人さまざまで一つの定義は存在しない。結婚祝いの仕方が日米の違いを説明してくれている。可能ならすべて手づくりで―これがアメリカ流。日本では「借金してでもお金を気前よく使いましょう」ということになる。どちらもどこか不十分であるような気がする。しかし、どちらも正しいような気もする。(終わり)
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人