後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

何となく郷愁を感じさせる野火止用水の風景

2011年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム

江戸時代の初期の1655年に川越城主の松平伊豆守信綱が玉川上水から枝分かれした野火止用水を作りました。自分の領地だった所沢東部、新座市近辺の農産物増産のために明治維新までの長い間、威力を発揮したそうです。

そして1663年には平林寺を岩槻から野火止の地へ移転させたのです。現在も平林寺の裏の雑木林の中に野火止塚があります。野火を見はる高い小山です。

野火止用水は埼玉県の指定史跡として大切に保存されています。何となく郷愁をさそう風景なので時々散策に行きます。

下に現在の野火止用水の写真、その脇にある遊歩道の写真、近所の田園風景の写真、用水の説明板の写真を示します。平林寺に行ったら、その裏にある野火止用水も是非ご覧下さい。平林寺の裏に回るには新座市の市役所前の交差点を北方向へ入ります。一番下の写真が示すように、左手に平林寺の雑木林がある暗い道です。

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ヨット泊地の写真をご覧になってゆうゆうたる気分になって下さい

2011年08月29日 | 写真

夏が足早に過ぎようとしています。秋がやって来ます。何故かあわただしい季節ですね。三浦半島の先端の油壺のヨットの停泊地の風景写真をご覧になって、悠々たる気分になって下さい。

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撮影日時:2008年 5月27日午後2時頃、

撮影場所:三浦半島、三浦市三崎町、小網代湾の油壺ヨットハーバー及び油壺京急マリーナにて。


貧乏だった若い頃・・・アメリカでの結婚式の思い出

2011年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム

私の若い頃はとても貧乏でした。しかし皆の助けで何とか結婚式をあげました。新婚旅行は貧乏で行けませんでした。その結婚式の事を思い出しながら書いてみました。

========= ◎アメリカでの結婚 =======

1961年、オハイオ州コロンバス市で婚約者を日本から呼んで結婚式を挙げた。結婚式と披露宴の準備は、留学先のオハイオ州立大の教授と大学院生の奥さんたちが手づくりでしてくれた。招待状はきれいな花模様のカードに手書きする。式は大学内の教会を同級生が予約してくれ、年上の同級生が代父・代母になり、牧師の司式で行う。

披露宴はその地域で一番大きなヒルトンホテルでシャンペンとカナッペで祝う。大きなウエデイングケーキを全員で分けて食べながら、一時間ぐらいで終わる。日本の披露宴のように、仲人の挨拶や来賓の長い「演説」は一切ない。一般にアメリカのパーテーにはヤボな乾杯も迷惑なスピーチもない。三々五々お喋りしながら、飲んだり食べたりして散会する。それと同じである。

指導教授の奥さんが地元紙へ連絡してくれたおかげで、式前の準備やわれわれの様子が大きな写真三枚とともに新聞に掲載された。結婚祝いは、式の前に「結婚祝いのシャワー」と称して女性だけが家内をコーヒーと手作りのケーキの会へ呼んで、結婚したらすぐに使う鍋、食器、日用品を祝いのカードとともに手渡す。次の年に子供が生まれた時も、「出産祝いのシャワー」をしてくれ、かわいい服やタオル、毛布などをプレゼントされた。

子供用のベッドやバギーも貸してくれる。使用後は子供の生まれた他の夫婦へ回す。お返しのお礼などをしてはいけない。夫婦共働きで忙しいのに惜しみなく労力を提供してくれるアメリカでは、開拓時代からお金のない移住者が結婚・出産する時は皆で助け合うのが伝統なのだと言う。われわれをアメリカへの移住者と思ってくれていた。

          @手づくりの伝統

このようにすべてを手づくりでやるのがアメリカ流の理想的な生き方である。結婚や出産も例外ではない。結婚後、古い車で少し遠方の鍾乳洞を見に行った。人家の見えない草原で車が動かなくなる。長時間途方に暮れていた時、子供連れの夫婦が通りかかった。何も言わないでニッコリし、目顔で「分かった。修理屋のある町まで引っ張って行く」と合図して遠方の町までけん引してくれた。家内がお礼にと少しの現金を紙に包み渡そうとするが受け取らない。あとで子供向きのお菓子を郵送したらサンキューカードが来た。

日本でも結婚は楽しいことであり、家族、友人も心から祝福してくれる。しかしそのやり方は違う。式は親族だけで行うので神式、仏式どちらでもアメリカの教会での結婚式と同じ雰囲気である。しかし、日本では現金を包んで披露宴に持って行く。仲人が長々と新郎新婦を紹介し、多数の来賓がスピーチする。お色直しと称して一緒に居てもらいたい新郎新婦が出たり入ったりして落ち着かない。帰りには引出物を渡される。

クオリティー・オブ・ライフ(人生の豊かさの質)の考え方は人さまざまで一つの定義は存在しない。結婚祝いの仕方が日米の違いを説明してくれている。可能ならすべて手づくりで―これがアメリカ流。日本では「借金してでもお金を気前よく使いましょう」ということになる。どちらもどこか不十分であるような気がする。しかし、どちらも正しいような気もする。(終わり)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人