昭和11年生まれの私は水洗トイレというものを随分後まで見たことがありません。記憶に無いだけで、デパートなどで数回は見た事はあったかも知れませんが。仙台の郊外に住んでいましたが、地方の一般家庭には無かったのです。今で言う「ポットン・トイレ」でした。そのトイレの大小便を農民が毎月汲みに来て、田畑の肥料にしていました。団地では50年代の終り頃に水洗式になりましたが。
1960年にアメリカへ留学したら何処の家にも水洗トイレなので驚きました。それは素晴らしい設備です。毎日、毎日、感動していました。
ところが1962年に帰国してみると日本の一般家庭では相変わらず汲み取り式です。流石に農民が汲み取りには来ませんでしたが、「バキューム・カー」という自動車が来て大小便を吸いこんでいました。あたり一面に漂うその臭気は、それはひどいものでした。気絶しそうでした。今思い出してもゾッとする悪臭です。
しばらくアメリカの水洗トイレに慣れて帰国してみると日本のトイレが地獄のように感じられるのです。すっかり暗い気持ちになっていましたが1964年の東京オリンピックの頃から少しずつ水洗トイレが一般家庭へも普及し始めました。我が屋でも1966年に初めて取りつけました。まだ下水道や下水処理場が無かったので武蔵野台地特有の「吸い込み式下水処理装置」を裏庭に埋め込んで使っていました。その装置は底の開いた太い土管を土中に立てに埋め中に玉石を詰めただけのものでした。武蔵野台地は水捌けの良い関東ローム層なので、汚水は腐敗菌で液体になり下の関東ローム層へ吸い込まれて行くのです。完全に土中に埋めてあるので臭気も一切ありません。
それからかなり年数が経ってから下水道と汚水処理場が出来て、やっと水洗トイレが全家庭で取りつける規則になったのです。
私はこれでやっとアメリカに追いついたと大いに感動しました。現在でも、その事を昨日のように鮮明に覚えています。その事は誰にも言いませんでしたが、それこそが日本が先進国の仲間入りをした証拠だ信じています。
さて1974年に甲斐駒の麓の山林の中に小屋を作りました。そこは森の奥でとても淋しい所です。現在でも風景は一切変わっていません。小屋の窓から見える夕方の周りの淋しい風景写真を下に示します。
この山小屋は電気も水道もない状態から出発しました。当然、水洗トイレもありません。キャンプ生活用の携帯簡易トイレを30年使って過ごしました。
しかし水洗トイレが欲しかったのです。5年前に仕事を完全に止めたのを機会に水洗トイレを自分で作る決心をしました。いずれ作ろうと思い、1974年に小屋を作ったとき、「吸い込み式汚水処理装置」だけを小屋の裏の土中に作っておいてもらったのです。30年後にそれを活用することにしたのです。掘り返して見ると、完全に作った当時のままの状態で保存されています。
ホームセンターへ行って水洗トイレの便器と太い塩化ビニールの排水管を買って来ました。店員さんが水洗トイレは素人には無理ですよと言っています。
自分で作れるか心配でした。深く、深く、考えて一番重要な部分は陶器製の便器と太い排水用の管を隙間なく、完全に接合する部分だと確信しました。
もう一度、ホームセンターに行き、接合の為のパッキング用のゴムと特殊な締め具と接着剤を買って来ました。あとは丁寧に接合の作業を根気よくしました。
5年前に完成した水洗トイレの写真を下に示します。完成以来、臭気一つしないで清潔な状態を保っています。
水道が無いので水は庭の小川から汲んで来て水洗用の水槽に入れて置きます。寒冷地なので冬には水を貯めて置かないで、使う直前に水を入れます。それさえ注意すれば何も問題が起きません。
山の小屋へ行く度にこの水洗トイレをしげしげと眺め、独りで満足感に浸っています。 詰まらない話を長々と書きましてご免なさい。
しかし日本には水洗トイレが普及していなかった事実を忘れないで下さい。
水洗トイレも作らないでゼロ戦や、大和や武蔵という巨大な軍艦を作っていた時代の事をけっして忘れないで欲しいのです。(終り)
民主党の代表を決める選挙が近く行われるようです。その選挙で決まる代表は次期総理大臣になる予定です。しかし、その任期は党則に従って来年の9月までです。
またまた任期が1年と短命の総理大臣が生まれるのです。
小泉総理大臣の任期は5年ありましたが、その後の安部総理、福田総理、麻生総理、鳩山総理、菅総理の5人の任期はすべて1年前後です。そして次期総理大臣の任期も1年なのです。
6人もの総理大臣が続けて毎年変わるという日本の政治は国際的に見ると非常に奇異であり、異常と考えられと思います。
外国の大統領や総理大臣は普通4年以上から8年です。日本だけが1年です。これでは外国は日本の誰を信用して重要な外交案件を誰と交渉すれば良いのでしょう?こんなに短命な総理大臣では日本の外交の継続性が信用出来なくなります。
国際社会で日本が軽視されるのが自然ではないでしょうか。
日本の国際社会での政治的立場が弱くなるのです。
もっとも日本の信用や信頼感は政治家だけが背負っているのではありません。ホンダ、ニッサン、トヨタのような製造会社などの外国での活躍も日本への信頼感を強くしています。大会社だけではなく数多くの中小企業の製造技術が外国から尊敬されています。海外で活躍している芸術家も日本への信頼感を大きくしています。
しかしそれにしても日本の政治は貧弱すぎます。総理大臣職を1年毎にたらいまわしにして権力の甘さを皆で楽しんでいるだけです。総理大臣はますます小粒になります。総理大臣の国家意識や歴史観が薄弱になる一方です。実に困ったものです。
昨日の新聞で中曽根康弘氏は「市民生活第一主義の菅総理の限界」という趣旨の評論を書いています。いやしくも総理大臣は日本の文化や歴史の継続性をどの様に理解し、信じているかという信念を持っているべきです。それなのに菅総理はその発想が皆無で、一般市民の生活感情だけを重大に考えている。これは総理大臣としての資格に欠けている。一般市民が放射能が怖いというから原発は止めようと発言します。止めるにはその準備と、各界の人々の意見の調整をすべきです。それを一切無しで、軽い発言をする事自体が菅総理の限界です。というような論旨でした。同感です。
肉体は老いたりと言えども、中曽根康弘氏の頭脳は若々しいのです。頭脳は全然老いていません。全ての老人もこのようになりたいものです。
皆様からのコメントをお待ち致しています。(終り)
最近の大人は、「なに、無理に結婚なんてしないほうが良いよ」などと無責任な事を気楽に言います。そのくせ自分は結婚していて子供を持っているのです。そんな風潮なので結婚しない人が多くなりました。困った風潮です。
しかし結婚を望まない人はこの文章を無視して下さい。読まないで下さい。「結婚こそ人生の一大事」と信じている老人が、自分の経験だけから書く文章です。当然、普遍的な真理を書くつもりではありませんから。
私は家内と50年の結婚生活を続ています。しかしまだ飽きて居ません。この50年を振り返ってやっぱり結婚こそ人生で一番重要なことだと確信を持って言えます。この確信には私のような凡人にとってはという限定条件がつきますが。
理由が幾つかあります。
1)新婚の間は恋人と一緒に暮らす幸せを味わえます。
2)子供が小さい間は子供と一緒に遊ぶ楽しさがあります。
3)子供達が成長して、それぞれ結婚をすると自分の責務を果たしたという充実感を味わうことが出来ます。
4)孫が出来ると自分の子供より可愛いという体験をします。又楽しみが増えます。
5)老後は夫婦2人だけで旅をしたりして、新婚の頃のような生活を楽しめます。
上に書いた1)から5)までは偶然にも相性の良い女性と結婚できた私の経験です。途中で離婚したりした場合は上の1)から5)は無意味になります。ですから、あんまり本気に信用しないで下さい。
しかし、結婚が運良くうまく行くと、以上のような幸せを一生味わう事が出来るのです。そしてその確率は70%もあるのです。(結婚したカップルの30%は離婚と言いますから)。
結婚で幸せになれる確率がこんなに高いのです。一般的に言えば、結婚はやはりした方が良いという結論になります。
さて、それでは婚活で成功するにはどうすれば良いのでしょうか?成功の秘訣はあるのでしょうか?結婚の成功はカップルの相性によって決まるから秘訣なんて無いと言う人もいます。
しかし私は秘訣はあると信じています。それは男性が結婚で一番強く何を求めているかという事によって決まります。その逆も真で、女性が結婚で何を求めているかを考えると婚活は成功します。
昔は花嫁修業として裁縫、料理、活け花、茶道などを熱心に習ったものです。当時、結婚とは女性が嫁として先方の家に入り、その家を支える事が重要視されていたのです。
現在はこのような花嫁修業は完全に無くなりました。それでは結婚の目的はどのように変わったのでしょうか?断言的に言えば、結婚の目的は2人で楽しい生活をしたいからするのです。嫁に入るのではありません。相手の家族のことは度外視してよいのです。
婚活で成功する秘訣は、「私と一緒になると楽しいですよ」というメッセージをいろいろな方法で伝える事です。自分の家柄が良いとか、収入が多いとか、ルックスが良いというような条件を考えると失敗します。全ての条件を考えないで、ひたすら楽しい会話を続ける訓練をする事こそが一番重要です。
家柄が良く、財産もあり、美人の女性が縁遠い場合は自分の条件を意識するから男が逃げて行くのです。あまり長くなりますので、今日はここまでにして置きます。
下に4人の家族の幸福そうな風景写真をそえます。先週、山梨で見た光景です。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人