(左の福島原発の爆発の写真の出典: http://yokotakanko.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/31-682c.html )
福島原発事故の総括(1)どのような経過で何処が壊れたか? という記事に続いて第二回目の記事は、福島原発事故の総括(2)原爆168個分のセシウム137飛散と、6ケ月後の福島県と全国の放射能汚染 という題でした。そして3回目の記事は、福島原発事故の総括(3)どんなに大きな地震や大津波が起きても、もう日本人は永久に驚かない というものでした。
考えてみると福島原発の爆発事故は単に放射能汚染で広大な地域の人々を強制移住させただけでなく、全日本人の考え方や思想へ大きな変化をもたらしたのです。その大変化は原発事故と大津波の恐ろしい映像が重なって、人々の心を根底からゆさぶり、将来への考え方、人生観まで変えてしまったのです。
変わったことは幾つもありますが、今回は2つの事を指摘したいと思います。
一つは「結局、原発も原爆も同じだった」という印象を人々が持ってしまったことです。
もう一つは日本は二流国家になっても良いから原発をやめようという「階段を下りる」風潮が広がっていることです。
広島の原爆は26万人、長崎は6万人の人が一瞬にして死にました。爆風と熱線で死んだのです。福島原発では犠牲者は居ませんでした、しかし放射能汚染は原爆以上に広いものでした。風評被害は広がり、その上、半径20以内と飯舘村や浪江町には今後40年、50年と人が住めなくなったのです。
日本各地にまだ50基ほどの原発が残っています。それらが水素爆発すれば原爆以上に広い範囲に放射能汚染地帯を作るのです。
雑な理解で残念ですが、原発も原爆も同じだという印象が広がってしまったのです。この結果、今後の日本のエネルギー政策には原発を段階的に少なくして行く方向にならざると得ません。
従来は日本のGDPはアメリカの次で世界2位でした。それが昨年、中国に抜かれてしまいました。その事と今回の大津波や原発事故で国民は意気消沈しました。もう世界の一流国になろうという希望は捨てて、経済規模が縮小しても安全で、誰もが安心して暮らせる国にしようと考え始めました。
先日アメリカの知日派のアーミテージ元国務副長官がこの傾向を指摘し、それは敗北主義で良くないと日本人を鼓舞していました。
アメリカの国際指導力が低下しつつあるとき、その同盟国の日本が弱気になってしまっては困るのです。
戦前生まれで戦後の復興、そして高度成長期に人生を送った私にとっては、上のような傾向を悲しく思われます。
原爆と原発は本質的に異なるのに、同じと理解することも大変残念な風潮です。
それを同じとして原発へ感情的に反対する態度は雑過ぎると思います。
この夏は節電に成功して停電はありませんでした。原発を何個、廃止して、何基残せば電力が不足しないかという現実的な議論をすべき時だと信じています。そして電気代が大幅に高くならなければ実験用の原発施設だけを残せは良いと思います。
そろそろ国民が冷静になって将来のエネルギー政策を考えるべきと思います。東北地方の災害復旧は今後も何年間も続く仕事です。それと並行して原発や将来のエネルギー政策を考えるのが良いと信じています。
皆様のコメントを頂ければ嬉しく思います。(続く)