後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

オハイオ州立大学の同窓会と日本の同窓会の比較

2011年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム

60歳を過ぎると引退する人も多く、同窓会が頻繁になります。時々、出席を強要される場合もあり困ったこともありました。しかし所詮、昔話の会合なのでもっと気楽に、自由参加の雰囲気で開催して貰いたいと思うのは私だけでしょうか?  ・・・・・○アメリカの同窓会の気楽さ・・・・・

学歴によって差別しないアメリカ社会では、どの学校を卒業したかは重要ではありません。多くの学校では開校記念日などを「ホームカミング・デイ」と称して、老若男女の同窓生が学校へ気楽に帰って来ます。卒業した時代ごとや、学生クラブごとの昼食会をした後、校内を散歩し個人個人が学生時代を懐かしむのです。

フットボールで有名なオハイオ州立大学の各学科の同窓会は、フットボールの試合の日に開かれます。従って、毎年、開催日が違います。学科ごとの昼食会に出席し、格安の入場券を買います。昼食後は大きなスタジアムへ行き、母校のチームを応援するのです。勿論遠方の一は出席しません。好きな人だけが気楽に何年かおきに出るようです。

オハイオ州立大学の金属工学科では、慈悲深いマフィヤの親分のように見える老学科主任だけが昼食会へ出席します。他の教授連は出ません。アメリカ社会の同窓会は自由な雰囲気がみなぎり、個人の楽しみを重視し、日本のように強固な同窓会としての組織が無いところが多いようです。

日本の高校や大学では卒業生を自動的に同窓会組織へ入会させ、毎年会費を徴収しようとします。また、体育系の部活動の遠征費などへの寄付を呼びかけて来ます。どこで入手するのか、同窓生名簿を使って投資や商品購入の勧誘の電話まで来ます。

アメリカの同窓会を体験し、日本と比較すると、学校制度の役割の違いも理解できるようです。本来、どこの学校に入学するかは個人の自由で、同窓会組織に入会するか否かも個人の自由なのです。

・・・・・○アメリカの大学の同窓会の日本支部・・・・・

戦後65年以上になると、日本の高校を卒業してアメリカの大学へ入学、卒業する人の数も多くなります。従って、有名アメリカ大学にはたいてい同窓会の日本支部が組織化されています。ある有名大学はその日本支部を利用して大企業から研究費や寄付金を集めているのさえあります。

事の善悪は問いませんが、何かアメリカ文化のよさを歪曲しているようで困ったものです。

オハイオ州立大学の同窓会にも日本支部があります。卒業生で大企業の社長になった人がなんとなく交代で会長になり、毎年一回、夕食会の開催を連絡してくるのです。参加者は受付で夕食代を支払って入り、アメリカ流に三々五々飲み始めます。偉い人の退屈な長い挨拶や話が無いのが良い雰囲気を作ります。

オハイオ・コロンバスの昔話を楽しむ会です。多く出る話題は英語に苦労した話、学生時代の貧乏生活の話などです。最後に参加者の健康を祝し乾杯をして終わります。下の写真の出典は、Ohio State University の Home Page より。

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全ての国宝「源氏物語絵巻」が一度に見られる展示会!・・・上野の藝大で

2011年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム

国宝の源氏物語絵巻は名古屋の徳川美術館と東京の五島美術館にあります。

源氏物語は1000年前に紫式部のよって書かれました。その絵巻はそれから300年位後になって描かれたのです。

絵巻には美しい場面が描かれ、詞書(ことばがき)が綴られた雅びな巻き物です。残っている物は56面しかありません。

古びた絵巻をそのまま忠実に藝大生が2枚ずつ模写した作品が展示してあります。その現状模写がまた良いのです。鮮やかなな色を使っていません。シミもハクラクもそのままに写してあります。  特に徳川美術館から実物を4点借り出して並べて展示してありますので、56面の丁寧な模写の有様がよくわかります。絵もさることながら、詞書の料紙の精巧な美しさと、

文字の見事さにおどろかされました。学生・卒業生・指導教官の7年に亘る努力に頭が下がります。     

9月25日の日曜日の午後4:30時までです。お急ぎ下さい。

場所は上野の東京藝術大学大学美術館です。源氏物語のお好きな方はお見逃しないように祈っています。

但し、展示してあるガラスケースの周りには中高年のご婦人がたがビッシリと並んでいます。その列に従ってゆっくりと見る決心をしてから、お出掛け下さい。

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あなたが初めて買った車は?・・・私の場合をご紹介いたします

2011年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム

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年をとって老年になると若い頃、初めて買った車が妙に懐かしく思い出されます。

あなたは初めての車が懐かしいでしょうか?どのような車をお買いになってでしょうか?

詰まらない私の思い出話です。お読み頂くほどの内容はございません。

私の初めての車はアメリカで買った中古車の1956年型ダッジ・コルネットでした。1961年春の事でした。

中古車は当たり外れが多いのものですが、現地の人を信用して判断を任せて買いました。それが良い思い出になりました。

新婚の妻は色合いを最重要視しますので、クリーム色と水色のツートンカラーの車を中古車を店から借り出しました。そうして近所の修理専門の職人の裏庭へ持ち込み意見を聞きました。

噛みタバコをいつも口に入れている老人のピートが、自宅で個人経営の修理屋をしているのです。

仰向けになり車の下へもぐり込み、あちこちをハンマーで叩きながら丁寧に見てくれます。そして「この車は買って良いよ」と結論を一言だけ言いました。謝礼を支払おうとしても受け取らないのです。その後色々小さな故障が起きる度にピートに直して貰ったものです。

最初に買った車なので嬉しく、暇さえあればオハイオ州のあちこちへドライブしました。

ある時、オハイオ キャバーンという大鍾乳洞を見に行きました。ところが帰りの田舎道で突然エンジンが止ってしまいました。周りには人家が無く、一面のトウモロコシ畑です。家内が心細そうにしていますが、どうしようもありません。

30分程途方にくれて居た時、一台の車が通りがかります。止まってくれた車には子供連れの若い家族が乗っています。

夫がこちらの車のボンネットを開け、「ディステュリビューターが壊れている。町まで引っ張って行って上げるよ」と言ってくれました。

30kmくらい離れた小さな町の修理屋ですぐに直りました。

牽引してくれた人にもお礼のお金を上げようとしたが受け取りません。無事、帰宅後に妻が先方の子供の喜びそうな玩具とお菓子を送ったのを覚えています。

ダッジ・コルネットにまつわる思い出は沢山ありますが、この話が一番忘れられません。

その最初の車は中古のせいで小さな故障をよくしたものです。しかし大型乗用車なので乗り心地は抜群です。帰国後、現在までに14台の車に乗りましたが、ダッジ・コルネットほど乗り心地の良い車に乗ったことがありません。アメリカが華やかだった頃の文字通りの「アメ車」でした。懐かしい車でした。

下の写真の小さな車は1962年の帰国後、初めて日本で買ったマツダ・クーペです。アメリカの大型車に比較すると落差が大きすぎて同じ車とは思えません。

しかし楽しい車でした。富士五湖や山梨の芦安温泉や夜叉神峠まで走らせても故障しません。ただ空冷エンジンが焼けるので時々道傍に止めて後部のエンジンルームの蓋を開けて冷ましたものでした。こんな小さな軽自動車(360cc)でも4人乗りだったのです。日本の経済が高度成長する前の懐かしい時代のことでした。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。

藤山杜人