後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

記事を訂正し、お詫び申し上げます

2011年09月14日 | 日記・エッセイ・コラム

今朝の8:59時掲載の記事、Jackさんのさわやかな生涯、美しい孤独な死、その人の墓を庭につくる話(1) の中の人名で、正しくは「Zonサノバビッチさん」と書くべきところを、小生の不注意で、「hoteisan2004」と書いてしまいました。

記事は訂正済みです。

大変ご迷惑をおかけ致しましたZonサノバビッチさんとhoteisan2004さんへ心からお詫び申し上げます。

またお読みになられた方々へも大変間違った事実をお伝えしてしまったことをお詫び申し上げます。

関係者の皆様にお許し頂くようにお願い申し上げます。

敬具、藤山杜人


実に下らないブログ記事の実例・・・「渚にたたずむ女」

2011年09月14日 | インポート

ブログは個人的な日記と同じなので何を書いても良いと言います。しかし社会性も無く、文化の香りも無い下らない記事はいけないと思います。

今日はその実例です。「渚にたたずむ女」として以下の写真を出します。瀬戸内海の穏やかな渚を撮った写真です。老妻が写っているので私には重要な写真です。しかし皆様にとってはまったく意味も無く、下らない写真です。

瀬戸内海は湖のように見える時もありますが潮流が激しいのです。鳴門の渦潮のようなものがあちこちの島陰にあります。その写真と、下の静かな写真を組み合わせると瀬戸内海を物語ることが出来ます。一方だけの写真記事は実に下りません。それも老妻の写真なんか誰も見たくないものです。彼女は買ったばかりのカメラに苦戦している場面です。コッソリ撮りました。

こういうのが下らない記事の実例になると思い、自分自身を戒めています。失礼しました。

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秋の旅へのお誘い(1)しまなみ海道・大三島、大山祇(おおやまづみ)神社

2011年09月14日 | 旅行記

仕事を引退すると時間に余裕が出来ます。現役の間は仕事が忙しく、とても観光旅行などを、ゆっくり楽しむような気分にはなれません。

しかし引退したお陰で、5年間ほど、家内と一緒に国内旅行をゆっくりと楽しんでいます。お金もかからず、厳しいスケジュールでない団体旅行に行ったり、個人的に計画して行ったりしています。大体2泊3日位が老人の私にとっては良いと思っています。しかし体力が無くなればそれも出来なくなります。皆様もご健康の間は是非、旅に出ると良いと思います。

国内旅行をすると、本当に日本は広くて多様な地方文化があることに驚かせられます。そこで、今回から「秋の旅へのお誘い」と出して、旅情報を連載していきたいと思います。

その第一回は尾道から今治の間にある「しまなみ海道」のなかにある大三島にある大山祇(おおやまづみ)神社をご紹介します。

尾道から向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島、と6つの大きな島々を橋で繋いで今治へ渡るのが「しまなみ海道」です。天気さえよければ風光絶佳です。それだけでは無く大三島にある大山祇(おおやまづみ)神社のたたずまいが良いのです。歴史の古さとはこういうものだと教えてくれるのです。日本の文化が香っています。そこに奉納された武具甲冑の展示が他に無いものです。全国の国宝・重要文化財に指定された武具類の8割が神社付属の宝物館にあるのです。

この神社が戦勝祈願の神社として長い歴史があったのです。全国に散在する大山祇神社、三島神社の総本社として現在でも重要な役割をしています。

このような神社が瀬戸内海の島の中の奥深い森の中にあったとは驚きです。関西の人々はご存知と思いますが、関東以北の人の為にご紹介しました。下には昨日撮った写真を示します。晴天でしたが、とにかく暑い日でした。

アクセスは大山祇神社を検索すると御座います。

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Jackさんのさわやかな生涯、美しい孤独な死、その人の墓を庭につくる話(1)

2011年09月14日 | 日記・エッセイ・コラム

ブログを通して知り合ったZonサノバビッチさんはロンドンに永らく住んでいます。その方がイギリス人のJackさんという方と知り合い、とても親しくなりました。Jackさんの死後、その遺骨をご自分の家の庭に埋め、その上に石灯籠を置きました。石灯籠がお墓の代わりになりました。孤独な方でしたので自然にそのようになったそうです。

ガンの治療を断り、静かに逝ったJackさんの死に方は見事でした。美しい亡くなり方でした。Zonサノバビッチさんがそのようなコメントを私のブログへ寄せて下さいました。

Jackさんは宗教とは縁の無い人でした。しかし美しい逝き方をしたそうです。生前どのような生活をしていたのか不思議に思っていました。そんな折に、Zonサノバビッチさんが、「Jackさんのこと」と題する一文と共に写真を私へ送って下さいました。

それにしてもこのようなJackさんを友人に持ったZonサノバビッチさんの生涯もさわやかなものだと感じました。彼は鏡のようにJackさんの人生を写し出し、鏡自身も同じ人生を送りたいと思っているようです。

いろいろな意味で考えさせる文章ですので、2回に分けて連載したいと思います。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

=======Zonサノバビッチさん著、「Jackさんのこと」=======

Img002_2 人間誰しも、ある程度永く生きていれば、何度か人の死に目に会うものです。そして、一口に「死」と言っても、いろいろな形態があることを知っています。

斯く言う私も、その例に漏れません。

然し、「死」が「美しいもの」でありうるということは知りませんでした。

実際、私、あれほど「美しい死」を見たことがありません。

また、あれ程、感動したこともありません。

ジャック アーテマス ツゥース(Jack Artemus Tooth)さん、1909331日、おじいさんの代から続いた、ロンドンの大きな美術商と言う家系に生を享けられました。

何不自由ない裕福な家庭に育たれましたが、残念なことに、生れついてのひどい喘息もち。命の綱、インヘイラー(inhaler、吸引器) をいつも使っておられました。そして、よく風邪を引かれましたが、一旦引かれると、一ヶ月は寝込まれると言う有様でした。

只、一度たりと愚痴を溢されたことはありません。実際、このことに限らず、私、ジャックさんが、どんな時にも落ち込んでおられるのを見たことがありません。

誰の一生にも、勿論、辛いことや厭なことはある筈ですが、ジャックさんに限っては、いつも明るく笑って、英国人特有の冗談をよく飛ばしておられました。根っからの明るい人というのでしょうか、。

そして、それは実に、その最期、ホスピスで「バイバイ」と微笑んで、手を振って逝かれた時まで続きました。

ジャックさんの「逝き方」は、かくのごとく、極めて美しいものでしたが、その「生き方」も又、実に綺麗でした。

裕福な、英国中上流階級の家庭に生れられた末っ子。

いわば「良家のお坊ちゃん」、人の観測に少々甘いところはありましたが、ジャックさんのことを悪く言うお人には、ついぞお目にかかりませんでした。

只、生れ落ちられてから、満たされて育たれたジャックさん、所有欲がないというのか、お金というものに余りにも無頓着。最後には、結局殆んど何も持っておられませんでした。

然し、ジャックさんの「生き方」、そして「逝き方」には、そのようなことを差し引いても、何より「美しさ」がありました。

ジャックさんは、1939年、英国がドイツに宣戦を布告し、戦争が勃発したとき、三十歳。

持病の喘息を隠して参戦志願。

戦時中後半は英国空軍の将校。部下に絶大の人気がおありだったといいます。

その前には、実際、敵国ドイツ、イタリアに対する空爆にも参加。後尾砲撃手(Rear Gunner)ですって。

私、ジャックさんとイタリアのシシリー島に旅行したことがあります。カターニアという町へ行ったとき、ここに爆弾落したんだ、と、何か決まり悪そうに、また誇らしそうに、教えて下さったのを覚えています。

ところで、私、ジャックさんの戦時中の経験談で、とりわけ鮮明に、また印象深く覚えていることが一つあります。

その頃の英国の軍隊というのは、日本のそれの様な過酷なものではなくて、もう少し「和やか」だったのです。お互い、誰にも暴力を振るってはいけないとか、。

とは言え、戦時中の軍隊のことですから、勿論、極めて厳しい規律はあったはずですが、そんな中にも、「仲間内の愛(Camaraderie)」というものがありました。ある意味、「和気」ですね。

そんな雰囲気の中で、空軍の戦闘員たち、朝、冗談を飛ばしながら、朝食を一緒に摂り、何も言わずに戦闘機に搭乗していったそうです。

然し、皆、その後基地に戻り、夜、夕食の席に着いてみると、一人、二人、同僚の顔が見えません。

それでも、そのことに関し触れる者は、誰一人としてありませんでした。

そして、又、朝になると、冗談交りの朝食の後、出陣、。

ジャックさんは、この様に、戦時中、文字通り「死」というものと隣り合わせに生きておられたのです。

前線におられたのですから、当然のことだと言われるかも知れませんが、そういうことを、実際に経験しているのと、観念として知っているのとでは、全く異次元の話です。

事実、朝に同僚と冗談を言い合っていて、夜には忽然と姿を消すというのが、この自分かも知れないということは、ジャックさん、十分過ぎるほど覚悟しておられたでしょうね。

戦時中の英国の軍隊には「従軍牧師」という人たちがおられました。

然し、その人達の「働き」は、謂わば、従容として死んでいかれた英国空軍同僚のそれに較べれば、大して何も印象を残さなかったと、ジャックさん、後に述懐しておられました。(続く)