ブログを通して知り合ったZonサノバビッチさんはロンドンに永らく住んでいます。その方がイギリス人のJackさんという方と知り合い、とても親しくなりました。Jackさんの死後、その遺骨をご自分の家の庭に埋め、その上に石灯籠を置きました。石灯籠がお墓の代わりになりました。孤独な方でしたので自然にそのようになったそうです。
ガンの治療を断り、静かに逝ったJackさんの死に方は見事でした。美しい亡くなり方でした。Zonサノバビッチさんがそのようなコメントを私のブログへ寄せて下さいました。
Jackさんは宗教とは縁の無い人でした。しかし美しい逝き方をしたそうです。生前どのような生活をしていたのか不思議に思っていました。そんな折に、Zonサノバビッチさんが、「Jackさんのこと」と題する一文と共に写真を私へ送って下さいました。
それにしてもこのようなJackさんを友人に持ったZonサノバビッチさんの生涯もさわやかなものだと感じました。彼は鏡のようにJackさんの人生を写し出し、鏡自身も同じ人生を送りたいと思っているようです。
いろいろな意味で考えさせる文章ですので、2回に分けて連載したいと思います。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人
=======Zonサノバビッチさん著、「Jackさんのこと」=======
人間誰しも、ある程度永く生きていれば、何度か人の死に目に会うものです。そして、一口に「死」と言っても、いろいろな形態があることを知っています。
斯く言う私も、その例に漏れません。
然し、「死」が「美しいもの」でありうるということは知りませんでした。
実際、私、あれほど「美しい死」を見たことがありません。
また、あれ程、感動したこともありません。
ジャック アーテマス ツゥース(Jack Artemus Tooth)さん、1909年3月31日、おじいさんの代から続いた、ロンドンの大きな美術商と言う家系に生を享けられました。
何不自由ない裕福な家庭に育たれましたが、残念なことに、生れついてのひどい喘息もち。命の綱、インヘイラー(inhaler、吸引器) をいつも使っておられました。そして、よく風邪を引かれましたが、一旦引かれると、一ヶ月は寝込まれると言う有様でした。
只、一度たりと愚痴を溢されたことはありません。実際、このことに限らず、私、ジャックさんが、どんな時にも落ち込んでおられるのを見たことがありません。
誰の一生にも、勿論、辛いことや厭なことはある筈ですが、ジャックさんに限っては、いつも明るく笑って、英国人特有の冗談をよく飛ばしておられました。根っからの明るい人というのでしょうか、。
そして、それは実に、その最期、ホスピスで「バイバイ」と微笑んで、手を振って逝かれた時まで続きました。
ジャックさんの「逝き方」は、かくのごとく、極めて美しいものでしたが、その「生き方」も又、実に綺麗でした。
裕福な、英国中上流階級の家庭に生れられた末っ子。
いわば「良家のお坊ちゃん」、人の観測に少々甘いところはありましたが、ジャックさんのことを悪く言うお人には、ついぞお目にかかりませんでした。
只、生れ落ちられてから、満たされて育たれたジャックさん、所有欲がないというのか、お金というものに余りにも無頓着。最後には、結局殆んど何も持っておられませんでした。
然し、ジャックさんの「生き方」、そして「逝き方」には、そのようなことを差し引いても、何より「美しさ」がありました。
ジャックさんは、1939年、英国がドイツに宣戦を布告し、戦争が勃発したとき、三十歳。
持病の喘息を隠して参戦志願。
戦時中後半は英国空軍の将校。部下に絶大の人気がおありだったといいます。
その前には、実際、敵国ドイツ、イタリアに対する空爆にも参加。後尾砲撃手(Rear Gunner)ですって。
私、ジャックさんとイタリアのシシリー島に旅行したことがあります。カターニアという町へ行ったとき、ここに爆弾落したんだ、と、何か決まり悪そうに、また誇らしそうに、教えて下さったのを覚えています。
ところで、私、ジャックさんの戦時中の経験談で、とりわけ鮮明に、また印象深く覚えていることが一つあります。
その頃の英国の軍隊というのは、日本のそれの様な過酷なものではなくて、もう少し「和やか」だったのです。お互い、誰にも暴力を振るってはいけないとか、。
とは言え、戦時中の軍隊のことですから、勿論、極めて厳しい規律はあったはずですが、そんな中にも、「仲間内の愛(Camaraderie)」というものがありました。ある意味、「和気」ですね。
そんな雰囲気の中で、空軍の戦闘員たち、朝、冗談を飛ばしながら、朝食を一緒に摂り、何も言わずに戦闘機に搭乗していったそうです。
然し、皆、その後基地に戻り、夜、夕食の席に着いてみると、一人、二人、同僚の顔が見えません。
それでも、そのことに関し触れる者は、誰一人としてありませんでした。
そして、又、朝になると、冗談交りの朝食の後、出陣、。
ジャックさんは、この様に、戦時中、文字通り「死」というものと隣り合わせに生きておられたのです。
前線におられたのですから、当然のことだと言われるかも知れませんが、そういうことを、実際に経験しているのと、観念として知っているのとでは、全く異次元の話です。
事実、朝に同僚と冗談を言い合っていて、夜には忽然と姿を消すというのが、この自分かも知れないということは、ジャックさん、十分過ぎるほど覚悟しておられたでしょうね。
戦時中の英国の軍隊には「従軍牧師」という人たちがおられました。
然し、その人達の「働き」は、謂わば、従容として死んでいかれた英国空軍同僚のそれに較べれば、大して何も印象を残さなかったと、ジャックさん、後に述懐しておられました。(続く)