後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

訓練の重要性(3)科学的思考訓練の欠如している東京電力広報担当者達

2011年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

原子炉の全電源喪失で水素が多量に発生し建屋が爆発でコナゴナに吹き飛びました。この現象は科学的に説明すべき内容です。

ところが説明にあたる東京電力広報担当者達の科学的思考訓練があまりにも薄弱なために説明に厳密性がありません。曖昧模糊としています。

その事が東京電力の情報隠蔽体質と連動して国民に根強い不信感を植え付けてしまったのです。

科学的思考訓練とは自然現象の原因と結果の関係を明快に説明しようとする訓練です。

原発の冷却水が何故有効に炉心を冷却出来なかったか?その原因を科学的に推定します。そして推定の正しさや間違いを検討します。そのような態度が始めから無いのです。

次に、炉心へ外側から注水した水は核燃料を溶解や懸濁させながら建屋の地下室に集まると仮定するのが正常な科学的思考です。そのような説明もありません。

また、毎日、何トンの注水をし、そのうち何トンが地下室に集まるのか推定するのも科学的思考です。

次に、地下室から毎日何トンの汚染水を汲み上げて浄化し、そのうち再び何トンを注水に使っているか計算し、公表するのが科学的な態度です。

この単純な数値を発表すると、毎日、原発工場の地下の土の中へ漏れて行く汚染水の量が計算できます。毎日の注水量から汲み上げている汚染水の量をさし引いた量が、地下の土中へ漏れている水の量です。

昨日、1号炉、2号炉、3号炉の全てが100度以下の冷温停止状態になりました。これは予想以上の大きな成果です。

しかし、汚染水は相変わらず漏れ出しているのです。その量を発表しようとしないから情報隠蔽と批判されるのです。

福島原発の原子炉から漏れている汚染水の対策について科学的に明快な発表がありません。

私は現在の放射能汚染水の漏れの様子を大げさに描いた図面を下に示します。

下の図のギザギザの醜い上下の線が、汚染水の漏れの様子をマンガ的に描いたものです。

勿論、全くの憶測で描いた概念図ですので漏れの個所は間違っていると思います。しかし現在何が起きているかを概念的に理解するのには大変分かり易い図面と自負しています。

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水漏れは、3月11日の大地震とその後の水素爆発で、あちこちに出来た割れ目や小さな穴から起きている筈です。

このような状況ですから、すべての割れ目や小さな穴を溶接して密閉する事は殆ど不可能に近いと思います。

全ての原発炉の冷温停止に成功した昨日からは以上のような汚染水の漏れる状況を科学的にそして定量的に発表すべきと信じます。

それが発表されると国民は少し安心するのです。

蛇足ながら付け加えると、汲み上げる汚染水が注水量より多い日もある筈です。大雨の降った翌日は雨水が地下室へ沁み出して、地下室の水位を上げる筈です。その現象も含めて長期間の観察が必要なのです。

このようにして原発のトラブルの一つ一つを科学的に説明して行くことが信頼回復に繋がります。東京電力側の誠実な、そして科学的な説明を期待しています。(続く)


高速増殖炉もんじゅの重大トラブルを解決しました

2011年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

Pn2011062401000365ci00031 昨年の夏に核燃料棒を出し入れする装置が炉内に落下して、制御不能の状態で停止していた高速増殖炉もんじゅのトラブルが今年の6月24日に解決しました。

落下していた装置の引き上げに成功したのです。その引き揚げ後の写真を示します。

詳しい経過は、http://matome.naver.jp/odai/2130620158324944101 に御座います。

このような重大ニュースはもっと大々的に報道して貰いたいと感じました。

まずは明るいニュースなのでご報告いたします。(終り)


都立薬用植物園の秋の花々の写真を撮りに行ってきました

2011年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

この季節は紅葉にも早すぎるし、花も少なく淋しい季節ですね。そこで今日は小平市の中島町にある都立薬用植物園http://www.tokyo-eiken.go.jp/plant/yakuyo001.htmlへカメラを持って出かけました。

しかしそこも花々は終わっていて、僅かに残った花が少しだけ咲いていました。大切なものを拾い集めるような気落ちで写真を撮って来ました。

お楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

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秋の甲斐駒山麓、そして人々のなりわい・・・私は農村の人々を尊敬します

2011年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

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実りの秋です。稲穂が垂れ、栗が実り、いろいろな農作物が豊かに収穫される季節です。

長野県と山梨県の県境になっている甲斐駒岳の東側に武川村が広がっています。現在は市町村合併で北杜市武川町といいますが、江戸時代から武川米で有名な豊かな農村です。

昨日、その収穫の季節の風景を撮って来ました。

人々の心がゆったりしていて家々も立派です。沢山の種類の花々を植えています。

農協直営の農産物の販売店に行く武川米の新米をはじめ、穫れたてのいろいろな野菜を売っています。和風の野菜だけでなくズッキーニやルバーブ、ルッコラまで売っているのです。

その農産物を買ってきて家で食べていると、それを作った人々のなりわいが自然に分かってきます。その上、私の山の中の小屋に近い牧畜地帯の人々とは35年間もお付き合いしてきました。親切で心暖かい一家でした。30頭くらいの乳牛を飼っていました。朝早く一升瓶に入れた搾りたての牛乳をおばあさんが届けてくれました。

その生活を知れば知る程、私は農村の人々を尊敬するようになりました。

土を相手に黙々と努力するのです。4月から11月にかけていろいろな農作物を収穫します。米は9月下旬です。その上、乳牛や鶏を飼っている人々は365日の間一日も休みが取れません。朝昼晩と餌をやらなければなりません。旅行など出来ないのです。

武川村は低い土地に広がる水田地帯と高地の畑作・牧畜地帯に分かれます。高地では牧畜と畑作の両方を並行して行なっています。養鶏、肉牛、乳牛の他にいろいろな野菜を生産しています。

高度成長前までは水田地帯の農家は有名な武川米のお陰で金持ちでした。高地の畑作と牧畜をして居た人々は貧しげでした。はじめは稲作農家と畑作・牧畜農家は厳密に分かれていました。

しかし高度成長の頃から水田地帯の若者が都会へ行ってしまいます。高地の畑作・牧畜農家の人々が下に広がる水田の仕事を手伝いはじめます。そのうち後継者の居ない水田農家の田を借りて稲作もするようになりました。

現在では高地の畑作・牧畜地帯の人々も水田地帯の人々も同じように豊かになり、家々の周りには花々を植え、悠々とした生活ぶりです。特に最近は洒落た家に建て替えています。農家ですが別荘風な家もあります。しかし土を相手に相変わらず営々と農作物を作っています。

庭の雑草も取るのが苦手な自分から見ると農作物を作る人々は天才のように輝いて見えます。自分では絶対出来ない仕事をしている農村の人々をつい尊敬してしまいます。そして現在は心の底から深く敬愛しています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

藤山杜人

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