離婚は当たり前の事になる傾向が蔓延しています。子供へ悲しい思いを与える事まで考えると出来る事なら離婚を回避するのが最善です。
離婚の増える原因は女性の経済力の向上が大きな理由と言われています。離婚を罪悪視する風潮が無くなった事も大きな原因の一つです。少し上手く行かないと簡単に別れるという考え方が広がっているのも原因です。
しかし、大きな原因は結婚を恋愛の延長と考えてしまう事です。
恋愛中とは相手のいろいろな側面が見えなくなっている状態なのです。そんな混乱状態で、お互いに自分に適切な相手を選ぼうとします。
しかし若い男女には一緒になった後の40年、50年の間に2人の生活がどのように変わるのか考えもしません。適切な相手としての条件が想像もつないのです。
話は飛びますが、1962年に初めてアメリカの大学へ留学したとき自分には選ぶ能力が無いことが分かって愕然とした経験がありました。難しい話ではありません。あちらのレストランに入った時、ウェイトレスがメニューを持って来て、「料理を選んで注文すれば、すぐに持って来ます」と微笑んでくれました。大版のメニューを見たら料理のリストが沢山印刷してあります。文字ばかりです。料理の写真なんか付いていません。これでは注文出来ません。面倒なのでハンバーグと言います、するとすかさず10種類以上のハンバーグのリストを指さしてどれにしますか?と聞きます。実は分からいからどれでも良いよと言ってしまいました。途端に彼女の顔が険悪になります。怖くなって一番上のハンバーグにします。すると少し機嫌が良くなって、それではソースの味はどれにするかと聞き返します。ソースの種類は5種類で味が違うので選べと言うのです。面倒になり2番目にします。するとハンjンバーグの焼き具合はどうするかと聞きます。任せるよと言ったらまた険悪な表情になります。こんなやりとりですっかり疲れ果て料理の味なんかすっかり忘れました。
しかしアメリカという社会は恐ろしい社会です。全ての物事は自分の判断で決定し、決定の失敗は自分で責任を取らされる社会なのです。それを拒否すると間扱いをされます。私はそれ以来全ての物事に直面しそうになる度に、まず考えます。「その事に関する多くの選択肢の中から一つだけ自分にとって最適のものを選ぶ能力を私は持っているか、否か」を。選び出す訓練を受けているか否かを考えます。自分にその能力が無ければその選択問題を回避します。つまり逃げるのです。アメリカ文化の始末の悪い事には選択肢が多ければ幸せと思う傾向がある事実です。険呑にも日本も最近はそうなっています。
レストランでの料理の選ぶ能力は簡単に身につきました。数回訓練すれば大体身につきます。
ところが結婚相手を選ぶ能力は若い者にはあまりありません。分かり易く言えば殆どありません。それは50年、同じ家内と一緒に暮らした実体験からの結論です。一緒に長い間暮らしてみて初めて発見する良い性格、悪い性格、家庭をマネージする能力、家事を手際よく済ませる技術、子供達を優しく、しかし厳しく育てる能力、近所付き合いや他人との円満な関係を維持する能力、そして知的な側面も輝いていることなどなど沢山の要素が複雑に関係しているのです。
そのような数多くの要素を、「恋愛中で動転している若者」に冷静に判定し、結婚相手を選ぶ能力などある筈が無いと私は思っています。
年齢のいった大人たちの見合い話をいくつか同時に進めるほうが比較出来るので無難なのです。それが厭なら、「結婚は神の奇蹟」と信じて、相手を選ばず承諾する人と結婚してまうのも良いと思います。
戦争中、写真結婚をして外地にいる男の所へ単身でお嫁に行った人々を思い返しています。案外それが良い結果を生むのかも知れないのです。
クダクダ書いたので、お疲れのことと存じます。そこで彩の国の入間公園の写真をご覧になってお休みください。