後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

秋の旅へのお誘い(4)秋吉台と秋芳洞への遥かな旅

2011年09月16日 | インポート

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交通の便が良くないので、遥かに来たものだと感じます。と同時に秋吉台が遥か彼方へと広がっているので、「遥かな旅」という感じがしみじみといたします。

山並みがすべて石灰岩で覆われています。石灰岩の主成分は炭酸カルシューム、CaCO3 なので雨水に溶けます。

山並みは樹木が育ちにくく、草で覆われています。その下には石灰岩だけが延々と覆っているのです。

このような成分の岩石で覆われていることで有名な所はイタリア東北部と隣接するスロベニア地方です。従ってこのような台地を、スロベニア語の「カルスト台地」と呼ばれています。

カルスト台地は日本の各地にありますが、秋吉台が圧倒的に広いのです。

カルスト台地は雨水で溶け、地下ががらんどうになって大きな鍾乳洞が出来ます。カルスト台地の下は壊れやすい天井のようになっていて牧畜や農業には使えません。

雄大な景観を楽しみ、地下に潜って鍾乳石の不思議さを楽しむだけです。

秋吉台の雄大さは行ってみないと判りません。秋芳洞の規模の壮大さと、不思議な形をした鍾乳石の美しさは実際見ないと判りません。

しかし少しでもご想像出来るようにと数枚の写真をお送りいたします。上の写真が秋吉台の景観で、下の写真が鍾乳洞の様子です。

お楽しみ頂ければ嬉しく思います。9月12日に撮りました。

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興味の無い方には全く無意味な写真です

2011年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム

国際交流という事にまったく興味が無ければ無意味な写真です。

西暦716年に高句麗から亡命して来た1799人の朝鮮族は埼玉県の西部に移住し、定着しました。当時の天皇から高麗王とい称号を貰い、武蔵国高麗郡を統治したのです。高麗王は高句麗の王族で若光といいました。その後、高麗神社が出来、その神主は代々現在にいたるまで高麗王・若光の子孫が勤めています。下の三番目の写真がその神主の家です。現在はもう少し立派な家に住んでいます。近所の聖天院と合わせてお出掛け下さい。聖天院は高麗王の菩提寺で、ある壮大な歴史ロマン・・・亡命してきた高句麗の王族、若光の菩提寺と墓が埼玉県に と ブログは落書きと同じで下らないと言う人も居ますが・・・下らないブログと下るブログの違い で詳しくご報告致しました。

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萩、津和野地方のキリシタン弾圧について

2011年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム

詳しい情報は、http://ishike2002.web.fc2.com/hagi/02town/08_christao/christao.htm に御座います。

下にキリシタンの通った道筋を示します。キリシタンロードとして観光マップにあるそうです。

この前の記事、秋の旅へのお誘い(3)悲しい歴史の町、津和野  の補足資料です。

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秋の旅へのお誘い(3)悲しい歴史の町、津和野

2011年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム

津和野では大きなお土産屋の主人が観光案内をしてくれました。津和野の家老町や白壁の街並みを説明しているとき、「津和野では36人のキリシタンを殺しています」とそこだけ悲しそうに、残念そうに話すのを聞きました。一通りの案内が終って自分の店へ私達を連れて行って銘菓の「源氏巻き」を買うようにと勧めるのです。皆はその店でいろいろなお土産物を買いました。町の中心にある大きな土産店で、奥座敷で抹茶と源氏巻きを楽しみました。

その店の向かいに大浦天主堂を小さくしたようなカトリック教会があるのを私は見ました。

私は独りで教会を訪ねました。長崎によくあるような畳敷きの教会です。維新後の明治政府による弾圧(浦上4番崩れ)のとき、113名のキリシタンが津和野へ送られ、拷問に遭い、36人が殺されたのです。その殉教者の鎮魂のために、この教会を大浦天主堂に似せて建てたのです。津和野の町の真ん中にです。人々は36人も殺してしまったので建てるのを黙認したのでしょう。その教会の横には大きな幼稚園があり数多くの園児が遊んでいました。

しかし36人の拷問死は津和野の人々の心の中に、悲しい歴史として残っているのです。下に写真を示します。

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津和野でのキリシタンの殉教につては「乙女峠友の会」を検索すると詳しく出ています。

それはそれとして、津和野の紹介をキリシタンの拷問だけで終りにしては公平に欠けます。

津和野は城下町でした。戦災に合わなかったので江戸時代の街並みが良く残っています。白い壁や家老門の連なる風景は息をのむような美しい風景です。

感動したのは町役場が昔の家老門の中に古風な木造の建物を使っていることです。日本全国で江戸時代の家老門を構えている役場は津和野だけだそうです。

下に津和野の風景写真を示します。一番上の写真が町役場です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

藤山杜人

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