大正3年に建設されたJRの門司港駅は現在でもそのまま使われています。大正ロマンを感じさせるレトロな建物として多くの観光客が見物に行く有名な観光スポットです。「バナナのたたき売り」発祥の所としても有名です。
夜に見物に行ったのですが、確かに建物の外観は大正ロマンを感じさせる華麗なデザインです。一番上の写真がライトアップされた駅舎です。
現在でも使われているので中への出入りは自由です。上の2番目の写真が内部の様子です。入ってみて、懐かしさに震えます。戦中、戦後の日本のあちこちにあった駅舎と同じです。
しかし、懐かしさに浸っているうちに、次第に悲しみが心に広がります。日本中が貧しかった頃の悲しかったことが走馬灯のように思い出されたのです。戦後、田舎にヤミ米を買いに行き、このような駅に帰って来た時、警官の取り締まりに合い、大切な米を取上げられたことを思い出しました。
駅舎の床は粗末な石です。豪華な大理石ではありません。その上、内部のペンキがあちこち剥げ落ちています。大正時代そのまま展示するために敢えてペンキを塗りなおさないようです。掃除は行きとどいていますが、何か小汚い感じがします。そして、電車に乗るお客もまばらで、まるで過疎の駅のようです。
大正時代の珍しい水洗トイレがあるというので裏の方へ入って行きました。そこには上の写真のような「帰り水」と「幸運の手水鉢」という観光資源が大切にされています。
「帰り水」とは戦地から命からがら帰ってきた兵隊が、「ああ、内地の水だ」と言ってこの水道の水を飲んだのでこの名がついたのです。
駅舎に隣接する門司港から数多くの兵隊が中国や南洋の島々へ送りだされたのです。300万人の兵隊が戦死したのです。
幸運にも門司港へ帰ってきた兵士たちが汽車に乗るためにこの駅舎へ来たのです。戦地の悪い水で命を繋いで来た兵隊たちです。この水道の水の美味しさに酔いしれたのです。悲しい記念です。それが現在の観光スポットになっているのです。
「幸運の手水鉢」は戦争中、ありとあらゆる金属製品が強制的に供出され時生き残った鉄製の手水鉢のことです。
全ての金属類を強制的に供出させて、武器に作りかえたのです。ご婦人がたの指輪や装身具も徹底的に供出させたのです。鍋釜も供出した人も居ました。土鍋、土釜を代わりに使う人さえ居たのです。
そんな状況の中で門司港駅の鉄製の手水鉢だけが奇蹟的に生き残ったのです。ですから「幸運の手水鉢」なのです。写真にある通り少し汚い黒い大きな手水鉢です。
全ての金属製品を供出することは子供心にもショックでした。悲しい思い出です。
こういうのもが「観光スポット」になっているのが「門司港駅」です。
そして駅舎前の「バナナの叩き売り」です。南方のバナナが船で門司港につきます。大きなバナナ専用の倉庫に熟させるために数週間保管して、それから全国へ出荷するのです。
熟れすぎて出荷出来なくなったバナナを駅舎前で叩き売ったのです。
当時は正常なに熟れたバナナは高価で、1本のバナナを一家5人で五等分して食べたものです。その味は天国の果物のように甘くて良い香りがしたものです。
戦後すぐに、「バナナの叩き売り」が全国の街々に流行し、一般の人々は叩き売りで安く買ったバナナを一家で分けて食べたのです。現在のようにスーパーでに安く売っているバナナにもそんな時代があったのです。
観光スポットとは全国のあちこちにあります。戦争の無残さ無意味さを示す展示も多くあります。それはそれで良いことです。
しかし「大正ロマン」を売り物にしている門司港駅で思わず戦争の悲惨さを思い出す観光スポットがあるので私の気持ちが動転したのです。これから行く方々は少しばかりの心の準備をした方が良いのかも知れません。門司港駅はそんな観光スポットあのです。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人