後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

陽賜里工房の秋のオープンガーデンのご案内

2011年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

山梨県、北杜市の甲斐駒の麓にある陽賜里工房ガーデンの秋の公開が例年通り開催されます。秋の草花の咲く庭でコーヒーをゆっくり飲んで寛ごうという企画です。ホストは原田聖也さんという男性とその御母上です。

日時:9月17日(土)~20(火)、朝10:00~夕4:00ころまで、ところ:山梨県北杜市武川町山高 3567-556の陽賜里工房ガーデンです。草木染めをやりたい方は事前にご連絡下さい。

連絡先:原田聖也さん、携帯電話:090-4170-0370 E-Mail:t-taraku@t-net.ne.jp

このオープンガーデンには家内と一緒に数回参加しています。前回の春のオープンガーデンの報告記事を以下に掲載いたします。ご参考になれば幸いです。

======花の園の中の喫茶店・・・陽賜里工房というコーヒー店===

戦後に学生時代を過ごした方々にとっては喫茶店という言葉は懐かしいと思います。名曲喫茶とか純喫茶とか歌声喫茶とかいう名前で、コーヒーの香りとともに文化的な場所でした。当時、コーヒーは高価な飲みものだったのです。

それから幾星霜、一昨日は不思議な喫茶店へ行ってきました。陽賜里工房という名前で、春と秋の2回しか開店しません。春の花々、秋の花々に囲まれたコーヒー店です。店主は原田聖也さんという男性で、コーヒーの修業を重ね、特別のコーヒー豆焙煎工場のものを仕入れて使っています。食品衛生法を勉強をし、飲食店開業の資格も取りました。

この喫茶店は北杜市の真原桜並木のはずれにある花の園です。庭全体がなだらかな南向きの斜面になっていて満開の桜の木が2本、ピンクのユキヤナギ、水仙、ヒトリシズカ、イカリソウなどに囲まれて店主手造りの店があります。

花園の一番高い所にはロマンチックなデザインの木造の家があり店主が寝泊まりする場所になっています。お客は勝手に花の園を歩きまわり、花々を鑑賞します。そして花疲れしたら洒落た店に入って香り高いコーヒーを頂きます。

コーヒーを飲む場所には女主人が居て、つれずれの話し相手になってくれます。店の主人のお母さんです。上品な日本語を使う方です。花の園の作り方などのよもやま話です。一昨日は私がカトリックの話をしましたら、ご自分の信仰のバプテスト教会の話を静かにして下さいました。亡くなったご主人はその教会の牧師さんで、ご自分も宣教活動をしながら幼稚園の園長さんもしていたそうです。兎に角、折り目正しい一生を過ごした方なのでお話をしていてもスッキリとした印象です。

バプテスト派という宗派は興味ある宗派のようなので、このブログでいずれご紹介したいと思います。

下にこの花の園の中の喫茶店の写真をお送り致します。

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大震災にめげずに何度でも良い国、日本を作ろう!

2011年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

今回の大震災のような災害は何度も来ると考えられます。その度に日本民族がめげてしまっては困ります。

今日の読売新聞の20ページと21ページの全面を使った広告の写真を以下にご紹介致します。東京の千代田区にある出版会の雄、宝島社が出した広告です。

敗戦後すぐに厚木海軍飛行場に降り立ったマッカーサー司令官の姿です。コーンパイプをくわえ、焦土が広がる日本に降り立ったのです。あたりには、数日前に急いで焼いたゼロ戦の焼け焦げた残骸が残っていました。徹底抗戦を叫んでいたゼロ戦隊がいたのです。最後は説得されましたが。

この写真から日本の死に物狂いの復興が始まったのです。この戦後の日本人の復興への情熱を思い出して東日本大震災も乗り切ろうという意見広告です。戦後の復興を知っている日本人にはジーンとくる力強いメッセージです。感動的な広告なのでご紹介しました。宝島社の社長は日本民族を愛しているのです。(終り)

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福島原発事故の総括(2)原爆168個分のセシウム137飛散と、6ケ月後の福島県と全国の放射能汚染

2011年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

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(左の福島原発の爆発の写真の出典: http://yokotakanko.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/31-682c.html )

前回の、福島原発事故の総括(1)どのような経過で何処が壊れたか? という記事に続いて第二回の今回は6ケ月後の放射能汚染の実態と今後の変化を書いて見たいと思います。

このブログでは福島原発事故以来、原子力発電の功罪や放射能の害について可能なかぎり科学的合理性にしたがって多数の記事を掲載してきました。

それに対して赤ちゃんを持っている母親から時々感情的なコメントを貰いました。

例えば福島から遠方に住んでいても子供を絶対に外で遊ばせていない。外遊びが好きな子供が可哀想で気が狂いそうです。文部科学省の放射線量の測定結果は一切信用できません。すべてウソに決まっています。子供を健康に育てたいので遠方へ引っ越したいのです。夫の転職が心配で、夜も眠れません。

放射能へ対しての恐怖と心配で身をすり減らしている母親が東北6県と茨城、栃木、埼玉、千葉、の各県に何百万人も居るのです。東京でも葛飾区、台東区など東北部の浄水場の水が汚染されて恐怖感が広がった時期もありました。

このように非科学的な恐怖を、始め、私は軽視していました。その無知さを嗤っていた時もありました。

しかし4月、5月と時が流れるに従って私の考えが次第に変わって行ったのです。

「放射能への恐怖感を持った人々が何百万人も住んでいる国は絶対に幸せな国では無い!」。そして「この恐怖感を解消するのは科学的説明でなく、原発を日本から無くす事しか方法が無い」。という考えに変わって来たのです。

福島県に撒き散らされたヨウ素131は半減期が8日と短いので、既に問題ではありません。

しかしセシウム137は半減期が30年と長いので数年間では福島県各地の放射能強さは変化しません。

先月、読売新聞の記事、「放射能の広がり 詳細地図に」を絶賛する  という記事でご紹介した福島県各地の放射能の強弱図は10年、20年と変わらないのです。

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上の図は群馬大学の早川由紀夫教授の作成した図面です。この図をクリックして出て来た図面をもう一度クリックすると大きな拡大図になります。セシウムが積もっている所は飯舘村、浪江町の他に、伊達、福島、二本松、本宮、郡山などもあることが明瞭に分かります。その上、放射能汚染は東北地方や関東地方の一部まで広がっているのです。

先週になって、「福島原発の4つの建屋が爆発して飛び散ったセシウム137の総量は広島型原子爆弾の168個が爆発した時の飛散総量とほぼ同じだ」 という計算結果が新聞に報道されました。

そして、セシウム137は半減期が30年と長いので、上に示した福島県各地の放射能の強弱図は10年、20年と変わらないのです。

このような放射能汚染は日本人にとっては長崎・広島の原爆以来、初めての経験です。想像も出来ないような被害が出るのです。

例えば乾した稲藁にセイシウムが降りかかっていて、それを全国へ牛の飼料として出荷していたのです。食べた牛からセシウム137が検出されて、多くの牛が出荷停止になったのです。出荷停止になる前に流通してしまった牛肉を食べた人も居るのです。

福島原発4基の水素爆発は日本の歴史上永く記憶される大事故でした。大きな悲劇でした。

放射能汚染が福島県に何十年も残り、放射能への恐怖が日本全国に広がったのです。風評被害もいろいろな分野で生じました。

このような放射能の飛散は、原子爆弾と原子力発電は本質的には同じものだという考えを人々の心に焼きつきました。この事は福島原発事故のもたらした大きな社会心理的な変化です。原爆反対が原発反対と一体化してしまったのです。

このような社会的な心理的な変化の後では、政府も電力会社も新しく原発を建設することは無理になりました。

そして、放射能を怖がる人々を少しでも安心させ幸多い生活を過ごして貰う為には政府が一刻も早く、「段階的脱原発の決定」をする事です。

建設以来、40年も経過し老朽化した原発の2ケ所くらいを早急に廃炉にする決定をする事も重要です。菅総理の脱原発宣言を受けて、新しく発足した野田内閣は全員一致団結して現実的な脱原発の推進に急いで着手すべきと信じています。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人