後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

関東地方の606基の古墳(3)相模原市の田名向原遺跡公園に復元された古墳のご紹介

2013年09月01日 | インポート

(3)相模原市の田名向原遺跡公園に復元された古墳のご紹介

最後に、府中市の隣の相模原市にある古墳をご紹介します。

相模原市に流れている相模川の北岸の塩田、田名、谷原、東原などの地域は驚くべき考古学的史跡の宝庫なのです。

2万年前の旧石器時代の住居跡と3000個の精巧な石器の他に5000年前の縄文時代の住居跡、そして1400年前の13基以上の古墳が発見されたのです。

発見された住居跡や古墳は田名向原遺跡公園に復元されています。

考えてみるとこの相模川中流の北岸の平野は人間が住みやすいので、2万年前の旧石器時代から絶えることなく人間が住みついていたのです。

それがが発見されたのは平成になってからです。相模原市や文部科学省からの研究調査費の支出が大きな考古学上の進歩をもたらしたのです。

田名向原遺跡公園に復元されている住居跡や古墳の写真を以下に示します。

まず20000年前の住居跡の説明です。

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下は公園に復元された円形の住居跡です。12本の柱穴と2か所の炉の跡が示されています。

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次は5000年前の縄文時代の家跡の説明です。

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下は5000年前の縄文時代の住居を公園に復元したものです。

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次は1400年前のAD600年頃の古墳の説明です。玄室から直刀や装身具も出て来ました。

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下はその古墳の復元です。

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平成21年に以下の展示館が完成しました。

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この展示館を訪問すると相模川北岸地域の約2万年の歴史が概観出来るのです。

人々の生活は縄文時代、弥生時代、古墳時代になってもほとんど変わらなかったというのが真実に近いと思います。

円形の掘っ立て小屋に住み、土器や木製の農具を使い、石器も相変わらず使っていたに違いありません。青銅器や鉄の道具は高価すぎて支配階級しか使えなかったのです。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代などという時代区分は歴史学者が勝手につけたものです。地方、地方に住む農民の生活の実態とは何の関係も無かったのです。これが私の歴史を考える視点です。

それはそれとして、この記事では埼玉県の古墳群、府中市の熊野神社古墳、そして相模原市の田名向原遺跡にある古墳をご紹介しました。

以上ではたった3個所の古墳をご紹介しましたが、関東地方全域には実に多数の古墳が存在していました。そしてその幾つかは巨大なものです。

「古墳マップ」http://kofun.info/を検索すると関東地方の各県の古墳が網羅してあります。

例えば、東京、87基、神奈川、96基、埼玉、59基、千葉、41基、茨城、41基、栃木、51基、群馬、150基、そして山梨、30基で以上の合計は606基になります。

古墳が趣味の方々は是非お楽しみ下さい。(終わり)


関東地方の606基の古墳(2)府中市の熊野神社古墳のご紹介

2013年09月01日 | インポート

(2)府中市の熊野神社古墳のご紹介

次に私が住んでいる小金井市の隣の府中市にある熊野神社古墳をご紹介いたします。

関東地方の律令国家は北西の端に上野(かみつけ)があり、そこから時計まわりに下野(しもつけ)、常陸(ひたち)、上総(かずさ)、下総(しもふさ)、武蔵(むさし)がありその南に相模(さがみ)があります。

武蔵の国の範囲は現在の東京の西部の多摩地方、埼玉県、神奈川県の東部などにまたがっていて、その首府は現在の東京都府中市にありました。首府の役所(国衙 コクガ)は現在の大国魂神社の周辺に集中してあったのです。その大国魂神社は律令国家、武蔵の国の守り神でありました。そして国衙地域の北方には武蔵国分寺が750年ころ造営されたのです。

そしてこの府中市は古墳時代から関東西南部の中心地として栄えていました。従って府中市内に古墳と証明された塚が多数あるのです。(http://members3.jcom.home.ne.jp/yoshi-cp/tfucyuu.htm

その古墳の中から以下に、熊野神社古墳の写真を示します。私が撮った写真ですが、多摩川の河原の石で造った古墳の様子が写っています。なお熊野神社は江戸時代に作ったもので古墳とは本来無関係なものだったのです。

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この石造りの古墳については驚くべき事実が3つあります。

(1)これがAD650年前後に作られた古墳であると学問的に発見されたのがごく最近の2004年であったのです。

(2)上が丸く、下が四角形は中国の思想を受けた構造であり、副葬品に中国の七曜文様が見つかっているのです。こんな時代に関東地方まで中国文化が浸透していたことに驚きます。もちろん直接では無く朝鮮の慶州の古墳文化が伝わったのでしょう。

埋葬された有力者の名は不明ですが、あるいは朝鮮から渡来した傑出した武将だったのかも知れません。

(3)この古墳の驚くべきlことは江戸時代にここに引っ越して来た熊野神社のご神体として利用されてきたのです。神仏混淆とは珍しくありませんが神と古墳が混淆しているのは驚きです。そして古墳の玄室が神社の奥の宮として利用されていた様子も伺えるのです。

その辺の興味深い調査結果は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5%E5%BA%9C%E4%B8%AD%E7%86%8A%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%8F%A4%E5%A2%B3 にあります。 (続く)


関東地方の606基の古墳(1)埼玉県行田市の古墳群

2013年09月01日 | 日記・エッセイ・コラム

学校の歴史教育では応神天皇や仁徳天皇の巨大な前方後円墳だけを強調して教えます。天皇制を賛美しようという偏った視点で古墳時代(AD300年からAD700年まで)を教えるので大和地方の古墳だけを丁寧に教えます。

その結果、多くの日本人は古墳は大和地方だけにあると誤解しています。実は私もそうでした。

しかしよく調べてみると古墳は北海道の江別古墳群を含めて全国に普及し、盛んに建造されていたのです。

そこで以下に関東地方の古墳の幾つかをご紹介いたします。

(1)埼玉県行田市の古墳群のご紹介

始めに埼玉県の行田市に9個も集中してある巨大な前方後円墳や円墳の航空写真を示します。

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そして以下に小生と家内が撮影した写真を示します。クリックすると拡大した写真が楽しめます。

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(撮影場所:埼玉県行田市大字埼玉(おおあざ さきたま)、撮影日時:2008年6月7日午後1時頃、  撮影者:後藤和弘と春海)

埼玉(さきたま)の古墳時代に強大な王国が存在したことを想像させます。出土した、見事な細工の金属製馬具や装飾品の展示もあり、5世紀終わりから7世紀はじめに作られた古墳から出たその他の副葬品が展示されています。

その金属製の馬具や飾りを見てハッとしました。1983年頃、小生が韓国、慶州で見た古墳からの出土品とあまりにも似ているのです。素人の気安さで言えば、埼玉の古墳を作った人々は韓国、慶州から渡ってきたようです。高麗という地名も埼玉南西部に現存すくらいですから。

あなたは埼玉県の行田市の郊外にこのように巨大な古墳群が存在している事実をご存知だったでしょうか?

尚、古墳に関する調査結果やその検証と写真は「埼玉古墳群」と検索するといろいろ出てきます。(続く)


この美しい地球という惑星・・・その地上で起きている愚かな悲劇

2013年09月01日 | 日記・エッセイ・コラム

月から見た美しい地球の写真を3枚お送りします。その青く輝く姿をお楽しみ下さい。

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(出典:http://blog.goo.ne.jp/soraru2y2007/e/932396dfbd82f2cac3c4160e31396cb6

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(出典:http://www.gekkou.or.jp/g-3/ht3-08/event-p-earth.html

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(出典:http://matome.naver.jp/odai/2135769985433817001/2135770295234980803

この青く輝く惑星の地上で人間は愚かしい戦争をしているのです。

シリア内戦とアフリカの国々で現在も残酷な殺し合いをしているのです。

少し昔のことを振り返ると日清、日露の戦争、大一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮動乱、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争と続きました。そして今度はアメリカがシリア政府軍を攻撃しようとしています。

この地球は太陽という恒星の惑星の一つなのです。宇宙には太陽のような恒星は何億個とあるのです。そしてそれぞれが惑星を持っています。

下に地球の兄弟の土星の写真を示します。

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(出典:http://plaza.rakuten.co.jp/dollparasol/diary/200908190000/

水星、金星、地球、火星、木星、土星、海王星のような惑星が太陽系になっていて、その太陽系は銀河のたった一つの恒星系なのです。

我々の銀河には太陽のような数多くの恒星とその惑星から成り立っているのです。

宇宙には1万個以上の銀河があると言われています。

下は地上600Kmの高さに打ち上げられたハッブル望遠鏡で撮った宇宙の銀河の写真です。

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(出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%96%E3%83%AB%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%9C%9B%E9%81%A0%E9%8F%A1

この写真は2回クリックすると非常に拡大した鮮明な写真になります。

このような写真を眺めていると戦争の愚かさがしみじみと分かります。

宇宙の誕生は136億年まえと言います。地球46億年の悠久の歴史を想えば人の一生は一瞬です。その一瞬の寿命しか持っていない人間が殺し合っているのです。これほど愚かしいことはありません。

戦争だけではありません。人々は職場や家庭で他人を憎み、争っています。一瞬の命なのに争っているのです。愚かではありませんか。

誕生以来、136億年の間に起きた宇宙のもろもろの変化を考えるとお釈迦様の教えが正しいことに気がつきます。全ての物、宇宙にある全ての物は変化する。変化することが物質の本質だ。お釈迦様の教え通り宇宙は変化を止めません。宇宙は、もちろん人間も無常なのです。お釈迦様は宇宙科学を知らずしてその全てを喝破したのです。

キリストは一瞬の命しか持っていない人間に愛し合いなさいと言ったのです。汝の敵を愛しなさいと言ったのです。争うこと、戦争のむなしさを教えたのです。

そして神へ祈って、自分の愚かさへ神の許しを求めよと教えたのです。自分の正しさを主張するなと教えたのです。

そうすれば上の写真のような沢山の銀河のはるかかなたに住み給う神のもとに呼びよせて下さるのです。イエス様も宇宙科学は知りませんでした。

しかしどんなに宇宙科学が進歩してもイエス様の教えは燦然と輝いています。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)