それは心地よい秋風がそっと頬をなでていくような人生のエピソードでした。
50年以上前の大学時代に淡い交わりをした旧友と、昨日一緒にビールを飲んだのです。茫々50数年、一別以来会ったことがありませんでした。
彼は情熱的で、それでいて何事にもこだわらないさっぱりした男でした。雪深い新潟県の小千谷の出身です。大学の1、2年生の間、同じ教室で学んでいたので時々話をしました。
当時、彼が熱心に私に語っていたことは雪国、小千谷の冬の生活でした。雪が降ると家の2階から出入りするという話に吃驚したものです。どうも2階にも出入り口が作ってあるようです。
そして暗い夜には雪が明るく見えて、それを「雪明り」と言うと教わりました。
町の通りの両側の歩道の上には雪よけの屋根が続いていて、それをガンギと呼ぶそうです。
そのガンギの下の歩道は昼でも薄暗く、雪の壁を通ってきた太陽の光が行燈の明かりのように足もとを照らしているそうです。
雪国の話は何かとてもロマンチックで幻想的です。忘れられませんでした。
その影響もあって、私は中年になってから鈴木牧之が江戸時代に書いた「北越雪譜」という本を読みました。今でも時々読み返しています。雪国の生活を描いた名著です。小千谷のそばの塩沢にある鈴木牧之記念館も数年前に見ました。
その大学時代の旧友が何故そんなに情熱的に雪深い小千谷のことを私に話してくれたのでしょうか。その謎が昨日、解けたのです。
その謎解きの前に彼の仕事について簡略に書いておきたいと思います。
彼は私とは違う学科の「応用化学科」に進みました。大学院を修了し、ある大きな化学会社の研究所に就職しました。その研究所が彼の生涯の仕事場になったのです。
その研究所からアメリカの大学へ留学し、博士号をとります。そして帰国後数年してから、今度はヨーロッパに派遣され数年間在住し、彼の地の文化を楽しむことが出来たそうです。大会社の研究所にいる優秀な研究者がよくたどる道です。良い一生を過ごしたのです。
さて何故、彼は雪国に感動して、何度も私に話してくれたのでしょうか?
その謎が昨日解けたのです。
昨日、この旧友との会合をセットしてくれた私と同じ学科の同級生も含めて3人でビールを飲んでいました。そのテーブルの上に彼が中国の大きな地図を広げたのです。満州国が出来る以前の中国の東北部の地図です。
そして幼少のころはその内蒙古自治区のホロンバイルに住んでいたと言いだしたのです。夏は暑くて、冬は雪の無い厳寒の草原です。
昨日、彼はその草原の広さと魅力を情熱的に話していました。
そして定年後、そのホロンバイルを何度も訪問し、植林事業のボランティア活動をしてきたと言います。
引き揚げの時の苦難は忘れたように一切話しませんでした。彼のものごとに拘らない良い性格です。
私は帰宅後、ホロンバイルとはどんな所かいろいろ検索して調べて見ました。
冬は雪が降りますが風に飛ばされて積もらないそうです。ですから彼にとって雪が家の2階まで積もる光景は驚天動地の光景だったに違いありません。
その光景は少年の心に焼き付いて、その興奮は大学生になってもさめなかったのです。その感動を私に話してくれたに違いありません。
昨日、50年ぶりに旧友と会い、小千谷とホロンバイルの風景を想像しながら眠りにつきました。こうして昨日も流れ行く日々の一日になりました。それは楽しい私のエピソードの一つになりました。
下にホロンバイルの写真をお送りいたします。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
・以上3枚の写真は中国内蒙古自治区ホロンバイル地方の風景です。出典は、北京週報http://japanese.beijingreview.com.cn/xz/txt/2010-07/05/content_283032.htm です。