(上の写真はアウシュヴィッツ強制絶滅収容所)
第二次世界大戦後に再構築された国際連合は世界の平和を守るために作られた国際機関です。
従ってその一部門のユネスコが認定する世界遺産の中には、平和を守るために人類が忘れてはいけない悲劇の建造物や事件の証拠物件も含まれています。
判りやすい例で言えば広島の原爆ドームやアウシュヴィッツ強制絶滅収容所などがこの理由で認定されています。
他にも負の遺産と考えてよいような45件ほどが、世界文化遺産として認定されています。
しかし認定の理由が複数ある場合もあり、どちらを重視するかによって建設的な意味での世界遺産とも言えますし、人類の残虐性を示す負の世界遺産とも言えます。
国連のユネスコは中立的な立場を守るので、どちらを重視すべきとは発表しません。
従って負の世界遺産か、あるいは良い意味での世界の文化遺産かは見る人の立場によって左右されます。
しかし誰がどんな立場にたって考えても人、類の悪行の証拠としか見えないものもあります。
人類の悪行とは奴隷制度、人種差別、人身売買、戦争行為、虐殺行為などです。
そのような明らかな19件の負の文化遺産の一覧表を下に示します。
しかし最近、偶然に本屋さんで見つけた本には45件の負の世界文化遺産が掲載されています。写真入りで説明されています。
その本は洋泉社発行の「負の世界遺産」(佐倉由美子、常井宏平、長谷川大の共同編集)です。
例えば福島原発の廃墟は日本政府が申請すれば負の世界遺産に認定される可能性があります。
そこで、この記事の後の続編ではこの洋泉社発行の「負の世界遺産」の45件の中から数例を取り上げ、世界文化遺産の意味を少し考えて見ようと思います。
皆様のご意見を頂ければ嬉しく思います。
=====19件の負の文化遺産の一覧表============
登録名をクリックするといろいろな写真と詳しい説明文が出て来ます。
(出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A0%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3です。)
画像 | 登録名 | 国名 | 基準 | 概要 |
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ゴレ島[12][13] | セネガル | (6) | 奴隷貿易の拠点となった島。 | |
アウシュヴィッツ=ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940年 - 1945年)[12][14] | ポーランド | (6) | ナチス・ドイツがユダヤ人を虐殺した強制収容所。 | |
ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群[15][14] | ガーナ | (6) | 奴隷貿易の拠点となった要塞が複数含まれる。 | |
キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群[2] | タンザニア | (3) | 牢獄の遺跡などを含む。 | |
カルタヘナの港、要塞群と建造物群 [2] | コロンビア | (4)(6) | 南米各地で略奪された先住民の財宝の積出港となった。 | |
ポトシ市街[2] | ボリビア | (2)(4)(6) | その過酷な労働から「人を食う山」と恐れられた銀鉱山の下で発達した町。 | |
トリニダとロス・インヘニオス渓谷 [2] | キューバ | (4)(5) | 奴隷の監視塔などが残るサトウキビ農園跡とその繁栄で築かれた建造物群が残る。 | |
ソロヴェツキー諸島の文化的・歴史的建造物群[2] | ロシア | (4) | ソロヴェツキー修道院はソ連時代に強制収容所に転用されていた歴史を持つ。 | |
原爆ドーム(広島平和記念碑)[12][13] | 日本 | (6) | 広島原爆で辛うじて残った広島県産業奨励館の残骸。核兵器の悲惨さを伝えている。 | |
ロベン島[12][14] | 南アフリカ共和国 | (3)(6) | 人種隔離政策に反対した人達が収容された島。 | |
ザンジバル島のストーン・タウン[16] | タンザニア | (2)(3)(6) | 東アフリカにおける奴隷貿易の拠点。 | |
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群[12][13] | アフガニスタン | (1)(2)(3)(4)(6) | 重要な巡礼地であったことから、度重なる攻撃を受けた。 | |
クンタ・キンテ島と関連遺跡群[14] | ガンビア | (3)(6) | ゴレ島とともに奴隷貿易の拠点となった。 | |
海商都市リヴァプール[17] | イギリス | (2)(3)(4) | 奴隷を含む三角貿易で栄えた港。 | |
モスタル旧市街の古い橋の地区[18][14] | ボスニア・ヘルツェゴビナ | (6) | 民族・宗教対立によって破壊された橋。内戦終結後に再建された平和と共存の象徴でもある。 | |
アープラヴァシ・ガート[2] | モーリシャス | (6) | 奴隷制度に代わる「契約移民労働」制度が始められた場所。地球規模での労働者の移動の先駆的な例という肯定的評価もなされている。 | |
ル・モーンの文化的景観[14] | モーリシャス | (3)(6) | 脱走した奴隷たちが自由を求めて戦った場所。 | |
ビキニ環礁の核実験場跡[19] | マーシャル諸島 | (4)(6) | 1954年3月1日の核実験で多数の漁船や島民が死の灰を浴びた。 | |
オーストラリアの囚人遺跡群[20] | オーストラリア | (4)(6) | かつて大英帝国が築いた刑務所などの建造物群。 |