山梨県北杜市の甲斐駒岳の山麓にある小生の小屋の周囲の過去の歴史を調べています。
石器時代と縄文時代は北杜市の北半分の八ヶ岳南麓には人々が沢山住んでいて見事な装飾のついた縄文土器を生産していました。縄文時代の住居跡もあちこちにあります。
しかし甲斐駒岳の東北の山麓は北向きの傾斜地が多く、冬は寒冷で住みにくかったらしく定住跡はありません。沢山棲んでいた鹿や猪の狩猟や、山菜や木の実の収集のために多くの人が出入りしていたようです。
しかし西暦前300年以後の弥生時代に入ると、田畑農業が普及し、八ヶ岳山麓の縄文人達は現在の韮崎市より東に広がる甲府盆地へと移動してしまいます。
弥生時代の遺跡は韮崎市の東側にしか出て来ません。八ヶ岳山麓や甲斐駒山麓には弥生時代の遺跡が皆無なのです。
それが西暦後300年以後の古墳時代になると甲府盆地の釜無川と笛吹川の両側の稲作地帯にのみ人々が定住していたようです。
その様子は山梨県にある30基の古墳の分布が甲府盆地の稲作可能な地帯にだけ集中している様子からも明快です。
北杜市には西暦前300年頃から西暦600年頃までの約900年間、人間が殆どいなくなってしまったのです。勿論、狩猟・採集生活が好きな少数の家族は北杜市に住みついていたでしょうが。
そこへ人間が戻るのは律令国家が出来て、献上する馬の放牧地として利用するようになった時代と推定できます。現在、北杜市武川町の甲州街道に牧原交差点(まきがはらこうさてん)があるのです。このあたりは中央朝廷へ献上する馬の生産地であって、牧が原の名がついたのでしょう。
それはいずれ続編で考察することにして今回は山梨県にある30基の古墳についてもう少し詳しくご紹介いたします。
下には笛吹川の傍にある全長170mの巨大な前方後円墳の甲斐銚子塚古墳の写真を示します。この古墳は西暦350から400年に造営されたと言われています。
そして下には山梨県にある30基の古墳の一覧表を示します。
それぞれの古墳の名前をクリックすると存在地と詳細な情報が出て来ます。
名前 | 形 | 紹介文 |
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姥塚古墳 | 円墳 | 径約40m、高さ約10mの円墳。 一番の見所は南西に開口す ... |
滝坂の往生塚 | 円墳 | 径15m、高さ3mの円墳。 埋葬施設は無袖型の横穴式石室で ... |
王塚古墳 | 帆立貝式古墳 | 全長約65mの帆立貝式古墳。 墳丘各所で円筒埴輪が見つかっ ... |
大塚古墳 | 円墳 | 径約15mの円墳。 片袖型の横穴式石室が南に開口、全長約8 ... |
岡・銚子塚古墳 | 前方後円墳 | 全長92mの前方後円墳。 墳丘には段が有り、葺石、埴輪が存 ... |
おつき穴古墳 | 円墳 | 墳形・規模は不明。公園内に保存されている。 横穴式石室が南 ... |
甲斐銚子塚古墳 | 前方後円墳 | 全長約170mの前方後円墳。 墳丘は後円部3段、前方部2段 ... |
加牟那塚古墳 | 円墳 | 径約45mの円墳。 埋葬施設は南に開口する横穴式石室で、全 ... |
かんかん塚(茶塚)古墳 | 円墳 | 径約26mの円墳。 埋葬施設は全長約7mの竪穴式石室で、武 ... |
狐塚古墳 | 円墳 | 径約15m、高さ約3mの円墳。 埋葬施設は南東に開口する無 ... |
経塚古墳 | 八角墳 | 全国でも発見例の少ない八角形墳の1基である。 径約12.5 ... |
こうもり塚古墳 | 円墳 | 大平1号墳、地元では「こうもり塚」と呼ばれている。 径10 ... |
盃塚古墳 | 円墳 | 径23m、高さ4.5mの円墳。 墳丘の周囲を幅1.8mの濠 ... |
地蔵古墳 | 円墳 | 大平2号墳、地元では「地蔵古墳」と呼ばれている。 径10~ ... |
地蔵塚古墳 | 円墳 | 径約35mの円墳。 片袖型の横穴式石室が南に開口、全長約1 ... |
団栗塚古墳 | 前方後円墳 | 現在は円形をしているが、前方後円墳だったようだ。 円丘部の ... |
千米寺古墳群 | 群集墳 | 古墳時代後期の円墳群。 かつては60基以上が存在したようだ ... |
塚原上村古墳 | 円墳 | 古墳時代後期に築造された円墳。愛称は「大西のおかま」。 墳 ... |
天神塚古墳 | 円墳 | 径約35m、高さ約4mの円墳。 埋葬施設は南に開口する横穴 ... |
中秣塚古墳 | 円墳 | 赤坂台古墳群の1基で、径14m、高さ約3mの円墳。 埋葬施 ... |
西ノ原古墳 | 不明 | 墳形・規模不明。石室が保存されている。 石室は南東に入口を ... |
子の神古墳 | 円墳 | 古墳時代後期に築造された径約5mの円墳。 横穴式石室が南に ... |
八幡塚古墳 | 帆立貝式古墳 | 現状は方墳だが、築造当時は帆立貝式古墳だったようだ。 葺石 ... |
平林2号墳 | 円墳 | 春日居古墳群の1基で、径15mの円墳。 埋葬施設は無袖型の ... |
ポンポコ塚 | 円墳 | 径15mほどの円墳。 出土品は不明だが、横穴式石室の形態か ... |
丸山塚古墳 | 円墳 | 径72m、高さ11mの円墳。 墳丘は2段に築かれ、埴輪が存 ... |
万寿森古墳 | 円墳 | 径約25m、高さ約5mの円墳。 2006(平成18)年の発 ... |
六科丘古墳 | 円墳 | 径28mの造出し付円墳。 内部構造については不明だが、鉄剣 ... |
物見塚古墳 | 前方後円墳 | 現存長約45mの前方後円墳。 墳丘全体を葺石が覆っていたと ... |
竜塚古墳 | 方墳 | 1辺約56m、高さ約7mの方墳。 墳丘は2段に築かれ、上段 ... |
以上にある山梨県の古墳の詳細や、出土品を詳しく見て行くと、このように山国の内陸地にこれだけ多くの古墳が築造されていたことに驚きます。
古墳の存在は地方豪族の存在を示しています。
そして古墳造営の費用をささえる農産物の増大を示しています。
日本の総人口は縄文時代中期の26万人まで増加し、末期の寒冷化で数万人まで減少します。しかし弥生時代に入り、農業の発達し始めると増加一方に変化したのです。
山梨県の甲府盆地には豪族たちが生まれ、領地の農民を支配し、お互いに戦争をしたり、和議を結んでいたのです。
この状況が、律令国家の甲斐国の成立と甲斐国分寺が出来る時代へとつながって行くのです。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)