月日の流れは早いもので秋のお彼岸になりました。春と秋のお彼岸と、夏のお盆には亡くなった父母や祖父母、伯父叔母や恩人達のことを思い出します。
私の父母や祖父母の墓は遠方の仙台市と兵庫県にあるので墓参りにめったに行けません。仙台に住む弟夫妻が良く参ってくれているので安心しています。小金井の近くにある家内の父母、祖父母の墓にはよく行きます。ついでに私の祖先の冥福も祈って来ます。
世の中には先祖の墓の無い人も多いものです。その方々はお彼岸やお盆に父母のことをを思い出し、いろいろなことを考えます。これも墓参りと同じことです。
亡くなった人へ感謝と憐れみを感じます。別に墓参りに行く必要はありません。
私は墓が有っても良いが、墓が無くても良いと信じています。亡くなった人々を偲び感謝することが広い意味での「墓参り」だと信じています。
そして血縁は無くても遠く外国から来て、日本の土になった人々のお墓も想います。その墓の写真を見て憐みを感じます。冥福を祈ります。
そのような墓の写真を下にお送りします。
![162_211 162_211](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/25/b1b22e477019fbd5090d032ef785790d.jpg)
上と下の写真は下田にある玉泉寺にあるアメリカ水兵5人、ロシア水兵3人のお墓です。玉泉寺の代々の住職が異国の土になった水兵たちを憐れんで供養を続けているお墓です。
![1601_21 1601_21](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/17/eb742643bd2862d9d49586c5df3bb511.jpg)
下は函館にあるロシア正教の墓地です。信者だった神の僕(しもべ)のロシア人と日本人が一緒に眠っています。墓地は現在の日本正教の信者が守っています。
![K_04711 K_04711](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/be/35f8afdb2fa454af7c7e30e00e18c756.jpg)
![Img_44271 Img_44271](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/fa/21f4eb7efb71130484c950913bac0bdc.jpg)
上は横浜の山の手にある外人墓地の風景です。いろいろな国の人が眠っていますが、イギリス水兵の墓が多いようです。
日本人は上の写真のように無名の外国人の墓を大切にしています。異国の土になった死者を憐み、その冥福を祈っているのです。
わたしはそのような日本人が大好きです。誇りに思っています。
外人墓地といえば普通欧米人の聖職者でない人々の墓地のことです。聖職者の墓地は別にあります。下にその一例としてお世話になったヨゼフ・ムニ神父様のお墓を示します。
![0041 0041](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/10/c0a78e98dd3d96ee88230fad6f439aaa.jpg)
写真の右側の質素な木の十字墓がヨゼフ・ムニ神父様のお墓です。
この隣にはカトリック東京司教区の全ての神父様を合葬した黒大理石の立派な墓があります。
その神父様たちの名前の列の中にある塚本金明神父様の名前に触って冥福を祈ります。私たち夫婦へ洗礼を授けてくれた神父さまです。
さて、下田の外人墓地は日本で初めての欧米人の外人墓地になります。
ちなみに中国人や百済、新羅、高句麗の人々の墓地は外人墓地とは言いません。
埼玉県の高麗郡にある高麗王の墓地は古いほうです。高麗王は戦いに敗れ、日本へ亡命し、大和朝廷から埼玉県に領地を貰ったのです。
そして唐の僧、鑑真のお墓は何処にあるのでしょうか。
この記事を読んで下さった方々はきっとご自分の父母、祖父母、親類縁者や恩人達のことを思い出していたと信じています。それは広い意味での墓参りと私は固く信じています。
(示した墓地の写真は全て私が折々に撮った写真です。)
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
=====玉泉寺について===================
玉泉寺略年表
天正年間 (1573-1592) |
創建 |
嘉永元年 (1848) |
現本堂落慶 |
嘉永7年 |
日露和親条約第2回、第3回の交渉の場となる。 |
安政3年 |
アメリカ総領事館が開設 |
安政6年 |
アメリカ総領事館を閉鎖 |
昭和2年 |
ハリス記念碑の建立 |
昭和26年 |
国の文化財「史蹟」に指定される。 |
昭和54年 |
第39代アメリカ合衆国ジミー・カーター大統領の来寺 |
平成3年 |
天皇、皇后両陛下の行幸啓を賜る。 |