後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

山郷、群馬県下仁田町の遠い日の盂蘭盆会、祭り、運動会・・・横山美知彦著

2014年01月09日 | 日記・エッセイ・コラム

いずれも幼き日の思い出である(小学生から高校生の頃)

盂蘭盆会

あつい夏、入道雲が南の山の頂から湧き上がっている。

今日も夕立か、そんな予想は間違いなく当たる。新暦の盂蘭盆会も過ぎて、夕立の去った山の谷合から吹き降りてくる風に、秋の気配が感じられる。

田舎の夏休みは早い。再び学校でのきついクラブ活動が始まる。何故か勉強のことは、頭に浮かんでこない。

川に降りて見る。精霊が家で過ごした盆棚を橋の上から川に流すことで精霊を再び仏の世界にお送りする。そして普段の生活が始まる。

先祖の精霊は、野菜や、胡瓜や茄子で拵えた馬や牛に乗ってやって来て、盆の間は現実の家で静かに過ごす。そして盆が終わるとお帰りになる。質素であってもそれぞれの家の風習に従い恙なく語り合う、そこには現代の世の中の醜さは微塵も感じられない。

祭り

お祭礼の提灯の明かりが何となく気持ちを、幼かった頃に戻してくれる。

夜、暗闇の中にかすかに見ることの出来るその明かりは、いったい何を私に教えてくれたのか。そして遠くから静かに聞こえる、笛や小太鼓の独特の音は、特別な世界に私を引き入れてくれる。

町内を引き回す山車にはなかなか触れることさえ出来ず、気持ちとは裏腹に遠巻きに眺めるのがやっと、と云う希望の叶えられないもどかしさを胸に秘めていたこと、少子化の現在とは想像する事も出来ないことだった。

山車の上の笛、鐘、太鼓の音が乱れる様に祭りを盛り上げる。山車の周りに取り付けられた組の小田原提灯が左右にかすかに揺れる。正面の一段高い場所にそれぞれの町内で自慢の人形も山車の動きに合わせる様にかすかに動く。

       深まりし秋の祭りの笛の音に

                    遠き昔を思い起こさん

運動会

祭りの終わった翌日の学校は、朝から機械的な音に再び気持ちをふるい立たせてくれる。

町内最後のイベントの運動会だ。スピーカーから流れるスポーツ行進曲は、自分の力量に関係なく子供達の耳を賑わし、天候だけを気にしながら指導の先生の合図で体をほぐす為の準備運動に入って行く。

今と違い校庭の外の周りには露天の物売りが数軒必ず出店していた。

大きな混乱もなく、子供達は店を目を丸くして覗くことが出来た。

いもあめ、芋串し、ハッカパイプ等が粗末な台の上に並べられており、玩具類はなかったように記憶している。

運動場での生徒達は、靴を履いていない。はだしだ。今では考えられない光景だが、当時はそれが当たり前で、足が痛いなどの言葉は何処からも聞こえてこなかった。

昼飯も気の利いた家でも各家で作る稲荷すしが精々で、大方通学時に持ってくる弁当箱に、良く出来て玉子焼きが入る程度だった。でも少しもそれを、みじめと思ったことはない。むしろ胸はいつもより高鳴り、心は晴れやかだった。

そして運動会が終わると同時に始まる蒟蒻刺しのアルバイトに抵抗を感じる憂鬱さが大きく頭をよぎる様になっていた。

  遠い日の運動場に我れ立ちぬ     (平成25年9月15日記)

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中国との軍事対決の危険性(3)中国・北朝鮮の侵攻を防ぐ日米韓共同軍事態勢の構築

2014年01月09日 | 日記・エッセイ・コラム

日本と韓国は、そしてアメリカは共同軍事演習を頻繁に実行して、中国・北朝鮮の侵攻を抑止し、平和を守るべきです。

このように書くと多くの日本人はすぐにひどく感情的になって、「韓国軍なんかと一緒に戦えない!」という意見が出てきそうです。

アメリカ本国から見ると強固な日米韓共同軍事態勢が一番理想的で、かつ確実な戦争抑止効果を上げると判断するのが論理的帰結です。

しかし日韓関係、韓米関係、日米関係には複雑な歴史的な負の遺産がからんでいて日米韓共同軍事態勢の構築を困難にしています。

そこが中国と北朝鮮の狙いです。日韓関係を悪化させ、そして韓米関係も離反させ、韓国を中国側へグッと引き寄せようとしています。なにせ中国には魅惑的な巨大市場があるのです。

安倍総理の靖国神社参拝は韓国を中国側へ押しやったので、アメリカが怒ったのです。

この行動は韓国人に従軍慰安婦問題を思い出させ、ついでに在韓米軍の慰安婦訴訟問題を連想させたのです。

米韓関係にはこの在韓米軍慰安婦問題と軍事上の指揮権がアメリカ側にある問題で常に反米感情が渦巻いているのです。その上、在韓米軍の駐留費の韓国側負担分の増額で揉めているのです。

その一方でアメリカ軍は陸軍兵の応援部隊を韓国へ送り、テキサス州に駐屯している第一機甲師団から最新鋭の戦車40両と装甲車40両を兵員とともにソウル近郊に配備するのです。配備は2月1日から始まりそうです。

これは中国の義勇兵の支援のもと北朝鮮が38度線を越えて侵攻してくる可能性を抑止しようという戦略です。朝鮮半島がキナ臭くなってきたのです。

そして韓国の女性大統領も韓国武装ヘリコプター部隊を訪問して激励しているのです。下の写真をご覧下さい。

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(写真の出典は、http://netanarugazou.doorblog.jp/archives/34028518.htmlです。)

日韓関係は両側ともに感情的過ぎます。論理的に自国の国益を守るための冷静な、そして建設的な議論が皆無なのが日本の将来を危険にしているのです。

冷静になるためには韓国で起きているいろいろな問題を知る必要があります。

そこで今日は日本ではあまり報道されていない在韓米軍慰安婦訴訟問題について簡単にご紹介いたします。

下に在韓米軍慰安婦を政府管理し人権を無視した朴正煕大統領とその娘の現在の朴槿恵大統領の写真を示します。

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(写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98_(%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD)です。)

在韓米軍慰安婦訴訟問題とは朴正煕大統領が在韓米軍慰安婦を政府管理し人権を無視しし強制したという理由で元慰安婦団体が韓国政府とアメリカ軍を被告にしてアメリカの裁判所に訴訟をおこした事件です。

訴訟そのものは2009年でしたが現在でも反米運動が起きるたびに利用される反米宣伝材料として使われています。丁度、日本軍の従軍慰安婦問題と同じように政治的な宣伝材料になっているのです。

現在の朴槿恵大統領は教養のある上品な夫人なので絶対に「慰安婦」などという言葉は使いません。

しかし父親の行なった在韓米軍慰安婦の政府管理は心の中で悩ましい問題になっていることに違いありません。同情を禁じ得ません。

そんな人情も理解し日本は日韓外交を推進し、絶対に中国や戦争を始めないように万全の外交と軍事的抑止を完璧にすべきです。

平和の尊さを忘れるべきではありません。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

=====参考資料:朴槿恵大統領の略歴============

韓国の第5代~第9代大統領である朴正煕(パク・チョンヒ)と陸英修(ユク・ヨンス)の長女として、慶尚北道大邱市で産まれた。異母姉に在玉、妹に槿英がいる。現EGテック会長の朴志晩(パク・チマン)は末弟。朴正煕の軍人時代の副官で元カナダ大使の韓丙起は、在玉の夫で義兄に当たる。

キリスト教系の聖心女子中学校聖心高校を卒業後に西江大学電子工学科に進学した。大学では中国語も専攻している。首席で卒業後に、フランスのグルノーブル大学に留学した。留学中の1974年8月15日文世光事件が発生し、母親の陸英修が暗殺されたため、急遽留学先のフランスから帰国し、その後は父のファーストレディー役を務めた。1979年朴正煕暗殺事件で父は金載圭(キム・ジェギュ)KCIA長官に暗殺された。父の死亡を耳にした際の第一声は、混乱に乗じて朝鮮人民軍が侵攻することを懸念した「休戦線は大丈夫か」だった。

(出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%A7%BF%E6%81%B5

=====在韓米軍慰安婦訴訟問題===============

2009/01/08(木) (出典:http://anago.2ch.net/test/read.cgi/asia/1231400068/

韓国人元慰安婦、韓国政府と米軍を告発 NYタイムズ紙

米ニューヨークタイムズ(電子版)は8日、韓国の元慰安婦のグループが、1960年代から80年代にわたって
米兵との性的行為を強制されたとして、当時の政府指導者に謝罪と賠償を求めて告発したと報じた。
このグループは組織的な慰安施設の設置に直接的に関与したとして、米軍と韓国政府をあわせて告発した。
同紙によると、元慰安婦のグループは朝鮮戦争後、韓国に駐留していた米軍の基地近くにあった
慰安施設で米兵を相手にした売春を強要されたと証言。一帯では、米軍の憲兵隊と韓国当局者が施設を見回り、
番号札を使って性病に感染したとみられる慰安婦を排除しており、性病が疑われた女性は警察当局が、
窓に鉄格子がはまった「モンキーハウス」と呼ばれる施設に収容し、快復するまで治療が施された、と証言している。
同紙は、韓国の専門家が、当時の韓国政府は米軍の撤退を恐れており、それを防ぐために手段を選ばなかった
と指摘しているとし「慰安施設には韓国政府と米軍の積極的な関与があった」とする別の専門家の談話を伝えた。