上は甲府の湯村温泉から見た鳳凰三山です。山の下に人家があって沢山の人々が住んでいます。遠方から見ると皆が幸せそうに暮らしています。
(下の2枚の写真の上のは1月16日に撮り、下のは1月17日に撮りました。)
そして下は甲府市の郊外にある銚子塚古墳近辺から見た甲府市の市街です。やはり鳳凰三山の麓に甲府市が広がり沢山の人々が平和に暮らしています。
この2つの写真を見ながら私は写真に写っていないものを頻りに考えていました。
風景写真には人間が写っていません。ですから人間の心は写っていません。人間のきずなも写っていません。
それはそれとして、最近のマスコミでは「絆(きずな)」という言葉が何度も出てきます。
しかし昔の人間の私にとってこの「絆」という言葉の意味が分かりません。意味不明な不可解な言葉です。困った言葉です。
そこで改めて「人間の絆」というものを考えてみました。
昭和時代に人生の大部分を過ごした私にとって「人間の絆」と言えば親類同士の情愛、や師弟の愛や先輩後輩の関係などを思い出します。
そしてそれらの暖かい絆が、昭和が過ぎると共に日本から消えて行ったことに気が付きました。
すると最近叫ばれている絆とは他人同士の助け合いの精神のことを意味しているようです。はたしてそうなのでしょうか?
そこで、「人間の絆」とは何であるかをより明確にするために、「昭和とともに消えてしまった暖かい人間関係」という連載を始めたいと思います。
第一回で取り上げたものは「親類同士の親密な絆」です。
私の育った戦前、戦後は叔父、伯父、叔母、伯母、が沢山居て、その全ての人に親しく遊んでもらいました。
成人して社会人になってからも泊めて貰ったり食事をご馳走になったり随分と親密な付き合いかたをしたものです。そして従兄弟(いとこ)達とも良く一緒に遊んだものでした。
何かの法事があるとこの親類同士がよく集まって食事をしたものです。
親類同士がお互いに愛し合い、その人間関係を濃密にしていたのです。
この親類のきずなを他人とのきずなより重要視し、大切にする文化は江戸時代からほとんど変わっていないようでした。
それが私の息子や娘の時代になるとすっかり変わってしまいました。
ほとんどお付き合いがありません。非常に疎遠な関係なのです。
雑な言い方をすれば、親類のきずなを重要視する文化が消えてしまったのです。江戸時代から続く日本の文化がまた一つ消えたのです。
淋しい文化になりました。
しかし現在の若い人々にとってそれが良いのです。親類との付き合いが鬱陶しいのです。個人の尊厳と自由を大切にする文化に変容したのです。
それが良いことなのか悪いことなのか私には分かりません。
しかし親類を重要視する文化は世界のあちこちに根強く存続していることも見落としてはいけいないと思います。
インドもインドネシアもタイも親類重視の文化圏です。
中近東もエジプトも親類重視の文化圏です。
反対に親類軽視の文化はアメリカ、カナダにヨーロッパ諸国になります。
日本は脱アジアをして親類軽視の文化圏に入ったのです。
もう一度書いて恐縮ですが、この日本の親類軽視の文化への移行が良いことなのか悪いことなのかを私は判断を致しません。
それは人それぞれの心の問題です。他人が自分の考えを押し付けるべき問題ではありません。
上に示した甲府市の家々に住んでいる人々の一人一人が、いろいろな親類との関係を持っているのです。
一般的に通用する正しい関係などというものは絶対に存在しません。
しかしそれにしても、「親類との親密な文化は無くなった」と言ってもあまり大きな間違いは無さそうです。(続く)
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)