後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

淡路島にある日本三大水仙群生地、灘黒岩水仙郷の写真です

2014年01月27日 | 写真

先程、京都の田中正基さまから以下のコメントを頂きました。そして灘黒岩水仙郷のことを教えて頂きました。

早速検索して美しい水仙の花々の写真をお送りいたします。

花に飢えていたので嬉しく思いました。田中正基さま、有難う御座いました。

=====田中正基さまからのコメント=================

はじめまして、京都市在住の田中正基と申します。先日よりブログを拝見させていただいております。様々な場面で後藤さまのお人柄が想像できます。

このブログと出会ったきっかけは、50才になり船に乗りたいと考えておりましたところ、何もわからなかったので、ネットで検索しましたらこのブログに、出会いました。

パワーボートも考えておりましたが、ブログを拝見し、キャビン付きのセールボートに気持ちは片寄っています。まだ、免許がないので今春に取得しようと考えています。

船好きは小さいころよりありました。漁師町(兵庫県洲本市由良)出身で、船溜まりで遊んで育ちました。また、父は住友系の第一中央汽船の乗組員(機関士)として働いておりました。現在は京都市右京区在住ですが、退職後(府立高校教諭)には洲本に帰ろうと思い、こんな思いをしているところです。船に対する認識が甘いと叱られると思いますが、気軽な気持ちから考えていきたいと思います。貴重なお時間をいただきありがとうございました。これからもブログを楽しみにしております。

由良には水仙が美しい灘水仙郷があります。懐かしく思いました。投稿 田中正基 | 2014/01/27 10:19 

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以下は、http://www.awaji-web.com/index.php?sightseeing_suisenkyo から転載させて頂きました。(瀬戸内海国立公園 淡路島 灘黒岩水仙郷は、諭鶴羽山の南側斜面に面した約7haに500万本の野生のスイセンが群生してます。日本三大群生地の一つに数えられるスイセンの名所です。)

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昭和とともに消えてしまった暖かい人間関係(3)先輩後輩の愛、そして古い絆いろいろ

2014年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム

人間どうしの絆は時代とともに変わっていくものです。江戸時代はそれぞれの藩の中での主従関係の絆や家系・親類との絆が非常に重要視され、農民や商人の間でもその影響が強くありました。

明治維新で廃藩置県が実施されると江戸時代の士農工商の身分制度に基づいた絆は次第に消えて行きました。

代わって新しい学校制度の導入にしたがって卒業した大学や師範学校、そして士官学校、などの学校の先輩後輩の絆が重要になったのです。

卑近な例で言えば、私が経験したことですが、現役時代に仕事で大会社や官庁を訪問すると、私の卒業した東北大学の先輩たちが沢山出てきて親切に対応してくれるのです。

決して他の大学の卒業生は出てこないのです。

会社や官庁には学閥が形成されていました。そして異なる学閥どうしのバランスを上手に調整するのが人事部だったのです。

そのような人間のきずなは経済の高度成長後に消えて行きました。

それで同じように消えて行った日本人のきずなを考えてみると他にも沢山あります。

たとえば結婚の仲人をしてくれた夫婦には一生、お中元やお歳暮を送るという習慣も昔はありましたが、次第に消えて行きました。

私どもへ相変わらず贈物を続けている夫婦は盛岡神社で挙式したY夫妻だけになりました。頼まれた仲人でしたがその奥さんは何十年も家内と温かいきずなを持っています。

お中元やお歳暮といえば職場の上役さんへ送る人も多かったのです。会社勤めの人にとっては頭を悩ます問題でもあったのです。

現在でも続いているようですがその重要性は減少しました。

お中元やお歳暮は恩師と弟子の間でも盛んに送られていました。師は一生の間、弟子の先生であり盆暮の挨拶やお正月の挨拶は欠かせませんでした。

伝統的な芸事の世界ではまだその習慣が残っていますが、一般社会では消えて行きつつあります。

会社同士のきずなも様変わりしました。以前は大会社とその下請け会社の子会社とのきずなは非常に固かったのです。

大会社は子会社の技術的な指導をして、さらに経済的支援までしてくれたのです。もちろん子会社は一つの親会社の仕事しか下請けしなかったのです。

それがバブル経済の崩壊で消えて行ったのです。

当然、親会社で働いている人と子会社の人との主従関係のような絆も消えて行ったのです。

このようにして日本の社会における暖かい人間の絆が消えて行ったのです。昭和という時代が消えるとともに消えて行ったのです。

老境にある私にとっては懐かしい人間のきずなです。それが消えて行くのは淋しい光景です。

しかし私は一方で新しい、そして素晴らしい人間同士の絆が出来てきたことを見逃してはいません。

そのことは続編で書いて行くつもりです。輪廻という言葉を連想しています。

下に挿絵がわりに花の写真をつけました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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