(上は甲府、富士屋ホテルの部屋から見た朝焼け空の富士です。1月17日撮影です。)
日本ではキリスト教に関する教養書や解説的な本が多数出版されています。
ですから多くの人がキリスト教が愛と平和の宗教だと知っています。そしてイエスが「左の頬を打たれたら、右の頬を出せ」と言ったことも知っています。「汝の敵を愛せ」と言ったことも知っています。
その一方でキリスト教は排他的な宗教で多くの戦争の原因になっているとも言います。キリスト教の洗礼を受けると先祖の供養が出来なくなると言います。神社での結婚式や仏式のお葬式にも出られなくなり義理を欠くことになります。
簡単に言ってしまえばキリスト教の洗礼を受けると日本人では無くなり一生、孤独な淋しい人生を歩むことになります。
洗礼を受ける前に私はそんな恐れを少し感じました。
その感じ方は日本民族の欧米民族を嫌う深層心理から来ているのかも知れません。日本列島に住む人々の「和」を乱すものを本能的に避けようとする深層心理から来ているのかも知れません。
日本には驚くほど数多くのキリスト教的な学校があります。しかし殆どの卒業生は洗礼を受けません。受けると就職や結婚に差し障りがある恐れがあるからです。
このような感じ方は興味深いものです。
古来、日本列島だけに住み、移民を入れないで来た日本民族の自然な伝統文化なのです。
それはそれで良いのです。
しかし洗礼を受けて、43年間、毎週のようにミサに出席して来た私は上に書いた感じ方や理解が完全に間違っていることを知りました。
結婚式もお葬式も義理を欠かさず出席してきました。先祖の墓参りもし、
神社やお寺を尊重し、大切にして来ました。私が洗礼を受けていると差別する人は一人もいませんでした。
洗礼を受けた後は、以前よりも広い世間を自由闊達に歩いてきました。
しかし他人へ洗礼を受けなさいと絶対に言わないことにして来ました。
そんな態度で、毎週、日曜日にはこのブログで宗教に関する記事を掲載してきました。
そうしたら、以下のようなメールを頂きました。
=========ある方からのメール=========
後藤 和弘 様
こんにちは、ご無沙汰しておりますKHです。
毎日更新されるブログを拝見し、変わらず平安にお過ごしのことと忖度します。
去年の成人の日に後藤さんのブログに初めてコメントを差し上げて一年が経ちました。
ふと外を見ると一面が雪景色になっていた日でした。
一年はあっという間のようにも、ずいぶん昔の事のようにも感じます。
あれからの後藤さんの数々の記事に改めて感謝の意を表したくメールしました。
こちらの近況報告ですが、お世話になっている教会の何か役に立ちたいと思い、行事のお手伝いをさせていただいたり、主日ミサの日は趣味の合唱と声楽練習を生かせればと歌の奉仕をさせていただいたりの日々です。
そして、4月の洗礼に向けて準備を始めつつあります。
教会活動でお世話になっている素敵な方(私が思う日本の聖母マリアのひとり)に、代母さんになっていただけないかと相談したところ、快諾してくださいました。
相変わらずご多忙のご様子の山本神父様のお手を煩わせずに代母さんを見つけることができ、ひと安心しました。
信仰に関する願いは必ず神様にきき入れられると聞きましたが、この一年すべての願いが叶い、本当にそのとおりだと実感し、確信しました。
お蔭さまで主に導いていただき、心豊かに毎日を過ごしています。
これからも神様の祝福が後藤さんと奥様のうえに豊かにありますようお祈りします。
風邪などひかれませんようご自愛くださいませ。 KHより
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拙い内容のブログですが、嬉しい反響でしたのでご紹介させて頂きました。そしてKHさんのためにお祈り致します。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
(上は中央高速道路、初狩サービスエリアから見た富士山です。1月16日に撮りました。)