後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

やっと梅がチラホラ咲き出しました・・・神代植物公園梅林にて

2014年01月29日 | 写真

梅の開花が待ちどうしくて先程、神代植物公園の梅林へ行ってきました。

数十本の梅林に2、3本だけ咲き出していました。

それでも多くの気の早い人たちが咲き出した木の周りに集まってさかんに写真を撮っていました。

早咲きの梅の写真の写真をあ楽しみ下さい。

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神社と人々のきずな・・・神社にまつわる楽しい思い出

2014年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム

気楽に読める文章を書く。読めば心が明るくなる。幸せな気分になる。

そのような文章を書くのがこのブログの方針です。

今まで人々の間の絆(きずな)について何度か書いてきました。そろそろ人間と神との間の絆の話に移ろうと思います。

そうすれば当然、神社の八百万の神々と日本人のお付き合いの風景から始めるのが自然です。お釈迦様やキリストとの絆はその後に気楽に書く予定です。

神道の教義や小難しい神道論議は一切省略です。

それよりも日本人の神社にまつわる楽しい思い出を書きます。

人々は幼少の頃から神社のお祭りや出店を楽しんできました。神社の境内でかくれんぼをしたり走り回って遊びました。

そんな楽しい思い出を書きながら、 神社との人々のきずなについて考えてみたいと思います。

まず下の写真をご覧下さい。

今年の元旦の小金井市にある貫井弁天(上)と稲穂神社(下)の初詣の風景です。家族連れの人々が楽しげに行列をつくり、年の初めのお祈りをしている風景です。

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上の稲穂神社は2人の子供が生まれた時のお宮参りをした所です。3人の孫もお宮参りをここでしました。七五三にも参拝しました。鈴を鳴らし柏手を打ち、頭を下げてお願いをする。それでなにか心が穏やかになります。

下の貫井弁天は幼い孫たちを連れて池の鯉に餌をやりました。毎日のように通ったものです。貫井弁天からはお正月に獅子舞がやって来ます。

ですからこの2つの神社には自分の子供達と孫達が幼かった頃の楽しい思い出が沢山つまっているのです。

「神社は楽しい所」という思い込みは私の幼少の時代に出来上がり、心の底に棲みついているのです。

仙台市の愛宕山のそばで生まれ、育った私は愛宕神社で遊び回ったのです。

祭礼の日には神楽や漫才を飽きずに何時間も見たものです。沢山の楽しい出店が出ていました。

その愛宕神社の同じ境内に虚空蔵菩薩神社があり、その拝殿に上がったり、縁の下に入ったりしてよく遊んだものです。

虚空蔵菩薩神社と大鐘は下の大満寺が管理していました。神仏混淆です。

幼少のころは神仏混淆など知りませんでしたから、2つの大きな神社がある愛宕山は単なる遊び場だったのです。

大人のいない広々とした子供だけの天国だったのです。神官も出征してしまったのか社務所はいつも閉まっていて人の気配がありませんでした。

神社と日本人の絆はこうして遊び場の思い出、祭礼の思い出、神輿や獅子舞の思い出として、自然発生的に出来ているのです。

神社とその氏子という関係は強くはなく、神社とのお付き合いは気楽です。

神官が家々に回ってきて寄付を強要しません。少しのお賽銭をあげるだけです。

この関係はお寺さんとのお付き合いや、キリスト教の教会とのお付き合いに比べれば非常に気楽で、心の負担になりません。

この気楽さが若者にも良いのでしょう。多くの若いカップルが初詣をしたり、女性が「パワースポット」を求めて神社によく行っているのです。

神社と日本人の絆は意識する必要もありません。それは渇いた人が水を飲むように自然に出来てしまう絆なのです。

日本人の行くところでは必ず神社を建てます。台湾でも朝鮮でも樺太でも満州でも、そして南太平洋の日本統治の島々にも神社を建てました。

神社との絆は日本人のアイデンティティーの一つなのです。

さて皆様は神社に対してどのような楽しい思い出をお持ちでしょうか?

思い出してお楽しみ下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

=====参考資料===================

神社とは;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%A4%BE

「神社の名前」

近世まで、固有名の部分を除いた「神社」「大社」「宮」などの社号に特別な基準はなく、一つの神社が状況によって異なる呼ばれ方をすることもあった。明治時代に神社が国家の管理下に入ると、公認されたもののみが「神社」を名乗り、大社・神宮などを名乗るには勅許などが必要とされた。終戦後には政教分離により国家、皇室が神社に直接関与しなくなったため、特に許可がなくても、大社、神宮を名乗れるようになった。

伊勢神宮に代表される神宮号は7世紀まで遡る古いもので、由緒が皇室神話に関わるごく少数が神宮と名乗ることを許された。明治時代には、単に「神宮」といえば伊勢神宮を指した。明治天皇を祀る明治神宮が創建されると、他の天皇を祀る神社も順次神宮に昇格した。こうして、歴史上の人物を祀る神社で、天皇を祀るものを神宮、皇族を祀るものを、功臣等を祀るものは神社とされた。

戦後に神宮を名乗るようになった神社には北海道神宮(旧札幌神社・北海道)、伊弉諾神宮(兵庫県)、英彦山神宮(福岡県)がある(京都府亀岡市の元官幣中社出雲大神宮等の「大神宮」は「神宮」号とは異なるとされる)。福岡県福岡市東区の香椎宮のように、いわゆる神宮ではないのに、最寄りの駅名が香椎神宮駅(香椎線)であるために誤解される例もある。

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日本の神社の総数79335社http://naka-se.com/yogumi/sight/jinja/kazu.html

 全国の神社には、さまざまな神さまが祭神として祀られていますが、その一方で同じ名前の神社も全国各地で見かけることがあります。

 街を歩いていると、また里を訪れると、しばしば目にする神社。どんな小さな集落にも一つはあるにちがいないが、そもそも日本にはいったい神社がいくつあるのでしょうか?
 その答えは79335。神社本庁が平成2年(1990年)から平成7年(1995年)にかけて実施した「全国神社祭祀祭礼総合調査」に基づく数字です。ただしこれは、きちんと「神社」として届け出があるものに限られますが。

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神社本庁が説く神道とはhttp://www.jinjahoncho.or.jp/iroha/index.html

街中の赤い鳥居、田んぼの中のこんもりした森、山の頂の小さな社、全国至るところに神社はあります。神社のある風景、それは映画やドラマでもおなじみの、ごく身近な、しかし日本にしか見られない独特の風景です。

このような神社を中心とした、日本の神々への信仰が神道です。

神道は、日本人の暮らしの中から生まれた信仰といえます。遠い昔、私たちの祖先は、稲作をはじめとした農耕や漁撈などを通じて、自然との関わりの中で生活を営んできました。自然の力は、人間に恵みを与える一方、猛威もふるいます。人々は、そんな自然現象に神々の働きを感知しました。また、自然の中で連綿と続く生命の尊さを実感し、あらゆるものを生みなす生命力も神々の働きとして捉えたのです。そして、清浄な山や岩、木や滝などの自然物を神宿るものとしてまつりました。やがて、まつりの場所には建物が建てられ、神社が誕生したのです。このように、日本列島の各地で発生した神々への信仰は、大和朝廷による国土統一にともない、形を整えてゆきました。そして、6世紀に仏教が伝来した際、この日本固有の信仰は、仏教に対して神道という言葉で表わされるようになりました。

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コメント

本日もブログの更新、ありがとうございます。気になり見させていただきました。紅白梅、香りが漂よってきそうな感じでした。ありがとうございます。神社についても色々とありがとうございました。今後、写真をお送りできればと思います。伊勢神宮の「お白石持ち」に参加できました。友人が伊勢神宮の宮大工をしていまして、一緒に参加しました。また、小生、京都市右京区の「梅ノ宮大社」のお世話をいたしております。5月3日にはお祭りで神輿を担ぎます。1年間に10回くらいは担いでいます。わら天神、伏見稲荷、松尾大社、貴船神社、御霊神社、清明神社、八坂神社、山王神社、天童神社、嵯峨まつりなどです。神様と人間の間(ま)をつりあわせると先輩から聞きました。それが「まつり」だと。八坂神社の御神輿は7月17日(山鉾巡幸の夕方)と24日(後祭り)があります。2日とも仲間2,000人くらいと担ぎます。私の担当は「三若みこし会」(すさのうの尊)で副会長です。夜の京都の街を巡幸する神輿はいいものですよ。すみませんヨットから神輿の話になりました。失礼しました。