後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

森一弘氏の講演、「これからのの日本のゆくえ」(1)アメリカの好戦思想の源泉

2014年08月03日 | 日記・エッセイ・コラム

今日のカトリック小金井教会のミサは森一弘司教様の司式で行われました。説教も感動的でしたが、ミサ後の講演が実に論旨明快で内容の深い憲法に関するお話でした。講演の題は、「これからの日本のゆくえ」ー憲法改正問題を切り口にしてーというものでした。

現在、憲法改正に反対する人も賛成する人も深く考えるべき重大な指摘です。

そこでこの講演の内容を自分の理解した範囲で連載して行きたいと思います。

尚、同じ題目の本が女子パウロ会から2013年12月25日に出版、販売しています。どなたでもでも500円プラス税金でネット購入出来ます。

森一弘氏は有名な社会評論家でもあり哲学者でもあり、昔から数々の本を執筆している日本を代表する知性です。

講演ではフランス、ドイツ、スイス、中国、韓国などか各国の憲法を比較し、それらの内容が大きく異なっていることを明らかにしました。そしてヨーロッパ諸国の憲法には世界をどのように見るかという哲学があり、どのような国にしたいのかが明記してあると言うのです。

ですから憲法を改正するなら、まず日本人がどのような国を作るのか、その明確なヴィジョンが無けれなりません。しかもそのヴィジョンは人類の普遍的な価値観や哲学に基づいているべきだというのです。

いたずらに再軍備だ!平和条項削除だ!と騒ぐ前に明確なヴィジョンと哲学を作るように議論すべきだというのが今日聞いた講演の主旨でした。

それはさておき、第二次大戦後のアメリカの数多くの戦争を列記し、何故、民主国家アメリカが戦争が好きなのかの説明しました。それがこの講演の導入部でした。

第二次世界大戦後、アメリカが、武力参戦・交戦をした相手国や地域は以下のようになります。

1946年、1950~53年、             中国

1950~53年、                    朝鮮動乱

1954年、1967~69年、             グアテマラ

1958年、                       インドネシア

1959年~60年、                  キューバ

1964年、                       ベルギー領コンゴ

1965年、                       ペルー

1964~73年、                   ラオス

1961年~1973年、                ベトナム

1969年~70年、                  カンボジア

1983年、                       グレナダ

1986年、                       リビア

1980年代、                     エルサルバドル

1980年代、                     ニカラグラ

1989年、                       パナマ

1991年~99年、                  イラク

1993年、                       ソマリア

1995年、                       ボスニアヘルツゴビナ

1998年、                       スーダン

1999年、                       ユーゴスラビア

2001年、                       アフガニスタン

2003年、                        イラク

アメリカがこんなに武力行使や戦争をしてきた思想的原因は、その正義感にあるのです。

共産主義は悪だ、そして人権侵害もそれ以上に悪だというのです。

その悪魔をやっつけるのは武力行使と戦争しかないのです。

そいうアメリカ独特の正義感で戦争を行うのがアメリカの誇りであるのです。それがアメリカ国民を統一しているのです。国家の成立からヨーロッパやアジアの国々とは違っているのがアメリカです。民族・言語・宗教などが違う人々が移住して来て出来た国です。「すべての人間は自由であり、平等である」という価値観・哲学のもとに動く国です。世界の何処かに戦争が起こり、収まらぬ時は出かけて行って武力行使によって終息させようとするのです。アメリカには苦しむ人々を援けねばならぬという信念があるのです。

そういう国と日本は安全保障条約を作っているのです。もう一度、日本を将来どのような国にすべきか深く考えるべきではないでしょうか。これは講演の導入部でした。下に森一弘氏の写真をしめします。・・・(続く)

Img_9886

Img_9892


貧しい家に生まれる不幸な運命・・・何故運命は不公平なのか?

2014年08月03日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_9854 写真のような 多摩川の流れを見ながら考えました。

運命とは不公平なものです。

頭が良くて性格も良い人が貧しい家に生まれただけの理由で苦しい不幸な一生を送ることが多いものです。

学費が無く大学を卒業できないので、職場では差別にあい少ない給料で我慢しなければなりません。不幸な運命です。

就職出来れば良い方で、世の中にはもっともっと不幸な運命に翻弄されて人生を送っている人々もいるのです。

どうして運命はこんなにも不公平なのでしょうか?

写真のように川の水は奥多摩の山々に降るという運命に甘んじ、不平も言わずに清らかに流れています。時が流れるにしたがって下流へ、下流へとながれ、最後は海にそそぎ、その一生を終わります。

しかし人間の一生はこの川の流れのように平和ではありません。数々の悲しい出来事が起こるのです。

ある人はそれを運命と諦めて静かな気持ちで流し去ります。またある人は数々の悲劇に全力で立ち向かい、自分の力で悲劇を克服しようと努力します。

私の若い頃は自分の力を信じ努力しました。しかし老境にいたると全て運命と諦めて、悲しい出来事を黙って流し去るようになりました。仏教でいう「足るを知る」という心境です。

現在、中東で起きている内戦の惨劇を見ると神様は何をしているのだろうと怒る人も多いと思います。当然です。

特にユダヤ教のイスラエルがイスラム教の過激派のハマスが支配しているガザ地域を猛攻撃しています。そしてキリスト教国のアメリカがイスラエルを応援しているのです。彼等の神様はその暴力と地上の惨劇を平気で見下ろしているのでしょうか。

多くの日本人はこの中東での終わりの無い惨劇を毎日新聞やテレビで見ています。神の無力を感じています。無宗教のほうが良いと感じています。それは自然な心の感じ方です。

しかし何故かは判りませんが、私はそれでも神を信じています。

カトリックのローマ法王を信じています。神様は何をお考えか私には理解出来ませんが、中東で起きている悲劇が早く終わりますようにと祈っています。

多摩川の流れの写真を下にも示します。

この流れを見つめながら神様は何をお考えだろうかと考えていました。何故、運命は不公平なのだろうかと考えていました。解の無い疑問です。

こうして夏の日が流れて行きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

Img_9860

Img_9868