後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

久ぶりに京王フローラル・ガーデンに行ってきました

2014年08月31日 | 写真

夏の猛暑の間の2ケ月程ご無沙汰してしまいました。
今日は8月末日で、秋らしくなりました。心地良い秋風が吹いています。
午前中はミサに行きました。午後に思い立って家内と調布市にある京王フローラル・ガーデンに行って、花々の写真を撮って来ました。
写真をお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

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カトリックの信仰、不立文字、そして朝日新聞の国賊論

2014年08月31日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は日曜日なので少しだけ宗教のことを書きたいと思います。

そして宗教の立場から最近言われている朝日新聞は国賊だという意見を考えてみます。

私は仏教が好きで趣味のようにいろいろなこと調べたり仏教の本を読んできました。

例えば禅宗とは何でしょうか。

簡単です。お釈迦様が悟りを開いたのは菩提樹の下で座禅をしていた時ということになっています。ですから座禅をすればお釈迦さまの教えが理解出来る。こういう考え方が中心になっているのが禅宗です。

禅宗は判りやすいので中国や朝鮮半島や日本に広がり数多くの禅宗系の宗派のお寺があります。

その禅宗の言葉に「不立文字」という言葉があります。

文字とは経典の言葉のことです。「不立文字」とは経典だけをいくら読んでも経典の意味が実感できないという意味です。読んだだけでは信じる事ができないというのです。

座禅の体験を繰り返しているとある時、目からうろこが落ちるように経典の内容が理解出来るのです。そして、諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静などという言葉の意味が氷が解けるように簡単に理解出来るのです。

私は思わず、「そうだ!」と叫びました。カトリックの信仰において、教会でのミサが一番大切にされています。それは宗教的体験を重要視しているからです。

そのミサの中でイエス様が最後の晩餐でパンを裂き、弟子たちに与えた行為を再現するのです。そして信者の一人一人が神父さまから小さなパンを貰うのです。

これを毎週繰り返していると聖書の文章が活き活きと理解出来るのです。

宗教を信じるためにはいくら本を読んでも駄目です。座禅とかミサに参加するとか巡礼をするとか体を動かさないと駄目なのです。それを宗教的訓練と言います。

それはさておき、朝日新聞は本当に国賊でしょうか?

諸行無常の考えに従えば、朝日新聞が隆盛をきわめた時代も、そして国賊だと非難されている時代も諸行無常ということを証明しているに過ぎないのです。

国賊だという理由はこの新聞社が韓国の味方をして日本を貶めたからです。最近の雑誌を見るとこのような売国的な新聞社の存在は許せないと書いてあります。

しかしこのような騒ぎはイエス様やお釈迦様から見たらどのように見えるでしょう?

朝日新聞社も私利私欲で経営利潤を増大し、日本の俗世界を言論で支配しようという欲の亡者です。

それに反対する人々も日本の利益だけを考えて動いているのです。そして右翼的な言論を弄して日本社会を支配したいと願っているのです。韓国人の感情などあまり重要視していないようです。

ですからイエス様やお釈迦様がこれを見て人間の欲望の大きさに落胆していると思います。二人とも、そのような此の世の欲を捨てなさいと教えているのです。

国賊だ、売国奴だと言ってはいけません。諸行無常なのです。そして毎日を涅槃寂静の境地で過ごしたいものです。

今日の挿絵代わりの写真は涅槃寂静のような多摩川の流れです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

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