日本と朝鮮半島の交流を考える時、日本による朝鮮合併の時代から後のことだけを考えることが多いものです。
そうすれば現在の日韓関係の不毛な感情的対立が起きるのは当然です。
しかし日本と朝鮮半島との交流は石器時代から縄文時代、弥生時代、、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代と連綿と続いていたのです。
なんといっても対馬から釜山市近辺の山並みが見えるくらい近いのですから、人間の往来は容易だったのです。
そこで今回は仏教が朝鮮半島から伝わった経緯を見てみましょう。
日本に仏教が伝来したのは日本書記によると552年、欽明天皇の時、百済から伝わったということになっています。しかし538年という説も有力です。
そうして朝鮮半島出身の慧慈(えじ)が聖徳太子の師になっていたのです。
それはさておき、朝鮮半島へ仏教が伝わったのは、半島が高句麗、百済、新羅の三国に分裂していた時代でした。
最初に伝来したのは372年の高句麗であり、中国か ら伝わったのです。
中国の前秦王の苻堅(在位357年~358年)が僧侶の 順道と仏像などを高句麗に送ったのが半島への仏教伝来のはじめであると考えられています。
苻堅は、中国仏教史上、重要な人物である道安を 自分のもとに迎えたほか、訳経僧として有名な鳩摩羅什(350年?~409年?)を獲得するため西域に兵を派遣していた王様でした。
その苻堅から仏教を伝えられた高句 麗でも仏教が盛んになり、中国に数多くの留学僧を派遣しました。
そして日本へも聖徳太子の師となった慧慈(?~623年)をはじめとして、多くの僧侶を日本へ派遣したのです。ですから日本の仏教は朝鮮半島出身の僧侶たちによって創られてきたと言うことも出来るのです。
以下に(http://todaibussei.or.jp/asahi_buddhism/20.html)から一枚の表を転載いたします。
676年に朝鮮半島を統一した新羅は、仏教文化を花咲かせました。
新羅王朝も後半の九世紀になると、中国仏教の動向をうけて禅が盛んになりはじめるのです。
中国に求法した禅僧たちは新羅に帰国すると、山を根拠地として教えを広めていったのです。それら九つの山で活動した禅の流れを「九山禅門」と総称します。
詳細は省略しますが、(http://todaibussei.or.jp/asahi_buddhism/21.html)より下に朝鮮仏教の流れの表を転載します。
上の表で注目すべき点は李氏朝鮮で朱子学が盛んになえり、江戸時代の朱子学へ深い影響を与えたことです。
このように朝鮮半島は、1910年の日本による支配に入る前まで、常に仏教と朱子学の先生的な立場にあったのです。
勿論、遣隋使や遣唐使が派遣し、仏教を中国から直接取り入れた事実も日本仏教へ大きな影響を与えました。
日本の学校では遣隋使や遣唐使だけを強調して教えています。盲目になっても日本へ渡来した中国僧、鑑真のことを教えます。
聖徳太子の師が朝鮮の慧慈であったことや、朝鮮仏教が日本へ深い影響を与えたことを教えません。公平を欠いています。これは日本人が伝統的に朝鮮半島を軽視する精神文化を持っていたためです。
それはさておき、下に朝鮮仏教の美しいお寺の写真を示して終わりと致します。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
韓国・慶尚南道にあって、世界遺産に登録されている海印寺の伽藍全景。802年の創建で、13世紀半ば制作の「高麗八万大蔵経」の版木が1398年以来、所蔵されている。伽藍は1817年の再建。 写真 田村 仁